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96話 虚飾の螺旋


 大広間を抜け、カノアたちは最上階へと続く大階段を駆け上がっていた。


 『あかつきの連隊』の援護により、追手はいない。

 だが、進めば進むほど、城内の空気は重く、ねっとりとしたものに変わっていく。


「……変だね。いつまで経っても着かない」


 カノアが足を止めた。

 もう10分以上は登り続けているはずだ。


 物理的な距離で言えば、とっくに最上階の『鏡の間』に到達していなければおかしい。

 だが、目の前には相変わらず、無限に続くかのような白い螺旋階段が伸びているだけだ。


「結界かしら?」


 ヒルダが壁に触れようとする。

 その瞬間、壁に掛けられた鏡が一斉に発光した。


 キィィィィン……。


 耳鳴りのような音が響き、視界が歪む。

 カノアたちが立っていたのは、階段ではなく、四方を鏡に囲まれた回廊だった。

 出口も入り口もない、無限の鏡の部屋。


『ようこそ、迷い子たち』


 鏡の中から、ヴィオラの声が響いた。

 それは現在の彼女のヒステリックな声ではなく、かつて人々を魅了した、猫撫で声のような甘い響き。


『ここは「理想」を映す回廊。……貴方たちが心の奥底で望んでいる「もしも」の世界を見せてあげるわ』


「幻覚か。……また懲りないな」


 カノアは『黒鉄(クロガネ)』に手をかけた。

 だが、鏡に映ったのは、いつもの自分たちではなかった。


「……え?」


 ルミナが息を呑む。

 彼女の目の前の鏡に映っていたのは、傷一つない顔をした、絶世の美少女だった。


 爛れた火傷跡も、それを隠す仮面もない。

 美しいドレスを着て、大勢のファンに囲まれ、幸せそうに歌っている「ルミナ」。


『素敵でしょう? これが、貴女が失った未来よ』


 ヴィオラの囁きが、ルミナの耳を撫でる。


『顔さえ戻れば、貴女はまた歌姫として愛される。……誰もが羨む、輝かしい人生が待っているのよ』


 甘い誘惑。

 鏡の中のルミナが手招きをする。

 『こっちにおいで。こっちが本当の私よ』と。


 ヒルダの前の鏡にも、違う景色が映っていた。

 そこには、王城のテラスで、成長したミリア王女と優雅にお茶をしているヒルダの姿があった。


 肉体は一度も奪われることなく、近衛騎士団長として、そして一人の女性として、平穏な日々を送っている未来。


『守りたかったのでしょう? この幸せを』


『ここなら、誰も傷つかない。貴女の手は、血で汚れたりしない』


 そして、カノアの鏡。

 そこに映っていたのは、両目が開いた青年の姿だった。


 『アレキサンドライト』の瞳が輝き、その視線は世界の全てを鮮やかに捉えている。

 隣には、生きて笑っているグレンがいる。


『返してあげるわ。光も、師匠も』


『苦労なんてしなくていい。泥水を啜る必要もない。……ただ、こちら側に来るだけでいいのよ』


 鏡の中の世界は、あまりにも完璧だった。

 失ったもの、奪われたもの、後悔していること。

 それらが全て埋め合わされた、理想郷。


「……綺麗だね」


 カノアが呟く。

 その言葉に、ヴィオラの気配が勝ち誇ったように膨れ上がる。

 心に隙間がある限り、人は「もしも」の誘惑には勝てない。


 だが。


「でも、なんか色が薄いな」


 カノアは、鏡の中の自分を冷めた目で見つめた。


「悪いけど、興味ないな。……俺が見たいのは、作り物の幸せじゃなくて、傷だらけでも足掻いてる『今』の俺たちだ」


 カノアは振り返り、ルミナとヒルダを見た。

 二人もまた、鏡の誘惑に足を止めていたが、その瞳に迷いはなかった。


「……私の顔は、確かに傷だらけかもしれない」


 ルミナが、自分の仮面に触れる。


「でも、この傷があったから、カノアに出会えた。フィーネちゃんやヒルダさんと家族になれた。……この顔は、私がみんなと歩んできた証だもん」


 ルミナは鏡の中の「完璧な自分」に向かって、首を横に振った。


「貴女は綺麗だけど、私じゃない。……私は、今の私が好きだよ」


「私も同じよ」


 ヒルダが剣の柄を握りしめる。


「平穏な日々も悪くないけれど……。泥にまみれて、血を流して、それでも守りたいもののために戦う今のほうが、ずっと充実しているわ」


 ヒルダは、鏡の中の「何も失わなかった自分」を一刀両断した。


 パリンッ!


 鏡が割れる。

 理想郷が崩れ去り、ただのガラス破片となって散らばっていく。


「な、なんですって……!?」


 ヴィオラの狼狽した声が響く。

 理解できないのだ。


 美しさや幸せを提示されているのに、なぜわざわざ苦難の道を選ぶのか。


 「欠落」こそが人を強くし、色を深めるということを、空っぽの彼女には理解できない。


「行くぞ、みんな! こんな鏡、全部叩き割って進む!」


 カノアが『黒鉄(クロガネ)』を抜く。

 フィーネも駆け出し、壁を蹴って鏡を粉砕していく。


「あはは! ボクの鏡には、大金持ちになってるボクが映ってたよ! ちょっと心が揺らいだけど!」


 フィーネが軽口を叩きながら、迷宮を破壊していく。

 四人の意志が共鳴し、ヴィオラの幻術を物理的に突破する。


 ガシャァァァァンッ!!


 無数の鏡が一斉に砕け散った。

 空間の歪みが修正され、目の前に本物の「扉」が現れる。


 重厚な黒檀の扉。

 その向こう側から、ドロドロとした狂気と、強大な魔力の波動が漏れ出している。


「……着いたな」


 カノアが扉の前に立つ。

 この奥が、最上階『鏡の間』。

 全ての因縁の終着点。


「準備はいい?」


 ヒルダが皆を見渡す。

 ルミナが頷き、フィーネが耳を立てる。

 カノアは深く息を吐き、剣を構えた。


「ああ。……終わらせよう」


 カノアが扉を蹴り開ける。

 轟音と共に、四人は魔女の玉座へと踏み込んだ。


          ◇


 その少し前。

 鏡の間の裏手にある隠し通路を、一人の影が進んでいた。


 ザインだ。

 彼は城内の混乱に乗じて、誰にも気づかれずにここまで潜入していた。

 目の前には、玉座の間の裏側に通じる小さな扉がある。


(……気配が変わったな)


 ザインは扉に手をかけ、中の様子を探る。

 ヴィオラの魔力が、以前とは比較にならないほど変質している。


 美への執着などという人間らしい感情は消え失せ、ただひたすらに何かを喰らい尽くそうとする「穴」のような気配。


「……やはり、乗っ取られたか」


 ザインは懐の結晶――妹の魂に触れた。


 最悪のケースだ。


 ヴィオラの精神が崩壊し、彼女に力を与えていた「影(虚飾の王)」が、器の主導権を握り始めている。

 こうなれば、声帯を摘出する隙などないかもしれない。


(だが、やるしかない)


 ザインは鞭を握りしめた。

 正面からカノアたちが突入し、ヴィオラの注意が逸れたその一瞬。

 それが、最初で最後の好機だ。


「……頼んだぞ、カノア」


 ザインは息を潜め、その時を待った。

 表と裏、二つの刃が同時に魔女の喉元へと迫る。


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