帰郷
水面に映る 空が揺れる
鏡に映った 世界が砕ける
瞳に映る 世界が変わる
霧が世界を覆っている。
大量の水が轟音とともに下に落ちていく。
空気は冷たいが寒くはない。むしろ、気持ちいいほどだ。
そこは、滝つぼを見下ろす滝の上。
大きな水のたまりが、大河の流れの前に存在している。
巨大な水のたまりは、少し前までは土地だった。
だが今は水中に沈み、湖のようになっている。
水は透き通り、水底の水草や地面が綺麗に見える。
泳ぐ魚はまるで、宙を浮遊しているかのようだ。
だんだんと、遠くの方も霧が晴れてきたので、滝つぼと湖と河の全体が、ゆっくり見えてきた。
白い大木が丘に立っている。滝つぼの国のご神木だ。
その木の向こうにもうひとつ丘があり、そこには、かつての滝つぼの繁栄が残る、美しい城が堂々と建っていた。
「綺麗だ。まるで、国が生きているみたいだ」
あまりにも堂々としている、かつての王城を眺め、夜叉はぽつりと呟いた。
アリアは驚いたように夜叉を見上げ、すこし笑うと、言った。
「滅びたのは国。土地はまだ、生きてる」
✝
滝つぼの国のむかしばなし。
かつて、滝つぼの国は豊な国だった。
国土こそ小さいものの、水も食べ物も豊富で、住みやすいそのエルフの王国は、地上の楽園だった。
当時、エルフと人の間に生まれた半エルフは、差別の標的だった。
エルフにも、人間にも相いれない時代だった。
が、滝つぼの国は違っていた。
迫害され逃げてきた者を、無条件で国民として迎えた。
半エルフだけではない。その両親、人間も共に迎え入れた。
そして、その滝つぼの王女アリア・セシリアは、半エルフだった。
アリアは、叔父である王の死と同時に王位に就き、国を正しく治めた。
ところが、この豊かなくにを狙う者がいた。
“呪われた国”と称された、侵略国である。
その国は、すでに五つもの国を手に入れていたが、ついに、前々から狙っていた滝つぼの国にまで手を出してきた。
国を愛する民は、率先して戦った。
エルフは人間よりもはるかに身体能力が高い。
その上、戦場は住み慣れた国土だ。戦いは優位に進むはずだった。
それでも、滝つぼの国の騎士団長が殺されたと同時に、すぐにその戦いは終わった。
騎士団長、アラモア・ライオネスというエルフは、本当に強い男だった。
主君を護り、国を護り続けてきた騎士だったが、敵軍に囲まれ、身体に数十発以上の銃弾を打ち込まれ、殺されたのだ。
敵国は、エルフが優れているのを知っていた。
だからこそ、最も強いものを孤立させ、彼を囲んで殺したのだ。
アラモアの首は斬られ、アリアの元に贈られた。
「これ以上戦っても無駄だぞ」という、警告だった。
まだまだ少女であったアリアは、彼の首を胸に抱き、そっと、彼のロザリオと共に燃やした。
灰は、大いなる滝つぼの清流に流した。
滝つぼの国が創られた時に生まれた、騎士団長の聖剣は、現王であったアリアが折って壊した。
その時アリアは、決して涙を流すことなく無表情であったという。
その悲しみは、アリアから涙すらも奪ったのだった。
その日の夜。アリアは、民に「国外へ逃げろ」と告げた。
聖安国に、すでに移住の許可をとってあったのだ。
勿論。民は国を捨てるつもりはなかった。
どうせ死ぬなら、国と共に死ぬとまで言い出したのだ。
ところが、アリアは言った。
「生きてください。それが、残された者に贈られた、死者の祈りです」
その言葉を聞いて、皆は黙った。
少女王の言った事はまるで、死者が、王を通して告げている祈りのように聞こえたのだ。
事実。アリアは多くの死者の祈りをしょってそこに立っていた。
それが、民に届いたのだ。
一夜のうちに、民は家ごと国を去った。
そこに残っていたのは、ただただ、広いか狭いかわからないが、美しい滝つぼの大地だった。
アリアは、大いなる魔力と精霊の力を借りて、大地を削りくぼませ、地形を変えた。
滝を大きくして、水量を増させ、国全体を水で覆った。
城と御神木だけは残しておいてくれとの、強い要望があったので残しておいた。
こうして滝つぼの国は、愚かな侵略者に侵される前に、王によって、滅びをもって救われたのだ。
おしまい。
✝
ハープの音色が、静かだった城に響いている。
奏でるのは王。
国は久しぶりに、少女王の歌を聴いた。
~♪
白い木に登って 風を感じた
眼下を流るる大河
大いなる滝つぼ
深い森に守られ
滝の向こうに住まう わたしたち
耳に響く水の音
生まれた頃から 聴いていたの
蛍が夜に飛んだ
流れ緩やかな水面で
大木の下で
歌い踊り
楽の音を奏でた
水の向こう
深い森の中心に
わたしたちは 住まう
深い森の中 滝の中に
わたしたちは 住んでいたの
むかしむかしに 住んでいたの
~♪
✝
「ん~?」
とある国の外れにて、子供が首をちょこんと傾げた。
「どうしたの?坊や?」
母親が寄り、優しく子に問う。
「あのねあのね。今、お歌が聞こえたよ?」
「え?」
子供が指さす先を、母親は見た。
そこには、豊かな森が広がっているだけだった。
「女の子の声だったよ。すっごく綺麗だった。でも、終わっちゃった」
しゅん、と、子供はうなだれる。
正直、さっきまで聞こえていたのは歌かどうかなんてわからないが、もう少し聴いていたかったのだ。
母親は、そんな子供の頭に優しく手を置き、笑って言った。
「それはもしかしたら、妖精のお姫様のお歌かもしれないわ。
この森にはね、それはそれは可愛らしい、妖精のお姫様が住んでいるの。
そのお歌を聴いた人には、いいことがおきるんですって」
「ホント?ボクにもいいこと、おきる?」
母親は、「ええ」と言った。
「私は、あのお姫様のおかげで、幸せになれたんだから」
子供は「え?」と首を傾げて、エルフの母親を見た。
母親は、森の向こう。美しい滝つぼのある故郷を思って、微笑んだ。
「アリア・セシリア・フェアリー様…」
それはかつて、彼女が仕えた王の名。
そして、彼女の言う、「妖精のお姫様」の名だった。