99話 愛なき暴走
『鏡の間』は、冒涜的な肉の迷宮と化していた。
ヴィオラの身体は、もはや人の形を留めていなかった。
背中から溢れ出した肉塊が膨張し、部屋全体を埋め尽くすほどの巨大な怪物へと変貌している。
その表面には、無数の人間の顔、手足、そして瞳が埋め込まれ、それぞれが別々の悲鳴を上げている。
「アアアアア……! 愛シテ……私ヲ見テェェェッ!」
怪物の中心、かつてヴィオラの顔があった場所から、歪んだ絶叫が響く。
それは言葉というより、呪いの波動だった。
空間が振動し、天井から瓦礫が降り注ぐ。
「……なんて姿だ」
カノアは『黒鉄』を構えながら、顔をしかめた。
『心眼』に映るその姿は、あまりにも醜悪だった。
継ぎ接ぎだらけの概念。
他人の美しさを無理やり縫い合わせた結果、互いが拒絶反応を起こし、腐敗しながら増殖を続けている。
「ヒルダ! 右から触手が来る!」
カノアの指示が飛ぶ。
ヒルダが反応し、大剣『プロメテウス』を振るう。
ズドンッ!
極太の肉の触手が切断され、汚泥のような体液を撒き散らす。
だが、切り口からは即座に新しい触手が二本生えてくる。
「再生が速すぎるわ! これじゃキリがない!」
ヒルダが叫ぶ。
彼女の剛腕をもってしても、この無限の増殖を押し留めるのは困難だ。
「フィーネ、あいつの視線を逸らせ!」
「了解っ! こっちだよ、ブサイクお化け!」
フィーネが壁を蹴り、怪物の頭上を飛び回る。
彼女の速さは音速の領域だ。
怪物の無数の目がフィーネを追うが、その動きを捉えきれない。
「ウウゥゥゥッ! チョコマカトォッ!」
怪物が苛立ち、全方位に魔力弾を放つ。
回避不能の弾幕。
「ルミナ!」
「うん! 『聖詠・蒼』!」
ルミナが歌う。
青い防御障壁が展開され、魔力弾を受け止める。
だが、衝撃が重い。
ルミナの足が震え、障壁にヒビが入る。
「くっ……! 魔力の桁が違う……!」
相手は、王都中の生命力を吸い上げている怪物だ。
魔力総量において、勝ち目はない。
「ザイン! 狙えるか!?」
カノアが叫ぶ。
瓦礫の陰に潜んでいたザインが、一瞬の隙を突いて飛び出した。
彼の手には、魔封じの術式を纏わせた鞭が握られている。
狙うは一点。
怪物の喉元深くに埋まっている、妹リゼの「声帯」。
「……返してもらうぞ!」
ザインが鞭を振るう。
漆黒の閃光が、肉の壁を突き破り、喉元へと迫る。
だが。
ギョロリ。
怪物の胸に埋まっていた「巨大な目」が、ザインを捉えた。
――『千里眼』。
「見エテルノヨォォォッ!!」
肉壁が波打ち、ザインの鞭を弾き飛ばした。
さらに、地面から骨の槍が突き出し、ザインを串刺しにしようとする。
「チッ!」
ザインは空中で身を捻り、紙一重で回避するが、衝撃波で壁まで吹き飛ばされた。
「がはっ……!」
「ザイン!」
カノアが転移でザインの元へ移動し、追撃を防ぐ。
ザインは口元の血を拭い、苦々しげに吐き捨てた。
「……ダメだ。肉の厚みが尋常ではない。物理的に喉まで届かん」
ヴィオラは、自身の弱点である「声帯」を、奪った無数の肉体で何重にもコーティングして守っているのだ。
外側からどれだけ削っても、核には届かない。
「手詰まりか……」
カノアは周囲を見渡した。
四人は無事だが、疲労の色は濃い。
対して、ヴィオラはダメージを受けるどころか、さらに巨大化し続けている。
このままでは、部屋ごと押しつぶされる。
「……カノア」
ルミナが、不安そうにカノアを見る。
彼女の共鳴石の光も、魔力の消耗で弱々しくなっていた。
「諦めるな。……必ず、突破口はある」
カノアは『心眼』を極限まで研ぎ澄ませた。
物理的な弱点はない。
魔力によるゴリ押しも通じない。
なら、どうする?
カノアは、怪物の「色」を見た。
継ぎ接ぎだらけの、汚泥のような色。
だが、その活動源になっているのは、魔力だけではない。
強烈な「負の感情」だ。
――私だけを見て。
――私だけを愛して。
――私以外は、みんな消えてしまえ。
世界への渇望と、満たされない孤独。
それが、この無限再生を支えるエネルギー源。
(……そうか。こいつは、物理で動いてるんじゃない)
カノアは気づいた。
ヴィオラの肉体は、彼女の「不幸」によって維持されている。
自分が世界で一番不幸で、可哀想な存在だと思い込むことで、世界から搾取することを正当化しているのだ。
「……だったら」
カノアは剣を下ろした。
斬るんじゃない。
否定するんでもない。
もっと強烈な、あいつが一番嫌がる「毒」をぶち込んでやればいい。
「ルミナ。……作戦変更だ」
カノアはルミナの手を取った。
「え?」
「物理で勝てないなら、心で勝つ。……あいつの燃料になってる『不幸』を、俺たちの『幸福』で上書きしてやるんだ」
「幸福で……?」
ルミナが目を丸くする。
だが、すぐにその意味を理解した。
かつて、語り合った「最高の復讐」。
私たちが幸せになることが、魔女への最大のダメージになるという法則。
「思い出そう、ルミナ」
カノアは優しく、けれど力強く語りかけた。
「俺と君。……ここまでの旅で、感じた幸せや喜び……その全てを、思い出すんだ!」
ゴミ捨て場での出会い。
初めて名前を呼んでくれた時の声。
手を繋いだ時の温もり。
ヒルダやフィーネ、ザインたちと囲んだ焚き火の暖かさ。
辛いことばかりじゃなかった。
奪われたからこそ、拾い上げることのできた、宝石のような日々。
「ヴィオラは俺たちの心の輝きで大ダメージを負う! だから、今が『その時』だ!」
カノアの言葉に、ルミナの瞳に光が戻る。
そうだ。
私の心には、ヴィオラが持っていないものが溢れている。
「うん……! 私……! いっぱいあるよ!! 幸せだったこと!!」
ルミナが共鳴石を強く握りしめる。
石が、ドクンと脈打った。
「俺もだ! 君と出会えて、俺は幸せになれたんだ!!」
カノアが叫ぶ。
二人の魂の色が、呼応し、増幅し合う。
赤と青が混ざり合い、目も眩むような「虹色」の輝きが生まれ始める。
「「カノア!」「ルミナ!」」
二人は同時に名前を呼び合った。
「俺たちの心を……魂を……! 幸せの輝きで爆発させろぉぉぉ!!!!」
その瞬間。
『鏡の間』の中心で、太陽が生まれたかのような閃光が炸裂した。
それは攻撃魔法ではない。
ただ純粋な、圧倒的な質量の「幸福」の奔流。
光が、部屋の隅々まで満たしていく。
ドロドロとした肉塊の闇を、温かな光が塗り替えていく。
「ギ、アァァァァァッ!!??」
ヴィオラが、これまでで一番の悲鳴を上げた。
痛い。熱い。
斬られるよりも、焼かれるよりも苦しい。
他人の幸せが、自分の不幸を照らし出し、存在を否定していく。
「ヤメロォォッ! 見セツケルナァァッ!!」
怪物の肉体が、ボロボロと崩れ落ちていく。
再生が追いつかない。
幸福という猛毒が、彼女の呪いを中和し、無力化しているのだ。
光の中で、ルミナは満たされていた。
(ああ……私って……幸せだなぁ……)
心の底から、そう思えた。
そして、その想いは、敵であるヴィオラへの憎しみさえも溶かしていく。
ルミナは、崩れゆく怪物を見つめた。
もう、怖いとは思わなかった。
ただ、少しだけ可哀想で、救ってあげたいと思った。
「ヴィオラ……」
ルミナは一歩前に出た。
その唇が、最後の歌を紡ごうとしていた。
あなたを傷つけるためじゃない。
これは、孤独なあなたへの贈り物。
「あなたへ……私からの、幸せのおすそ分け」
ルミナの口が開く。
紡がれるのは、世界を真実の色に染める……。
究極の『聖詠』……。




