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アグリニオン戦記 外伝 大いなる兄弟喧嘩  作者: 田丸 彬禰


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8/10

右翼の戦い

 この「ソリュテュード平原の戦い」の最大規模だったのは王太子軍右翼、ダニエル側から見れば左翼の戦いであった。


 王太子軍右翼部隊指揮官側バレードンが描いていた元々の絵図は、自軍三千人で敵を抑えている間にリモージュ隊が側面を叩くというものだった。

 だが、右翼と対峙するウジェーヌ・グミエールが率いるのは三万人。

 ヴェリエールの丘に整列する自身の敵が手元の十倍であることに驚いたバレードンは大急ぎで王太子に増援を求めるものの王太子は動かず、結局絶望的で状況のまま戦いを始めることになる。


 だが、例の魔術師団の全滅が起こると事態は一変する。

 王太子が私兵七千とともにバレードンのもとにやってきた、というより逃げ込んできたのである。


 これでも一万対三万。

 まだまだ相手の方が多いが、知将として知られるリモージュが側面攻撃に成功すれば何とか勝負になる。


 バレードンは胸を撫で下ろす。

 だが、そこに中央のモルレがリモージュ隊を半強制的に吸収したという知らせが届く。


 爵位持ちの貴族とは思えぬ言葉を使って同僚をこき下ろしたものの、それで状況が変わるわけではない。

 バレードンは単独で三倍の敵相手に対応する新たな策を考えなければならなくなった。


「心配するな。相応の地位に就いたので現在は王都に留まっているが、私は多くの戦いに参加し勝利を重ねた。その私がベルナードの偽物ごときに負けるはずがない。知識と経験が軍人に必要であることを小僧に教えてやることにしよう」


 バレードンは自信満々にそう言って周囲を笑わす。

 だが、今、彼が自慢したその知識と経験は言っていた。


 これだけの数の差。

 そして、相手はあのベルナードと同じ戦い方をする者。


 この敵に勝つのは非常に困難。

 

 そして、彼はこの時点で数の力だけで押し切ろうとする三倍の兵を要する敵に勝つことを諦めていた。


 ただし、勝つことを諦めるのと負けを認めるのは似て非なるもの。

 負けない戦い。

 それが勝つことを諦めたバレードンが目指すもの。


 実はそれ相応の者にこの戦いをされると、相手は非常につらい。

 最終的には勝ちを収めることが出来ても損害が馬鹿にならないのだ。

 そして、損害を減らそうとつまらぬ小細工をおこなうと大きな穴が生まれる。

 

 目の前にいる敵を破る必要はない。

 ゲラシドがダニエル王子を討ち取るまで時間を稼げばよい。

 持ちこたえ軍の崩壊を防ぐこと。

 それこそが最終的な勝利を得る策。


 誰にも聞こえぬ声でバレードンは呟いた。


 戦いに臨む方針を決めたバレードンがまず始めたのは迎撃の基本である陣地の構築だった。

 陣地と言っても空堀と堀をつくる際に出た残土を積み上げる土塁だけという城塞と比べれば貧相なものであったが、すべてが手作業で会敵までの短時間で仕上げたものであることを考えれば十分なものといえるだろう。


「通常このような陣地を突破するには攻撃側は守備側の三倍の兵は必要ということになっている。つまり、兵力差はこれで埋まった」


 完成したそれを眺めながら口にし、それに対して兵士たちが喝采と雄叫びで応えたバレードンの言葉であるが、実はこの言葉にはいくつかの間違いが含まれている。


 まず、これからやってくる敵将グミエールが目の前の敵の殲滅を求めるとは限らない。

 そして、そうなった場合、バレードンの陣地を包囲し自身はさらに進み背後なり側面から他の敵を倒して回り、すべてが終わった後に腰を据えて攻撃するということもできる。

 そして、そちらこそが良策といえるだから、そちらを選択される可能性の方が高いのだ。


 さらに大きいのは魔術師の存在である。

 情報が伝わらずそれを知らなかったバレードンは口にしなかったが、現在魔術師は片方の側にしか存在していない。

 そうなれば、魔法という方法でこの陣地を攻撃することは可能である。

 この陣地全体を魔法で丸焼きにすることなど雑作もなくなる。

 悪いことにグミエールの本隊の後方にはベルナードが信頼を置く魔術師ジェルメーヌ・シャルランジュが率いる二千五百人の魔術師が控えている。

 その気になれば、その陣地は一瞬で火葬場兼墓地に変えることができるのだから。


「さて、どうやって攻める。グミエール」


 自身の言葉に大きな穴があることに気づいているのか、気づいていないのかはわからぬものの、姿を見せ始めた敵を眺めながら、バレードンはそう呟いた。


 そして、そのグミエールであるが……。

 敵の本陣急襲に備えて十分な陣形を取りながら西から東へ進んでいたグミエールは、先行させていた一万を指揮する将軍オーギュスト・ティムレからの報告に大きく頷き、それから口を開いた。 


「ブリス・バレードンは……」


「謀叛を起こしたふたりの王子と行動を共にしている三人の陸軍幹部の中で実戦経験が一番豊富だ。当然多数の敵との戦い方を知っている」


「圧倒的多数の敵を迎撃するに際し、陣地をつくる。実に理に適っている。さすがと言わねばならないだろう」

「ですが、我々にはシャルランジュ様配下の魔術師団がおります。本陣に控える魔術師長の一撃で敵魔術師団が消滅した以上、どんな強固な陣に立て籠もろうが問題ありますまい」

「私もそう思います。敵右翼を抜き、さっさと首魁たちの捕縛に向かいましょう」


 上官の呟きに反応した副官のアントワーヌ・ブルターユとブリス・エビネイの言葉に、参謀役のガエタン・ボアジエールも大きく頷く。

 だが、グミエールはその言葉に顔を顰め、首を振った。


「たとえば、陣地をつくり立て籠もっているのが魔族であれば、それでいい。だが、その中にいるのはすべて同胞。指揮官たちはともかく、兵たちはなるべく殺さずに済ませたい」


「ということは、包囲するということですか?」

「基本的にはそうなる」


 ボアジエールの言葉にグミエールはそう答える。


「まずは目の前の敵の包囲をおこなう。前衛に追いつくよう歩を早めるように」


 そして、それからしばらく時間が進み、敵の陣地が見える場所が進んできたグミエールはあってはならぬものを発見する。


 これ見よがしにはためく王太子を示す旗。


 それがグミエールの見たその場にあってはならないものだった。

 そして、旗を掲げた防御側とそれを見た攻撃側にその旗に関しての認識に差が生じる。


 まず、王太子の存在を示す旗を掲げたバレードンの意図。

 なにしろ王太子本人が実際に陣の中央に座しているのだ。

 旗を掲げなければならない。

 さらに、実質的な大将である王太子がここにいれば、必ず攻めてくる。


 そして、もうひとつ。

 一番首である王太子殿下をいるのを承知で魔法攻撃をして手柄を魔術師にくれる軍人などいない。

 必ず剣でケリをつけにくる。


 バレードンは魔法攻撃の脅威を認識していた。

 その脅威に対する策が王太子の存在を知らせる特別な旗を掲げることであった。


 これで戦いは剣と剣の戦い。

 陣地に立て籠もるため数の不利を消した。

 十分にやれる。


 バレードンの中で出来上がった皮算用であった。

 だが……。

 

「部下の分際で大将である王太子を盾に使うとは」


 グミエールの怒りが籠ったこの呟き。

 そう。

 これが攻撃側から見た旗の解釈であった。


 それはともかくこの王太子の旗は、グミエールが頭に思い描いていた「一万をバレードンへの備え。残り二万を率いて進軍」という構想に大幅な変更を加えることになる。

 つまり、バレードンの策が功を奏したということになる。


「……合計で一万。結果的にバレードンにとって悪くない陣容になったわけか」


 グミエールは苦笑いに近い表情でそう呟く。


「ですが、こうなると、備えは最低でも二万は必要となります。残り一万でモルレの背後を突きますか?」

「リモージュの位置は掴んだか?」


 ボアジエールの問いにグミエールは即座にそう問うた。

 その答えはノー。

 ボアジエールが首を横に振ると、数瞬だけ考えたグミエールは決断する。


「モルレの背後を攻撃し始めたところでリモージュに背後を取られるような失態は避けたい」


「とりあえず。全軍で包囲することにしよう」


 こうして、形はどうであれ、とにかくバレードンの狙いどおりにことが動き始める。


 堀を備えた陣地に立て籠もる一万のバレードンの部隊。

 そして、それを取り囲む三万のウジェーヌ・グミエール軍。


 もちろん、ここからグミエールの号令一下、壮絶な肉弾戦が始まる。

 と言いたいところなのだが、始まったのは睨み合いだった。


「ティムレ将軍より攻撃開始の許可の要請」

「同じくアミエノワ将軍からも攻撃開始の許可要請」


 包囲したところで、攻撃命令が出るまで手出し無用という命令を出したグミエールに年長の将軍たちから攻撃開始の催促がひっきりなしにやってくる。

 だが、グミエールはそれらをすべて無視した。

 それどころか、命令を破り攻撃を開始した者は将軍であっても斬首にするという脅し文句をつけて伝令を送り出していた。

 もちろん攻めあぐねていたわけではなく、これからの攻撃について考えてのことである。

 そのグミエールが自らの陣に呼び寄せたのは同行する魔術師団の長ジェルメーヌ・シャルランジュだった。


「いかがですか?」


 グミエールの言葉に彼より十歳以上年長のシャルランジュは目の前に広がる陣地を眺める。

 そして、呟く。


「一撃だな」


 むろん一撃とは魔法攻撃をおこなえば、一瞬で戦いが終わるということである。

 グミエールはその言葉に小さく頷く。

 そして、もう一度問う。


「あの陣地のうち一か所に狙いをつけて攻撃することは?」

「この距離であれば、ひとりだけに狙いをつけるというのは少々難しいがその周辺ということであれば可能」


 そう言い終えたところで、シャルランジュはグミエールに目をやる。


「狙いは王太子か」


 もちろんシャルランジュは冗談を言ったわけではない。

 やるべきという提案。

 そういえるものだった。

 一瞬後、グミエールが口を開く。


「師の言葉で魔法によってあの陣地は火の海にできることがわかりました。つまり、こちらの兵をまったく失わずその陣地を攻略できるだけではなく首魁のひとりを始末することが出来ます」


「それをおこなわず、待ち構えている敵陣に突入し、兵を失うなど将失格の行為です」


「ですが、陣地を丸焼けにしてアーネストを殺害した場合、本当に功が認められるのか?」


「もちろんダニエル王子はその功を讃えるでしょうが、息子のひとりを失った陛下が同じ気持ちであるかはわかりません」


「つまり、王太子は生きて捕らえたいわけか」


 相手の言いたいことを察したシャルランジュの言葉にグミエールは頷く。


「おそらくバレードンもそう考えた。王太子を抱えた陣は魔法攻撃に遭うはずがないと」

「そこで逆に王太子以外を魔法で始末できるかどうか?グミエール殿はそう尋ねたいわけか?」

「そうなります」


「理解した。だが、十分に注意してやった場合でも万が一ということもあるし、掃討戦に入ったところで王太子の首が落とされる可能性もある。では、それに対してこのような手立てをしておくのはどうだ?」


 敵の大将を討った者が罰せられるなど理不尽すぎるように思えるが、王族は神聖不可侵な特別な存在としているこの世界の常識では十分にありえることでもある。


 その心配をしたグミエールに対して、シャルランジュが提案したこと。

 それは……。


 大将であるダニエル・フランベーニュの攻撃命令書を手に入れる。


 これがあれば王から王太子殺害について問われても責任を一手に引き受けなくても済むどころか、責任があるというのなら、それは命令したダニエルが問われるべきものとなる。


「まあ、ダニエル王子がそれを出すかどうかはわからない。なにしろ言ってしまえば、兄殺し。出さないことも十分に考えられる。そうなった場合は……」


「その時に考えようではないか」


 その言葉を残してヴェリエールの丘にやってきたシャルランジュは大将のダニエルと面会する。

 ひととおりの報告をしたところで、シャルランジュは例の話を持ち出す。


「……それはグミエールの言葉か」


 ダニエルのその言葉からは負の香りが多分に漂っていた。

 もちろんシャルランジュはそれに気づくものの、気づかぬフリをして何事もないようにこう答える。


「グミエール殿はただ私に魔法攻撃を命じた。不安になった私が要求しているだけです」


「なるほど。言いたいことはわかった」


 ダニエルはそれ以上何も言わずシャルランジュを一度下がらせると考えに耽る。


 証書を出すのはまったく問題ない。

 それどころか、シャルランジュが口にしたことは父王の性格を考えれば十分にあり得ることであり、最初にそれを渡して戦う者たちの不安を取り除くべきだった。

 ただし、断を下す前に意見を聞くべき。


「本陣の魔術師長を任せているエゲヴィーブとフィーネ嬢をここに呼んでくれ」


 思案に思案を重ねたものの、結局正解には辿り着けないダニエルのもとにふたりが姿を現わしたのは彼が考えていたよりもずっと時間が経ってからだった。


「遅かったな」


 それは一刻も早く正解を手に入れたかったダニエルの忍耐力を軽く超え、軽い嫌味を言わねばならぬ程の時間だったと言えばわかりやすいだろう。

 だが、ふたりはその嫌味を軽く撥ね退け、何事もなかったかのように用意された椅子に座る。

 そして、まずフィーネが口を開く。


「時間がないのなら、聞きましょうか。尋ねたい話というものを」


 相手の嫌味を逆手に取ったフィーネのこの言葉に階級社会に生きるエゲヴィーブは少しだけ驚いたものの、その驚きを表情に少しだけ現わしただけで続く。

 より丁寧な言葉で。


「殿下が問題にしているのはどのような点でしょうか?」


 自らが口にしたその問いに対して答えたダニエルの言葉のすべてを聞き終えたエゲヴィーブは苦笑いに少しだけ黒味のある成分を混ぜこんだ笑みとともに言葉を吐きだす。


「それにしても……」


「偉くなるとたいへんなのですね。勝つか負けるかだけではなく、その勝ち方にも配慮しなければならないのですから」


「ですが、今回に関しては確かにそのような配慮が必要ですね」


「何と言っても、敵陣にいるひとりは、いまだ王位継承権を持つ王太子である第一王子なのですから」


 そこまで話したところで、言葉を切ったエゲヴィーブはダニエルに強い視線を向ける。


「……お伺いします」


「殿下は王太子をどのような状態で手に入れたいですか?」


 表現があまりにも露骨だったため、顔を歪めたものの、ダニエルもその問いに答えないかぎり正解には辿りつかないことを悟る。

 大きく息を吸い、それから胸に溜まった言葉を吐き出す。


「将来のことを考えれば、王太子の首は落とすべきだ」


「向こうだって勝利した場合、私の首を容赦なく斬り落とすだろうから構わない。だが、それはおそらく私自身がやるべきなのだろう」


「他の者がおこなった場合、王はその者に対してよい感情を持たない。そのような負の要素を他人に押しつけ、利だけを自らが手に入れるわけにはいかないだろう。最大の利を得る者はその役から逃げるわけにはいかない」


「では、捕縛ということですか?」

「そうしたいところだが、これにはふたつ問題があると私は考える」


「ひとつはその捕縛方法。奴ごときを捕えるために多くの兵が死ぬことはない」


「そうして、もうひとつは、生きて捕らえたところで戦いが終わった場合、陛下の介入がある。そうなれば、王太子の命が助かってしまう。これは私にとって望ましいことではない」


「つまり、多くの犠牲を出さず、王太子を捕縛し、直ちにダニエル殿下自身の手で王太子の首を刎ねる状況になればよろしいのですね」


「できるのか?」

「もちろん。ただし……」


「やり切る覚悟と責任。それを殿下が持っていればの話ですが」


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