ダニエル・フランベーニュの覚悟
「……これをダニエル王子が出したのか?」
ふたりの魔術師との密談直後、ダニエルから渡された命令書。
それを持参したシャルランジュから手渡されたそれを見たグミエールは唸った。
「……無理難題でも書かれていましたか?」
その険しい表情から内容を想像したシャルランジュがそう尋ねるが、それには答えずそこに書かれていることを理解するように睨みつけていたグミエールはやがて、それをシャルランジュに手渡す。
そして、それを読み始めたシャルランジュの顔もグミエールに負けないくらいの表情をつくる。
やがて、シャルランジュの口から言葉が漏れ出る。
「どうやらダニエル王子は本気のようですね……」
「ああ」
ふたりが一様に表情を厳しくしたその命令書。
それにはこう書かれていた。
「ウジェーヌ・グミエールに命じる。謀叛軍の総帥アーネスト・フランベーニュは本人が自死しないかぎり生きて捕らえよ。ただし、抵抗する場合はその限りではない。また、抵抗した場合は、相応の措置をおこなうことは許す。つまり、生きて捕らえることを望むが、無傷である必要はない。念を押す。無傷である必要はないので生きて捕らえよ。そして、捕らえ次第に私ダニエル・フランベーニュに知らせること。アーネスト・フランベーニュの首は私自身が落とす。その他の者の扱いも書く。将軍ブリス・バレードンとアーネスト・フランベーニュの私兵を束ねるアングレーム・メドックは一番首。報奨金はそれぞれ金貨一万枚。准将軍とそれに準ずる者の首はそれぞれ金貨五千枚。当該者が投降した場合は私が首を刎ねるので捕縛せよ。その他は投降する者以外はすべて殺すことを許可する。期待通りの戦果を得ることを望む。 ダニエル・フランベーニュ」
グミエールは大きく息を吐き、それから口を開く。
「では、本気のダニエル王子に答えるよう我々も動くとしようか」
そう言ったグミエールが部下たちを集めて命じたこと。
それは土木工事。
もう少し詳しく言えば、敵がつくった堀の拡充と自分たち側にも土塁を設ける。
もちろん戦いの最中に目の前で敵がそんなことをおこなわれて黙っている者はそうは多くない。
弓矢のない王太子軍は投石をおこなうのだが、これは魔法によって完全に防がれる。
そうなれば工事を妨害する唯一の手段は陣地の外に出て攻撃をおこなうことになるわけなのだが、いきり立つ兵たちをバレードンは押しとどめる。
「あれは我々をおびき寄せるための挑発だ」
「敵だって馬鹿ではない。陣地に籠る者を攻撃するよりも陣地から出てきた者とやりあったほうが損害は少ない」
「攻撃したい気持ちは理解するが、ここで出ていっては敵の思うつぼ。自重こそが正解だ」
こうして、王太子軍は出撃はせず言葉による攻撃だけをおこなうことを決定する。
そして、王太子軍が陣地から出てこないことをこれ幸いとばかりに、一気に作業を進め、堀の幅は三倍、そして、王太子軍の陣地より遥かに高い土塁が出来上がる。
「バレードン殿。これは包囲戦ということか」
「そうなるな」
私兵頭のアングレーム・メドックの問いに、バレードンは短い言葉とともに重々しく頷く。
実をいえば、バレードンにとってこれは非常に望ましい状況だった。
なぜなら、彼は実際に剣を用いた戦いになれば圧倒的に数が少ない自分たちが負けることを知っている。
だが、そんな自分たちにも勝利を得る可能性はある。
それは、自分たちの負けが決まる前に自身が放った刺客が敵の大将ダニエル・フランベーニュを討つこと。
それを生業としていたゲラシドが仕損じることはない。
問題はゲラシドが仕事を始める前にこちらの敗北が確定しまったときだ。
つまり、時間はあればあるほどよい。
そういう点ではこの包囲戦はこちらとしても願ったり叶ったりの状況といえる。
だが、そう思っているのはすべてを知るバレードンだけ。
何も知らぬ他の者にとっては、包囲された状態から自分たちが勝利するのは不可能に思えた。
なにしろ包囲された状態で勝利できるのは、援軍が絶対条件であるのだが、自分たちにはそれがないのはあきらかだったのだから。
当然それを指摘する者はいる。
「バレードン殿。だが、我らは水も食料も準備はしていない」
「そのとおり。このままでは干上がるだけではないのか?」
「打って出るべき」
私兵頭のメドックとその補佐をしているクリスチャン・トンプとアルベール・ラヴィルから言葉に兵士たちは頷くものの、バレードンは動じない。
「皆の言葉は正しい。ただし、それは本当の戦闘であった場合だ」
「幸いなことに形はどうであれ、これは王子同士による一騎打ち。こちらからの要請があれば陛下より差し入れがある。そして、陽が沈んでからの戦闘も禁止されている。つまり、我々は敵に囲まれながらではあるがゆっくりとしかも安心して休むこともできる」
「だが、それでもここに籠っているだけでは勝利には結びつかないと思うのだが、バレードン殿は何か秘策があるのか?」
バレードンはメドックの問いに答えるようにある言葉を心の中で叫ぶ。
だが、こんなところで情報を漏らすわけにはいかないと出かかった言葉を抑え込み、それとは別の言葉を口にする。
「敵は今日中に決着をつけようと攻勢に出る。やってきた奴らを袋叩きにして数を減らす。そして、機を見て攻勢に出るのだ」
もちろんこれは口から出まかせではなく用意されたもの。
ただし、それをバレードンが本気で思っているかといえば違う。
しかし、状況を考えれば十分に納得できるものでもある。
全員が大きく頷く。
「そのうち敵が動き出す。せっかくつくった陣地を簡単に破られぬよう注意しろ」
夜まで持ちこたえれば休みが取れるという言葉に元気を取り戻した兵たちは持ち場で気合いを入れ直す。
敵の攻勢に備えて。
そして、まもなくその攻勢はやってくる。
バレードンの言葉どおり。
ただし、それは彼らが考えていたものとは違う種類のものだった。
「始めよ」
シャルランジュの指示とともに王太子軍が籠る陣地を取り囲むように配置された二十四の小集団に属する二千人を超える魔術師が一斉に杖を構える。
「用意」
「目標は土塁に隠れる敵兵」
「始め」
その瞬間、王太子側の陣地の土塁が火に包まれる、
突然火壁が現れたように。
「……すばらしい眺めだ」
「では、私も参加しょうか」
激しく燃える炎に囲まれた王太子側の陣地を眺めながら、シャルランジュが呟く。
そして、杖を顕現させる。
シャルランジュが杖を上に向けるとその頭上に火球が現れる。
そして、火球が十ジェレトほどに成長したところで杖を振る。
轟音とともに直線状に進んだ火球が辿り着いた場所はもちろん阿鼻叫喚。
ではなかった。
シャルランジュが立っている場所は目標とはだいぶ離れている。
しかも、いわゆるオールドスタイルの攻撃魔法に属する火球は直線状に飛んでくる。
そう。
到達場所は予測できるうえ、時間もある。
当然退避する。
だが、これは火球で攻撃すること自体が目的。
恐怖心を植えつけるために。
さらに数発火球を撃ち込み、王太子軍の兵士たちを陣地内で右往左往させたところで、シャルランジュがもう一度杖を振る。
次の瞬間、これまでの回避行動によって集められていた兵士たちを炎が覆う。
一網打尽。
この世界にその言葉があれば、まさにこれはその言葉どおりの光景だった。
「まあ、これくらいやれば巣穴に籠る鼠どもも外に出る気になっただろう。と言っても半分も残っていないだろうが」
シャルランジュはそう言いながらその陣地を眺めそう呟いた。
そして……。
このままここに立て籠もっていても一方的な攻撃を受け何もしないまま全滅するだけとなる。
そうであれば、打って出るべき。
そのような意見が大勢を占める。
もちろんここで降伏という選択肢もあったのだが、それは王太子が頑として拒否する。
そうなれば、攻めるしかない。
当然の結論になったところで次はその手順となるのだが、まずどこを攻撃目標にするか?
これはいうまでもなく相手の指揮官ウジェーヌ・グミエールのいる本陣。
だが、全軍がひとつの集団に進んだ場合、それこそ魔法攻撃一撃で終わる可能性がある。
そうかと言って各自バラバラに飛び出すのは、各個撃破の見本であり、無謀というより論外。
いったい何が正解なのか?
それほど時間がないなか、この難題に対する案を出したのはバレードンだった。
軍をふたつに分け、一隊は四千人を率い、敵本陣へ最短距離を目指す。
もう一隊は二千人で一旦反対方向へ走ったのち、迂回して本陣を突くというものだ。
後者の方は経験と専門性が必要となり当然私兵の集団がおこなうのは無理であり、陸軍側が受け持つしかない。
つまり、指揮官はバレードン自身。
そうなれば、必然的にもうひとつは私兵頭のアングレーム・メドックが指揮官となる。
一方、王太子は本陣に留まる。
私兵頭であるメドックの、自分たちと一緒にいう懇願にもかかわらず、最後の最後に逃げを打ったのだ。
敵本陣襲撃を成功させるためにクリスチャン・トンプとアルベール・ラヴィルら手練れはすべて連れていきたいメドックだったが、王太子をひとりにするわけにもいかず有能な剣士であるブリス・タラールを残すことにした。
そして、いよいよ突撃開始というところで集合地点二か所に再び魔法攻撃を浴びる。
これはシャルランジュによるもので、これにより王太子軍はメドックの片腕であるアルベール・ラヴィルと約千人の兵を失う。
だが、ここで突撃をやめるわけにはいかない。
それを合図にするように二方向から土塁を乗り越え堀に下りていく。
それに対して、グミエール軍はまず魔法攻撃、続いて土塁の上からの投石をおこなう。
多くの者が倒れる中、どうにか相手の土塁に取りついた者が二隊合計二千人近くいたのは奇跡といえるかもしれない。
だが、ここからさらに攻撃は激しくなる。
傷だらけになりながら土塁を登り切った者は僅か五百弱。
だが、多勢に無勢。
群がるようにやってくるグミエール軍の兵士になすすべなく斬り倒されていく。
そして、本陣からの突撃の合図が響くと、雄叫びをあげながら堀の中でに飛び込むグミエール軍の兵士は蹲る王太子軍の兵士に襲いかかる。
もちろんそのなかには命乞いをした者もいた。
だが、抵抗する者、しない者すべてがグミエール軍の兵士にとっての獲物。
すべての敵が平等に扱われる。
そして、堀の中で命を落とした者のなかに一番首のバレードンとメドックもいた。
怪我を負いながら、それでもバレードンはふたり、メドックは四人を斬ったものの、そこまで。
あらたな剣を受け止めた瞬間、後方からやってきた剣が同時に刺さり、倒れたところを群がる兵士たちにトドメを刺され切り刻まれた。
「終わりましたな」
バレードンに続いて、メドックも倒したという連絡が届くと、凄惨な戦闘がおこなわれているその場所を冷たい目で眺めていたグミエールにシャルランジュが話しかけた。
「ああ」
それに短い言葉で応じたグミエールが目を動かしたのは副官のアントワーヌ・ブルターユ。
「本陣に行き、ダニエル王子に終わったと伝えてくれ」
続いて目をやったのは参謀役のガエタン・ボアジエール。
「すぐにやってくるダニエル王子が来る前に仕事を終わらせなければならない」
「突入させろ」
バレードンが構築した陣地内に残る王太子軍は戦闘に参加できない者を含めれば四千ほどの兵が残っていた。
これでも三万のグミエール軍に比べれば圧倒的に少ないのだが、戦闘可能な者とすると、それは四分の一を割り込む。
本来であれば、ここで「遅いくらいの白旗」となるのだが、そうならないのはその場を支配する者の存在だった。
自分の首を差し出すので残りの者を救ってくれ。
だが、それはその者の口からは間違っても出ない言葉である。
では、自分を含めて全員の討ち死にを望んでいるのかといえば、そうでないことは全員が砦を出て戦うと決めた際に旗頭になることを拒んだことでもあきらか。
ということは、この男が考えていたのは残った者全員自決ということに思えるが実はそれも正解ではなかった。
この男アーネスト・フランベーニュが考えていたこと。
王太子である自分は何があっても生き残れる。
そうであれば、わざわざ死に急ぐ必要などない。
さらに、身分の低い兵士たちにみっともない命乞いなどしなくてもいいし、それどころか最後まで威勢のいいところを見せることもできる。
もちろん現実逃避か敗戦のショックで精神構造が壊れた結果の妄想の結果というわけではない。
自分の御座所を避けて魔法攻撃をおこなっている。
つまり、自分を攻撃できないということだ。
そして、それは父からの命である。
最後の時が近づいているにもかかわらず、アーネスト・フランベーニュが悠然と構えていたのは、そのような根拠に基づいたものだった。
もちろんアーネストにとってそれは立派な根拠だった。
そして、ダニエルの命によりグミエールとシャルランジュが彼を攻撃対象から外したのも事実。
だが、その理由はアーネスト・フランベーニュが考えているものとはまったく違っていたのだが。
当然のことではあるのだが、オーギュスト・ティムレとクリストフ・アミエノワが率いる一万が土塁を超え陣地を制圧するまでそう時間はかからなかった。
突入前に降伏勧告を二回おこなったこともあり、ほぼ全員が武器を捨て投降した。
そして、さすがに敵兵をすべて斬り倒した先ほどの行為についてはやりすぎだと感じたティムレとアミエノワは投降者を斬った者は厳罰に処すとしたため、今回は多くの者の命が救われた。
もっともこれは相手が同じ人間、しかもフランベーニュ人であるための特別な措置であり、対魔族となった場合は、軍人と非軍人の区別どころか、年齢、性別の区別なく、魔族であるという一点で殺戮の対象となるし、他国との戦いにおいても、身代金になりそうな者や奴隷として売れそうな者を除けばすべて殺害されるのがこの世界の常である。
さて、大部分が抵抗せず投降する事態になれば当然グミエール軍の兵士たちが王太子の御座所まで辿り着くのが簡単なことだったのだが、そこに立ちはだかったのがブリス・タラール。
まさか自身が守ろうとしている人物が自分だけが助かる算段をしているなどとは考えもしていないタラールは主の最後の盾になるべく剣を抜く。
もちろんメドックが護衛として残したのだからタラールの腕は本物。
しかも、これまで傷らしい傷は負っていない。
そうなればその剣技は完全な形で披露される。
ひとり、ふたり……タラールが七人まで斬ったあたりで、さすがに兵たちは怯み出す。
そこに姿を現わしたのはクリストフ・アミエノワだった。
この陣地の制圧を指揮する将軍のひとりであるが、実はこの男、典型的な戦闘馬鹿で、一対一の斬り合い、いわゆるタイマンが大好きなのである。
さすがに将軍の地位にある者が部下の功を取ってしまっては申しわけないと後方で様子を見ていたが、いつまで待っても状況が変わらぬことに業を煮やしての登場。
というのは、そんな彼に対しての相当好意的な表現になるかもしれない。
大剣を振り回しながらニヤリと笑ったアミエノワが口を開く。
「名を聞いておこうか。私はアルサンス・ベルナード様の配下クリストフ・アミエノワ。将軍である」
「ほう。将軍様のおでましか。これはおもしろい。最後の戦いが雑魚ばかりになるのかと落胆していたが、これはいい。ひとりくらいは名のある者も連れていきたいからな」
相手に聞こえるように呟いたタラールは薄く笑う。
「ブリス・タラール。王太子殿下の護衛を任されている者だ」
そう名乗ったところで、タラールの笑みは黒味を増す。
「さて、こうやって名乗ったということは一対一の勝負と考えていいのか?」
むろん相手はタイマン好き。
答えは決まっている。
「当然だ。宣言する。私がやられることがあればその後は自由だが、ケリがつくまで手を出すな」
そうして、突然始まる。
予定外の決闘が。
クリストフ・アミエノワとブリス・タラールの決闘。
小競り合い程度のものを含めて他の場所では戦闘がすべて終了し、王太子軍の他の兵士は死体と捕縛状態になったため、グミエール軍の兵士たちは剣を納めふたりをぐるりと取り囲む。
そして、その場所は王太子の御座所の前であったことから当然王太子アーネスト・フランベーニュも見ることになる。
敵兵に囲まれながら逃げる様子もなく堂々としているアーネストを兵士たちは奇異な目で眺めるが、やはり興味の中心はこれから始まるふたりの決闘であるところは戦場に生きる者としては当然のことといえるだろう。
もちろんこの決闘に顰め面になる者もいる。
オーギュスト・ティムレがその男だった。
だが、彼が常識家からなのかといえば、それは違う。
実はティムレもアミエノワに負けないくらいの戦闘狂。
タラールの奮闘を見て手合わせしたい衝動を駆られていたのだ。
それとともにわかっていた。
彼我の力量を考えれば、自分には番がまわってこないことを。
そして、それは始まる。
まずは挨拶代わりの一合。
この世界の決闘のマナーでは相手に対する礼儀を兼ねて、刀を合わせるだけで相手の身体を狙ってはいけないことになっている。
もちろんふたりはそれに従って剣を動かす。
だが、そこで相手の技量を感じる。
その心の声がオーラとなって漏れ出した空間で本格的な戦いが始まる。
優勢になったのはティムレの予想に反しタラールだった。
タラールが打ち込む剣を受けるのが精一杯。
アミエノワの様子はそう見えた。
だが、当のタラールはその見た目とはまったく違う言葉を心の中で呟く。
その打開のためのタラールの口が開く。
「将軍らしくもない随分と弱気な戦い方だ」
そう。
これは挑発。
攻勢に出てきたところで隙を見つけるための。
そして、その言葉は功を奏す。
直後、アミエノワの剣が動く。
その隙を突く。
はずだった。
だが、かろうじて受けたタラールの手はその重さに耐えかねるように悲鳴を上げ、アミエノワの剣は反転しタラールの身体を右下から左上へ進む。
赤い光を放ちながら。
「なかなかいい腕だった。あと五年も修行すれば私の上をいったかもしれなかった。残念だったな。ブリス・タラール」
それがタラールの聞いた最後の言葉となる。
言葉ひとつ残さず倒れ、そのまま絶命したタラールに軽く一礼するとアミエノワは目を動かす。
もちろんその先にいるのはアーネスト・フランベーニュ。
「さて、忠誠を誓った男の御前試合も終わったことだし、今度はあなたの務めを果たしてもらいましょうか。王太子殿下」
「ふん」
「……何を言うかと思えば……」
「身分不相応な物言いだな」
「たかが一将軍ごときが」
その言葉とともにアミエノワを睨みつけながら王太子アーネスト・フランベーニュが立ち上がる。
「では、問おう」
「私の務めとは何か?」
もちろんアミエノワの言う務めとは、自分を守るために死んだタラールたちへの責任を取ることであった。
もう少しいえば、敗軍の将、さらに一国の王太子という地位にある者なら、それにふさわしい最期を迎えるべきだとも考えていた。
ここで自刃するというのなら、待ってやる。
それがアミエノワの言葉の奥にあるものである。
だが、そのようなことは欠片ほどにも思っていないアーネストはこう言い放つ。
「どうせつまらないことを考えているのだろうが、それはハズレだ。そして、おまえがわかるはずがない私が果たすべき務めを教えてやる」
「私の務め。それはこれからも王太子として陛下を支え、次期王としての誇りを持って行動することだ」
「もしかしたらおまえたちを指揮することも私の務めのひとつなどと思っているのかもしれないが、言っておこう。おまえに関わることなど私の務めのうちには入らぬ」
「敗戦の責任は取らないのでしょうか?」
「敗戦の責任?なぜこれからも王太子として務めを果たせなばならない私がそのような愚かなことをせねばならないのだ?負けたのは無能な将軍と弱い兵のせいなのだぞ」
アーネストの言葉には自刃するような香りはまったくしない。
それどころか、大敗したにもかかわらず、自分には敗戦の責はなくこれからも今までどおり王太子として過ごすと言い切ったのだ。
しかも、懸命に戦った将兵にすべての罪を擦り付けた。
「それは残念です。殿下。本当に」
アミエノワが口にしたのは間違いなく怒りの成分を抑え込んだ言葉。
しかし、王太子がもうひとこと挑発の言葉を加えた瞬間、アミエノワの剣が動く。
それが命令違反であっても。
そのような状況に割って入ったのはもうひとりの将軍ティムレだった。
ただし、冷静を装う顔をしたティムレの口から出たのはその表情とは相当かけ離れたものだった。
薄ら笑いを浮かべながらティムレはアーネストに話しかける。
「まあ、王太子殿下の未来を我々がどうにかできないのはたしかです」
「実をいえば、我々は命じられているのですよ」
「殿下の未来を決めてくださる方のもとに殿下を連れてくるようにと」
そこで言葉を切ったティムレはどす黒い笑みを浮かべ、部下たちを見やる。
「捕縛しろ」
「暴れるかもしれないから少しきつく縛り上げろ」
グミエールは自身やダニエルが敵が構築した陣地に出向くのではなく、より安全な少し離れた場所に置いた本陣に王太子を連れてくるように命じていた。
そして、ティムレはそれを実行したわけである。
もちろんアーネスト自身もそうなると考えていた。
だが……。
王太子らしい待遇を受け堂々と敵将と対面する。
それがアーネストの思い描いていたものであったのだが、実際はどうかといえば、まさに罪人。
少なくても王太子の威厳などなにひとつ感じられないものだった。
自分がこのような扱いを受けることは理不尽の極みなどと喚きたてるアーネストを縄を持つ兵士たちは侮蔑の表情で眺める。
そして、いよいよグミエールとアーネストの対面。
当然のようにアーネストは王太子である自分に対する将兵たちの無礼な振舞いを糾弾し、まず縄を解くように要求する。
だが、グミエールは人の悪そうな顔をしてこう答えた。
「……それは申しわけないことをしました」
「ですが、その縄を解くことは叶えられません。これから来る方に改めてお願いしてください。殿下」
全く心の籠らぬ言葉で王太子の希望が叶わぬことを伝えたグミエールが続けて口にしたここにやってくるというその人物の名はアーネストにとって予想外中の予想外、そして、最悪なものだった。
「……ダニエルが来る?」
アーネストの口から漏れ出る言葉にグミエールは頷く。
「そ、それで父上は、陛下は」
慌てるアーネストはそう尋ねるが、もちろんグミエールの答えはアーネストの希望とは真逆のものだった。
「陛下は来られません。ここにやってくるのはダニエル殿下だけです」
「そして、ダニエル殿下が王太子殿下の御沙汰を決定します」
「まあ、とにかくまもなくダニエル殿下がやってきますので、先ほどの件はダニエル殿下にご相談ください」
謀叛軍の大将であるアーネストを生きたまま捕らえ、すぐにダニエルに連絡をする。
いや。
気を利かせるように、将軍たちが陣地攻撃を始める前にすでに使者を送り出していた。
ここまでは予定どおりだったのだが、ここからグミエールにとっても予想外のことが起こる。
そして、その結果アーネストは縄で縛られるという王太子には不似合いな姿で長い時間を過ごすことになるわけなのだが、多くの者に影響を与えたその予想外の出来事とは……。
もちろんあの者たちの蠢動である。




