95話 脈打つ魔城
王城の内部は、生物の体内に迷い込んだかのような不快な空間に変貌していた。
ドクン、ドクン……。
壁の奥から、巨大な心音が響いてくる。
豪奢だった廊下の壁紙は剥がれ落ち、その下からは赤黒い血管のようなパイプが浮き出ている。
パイプの中を流れるのは、紫色の発光体。
街の人々から吸い上げられた、純度の高い生命力だ。
「……気持ち悪いわね。城全体が生きているみたい」
ヒルダが大剣『プロメテウス』を構え、周囲を警戒する。
彼女が知るかつての王城の面影は、見る影もない。
美しかった絵画や彫刻は、ドロドロに溶けた魔力の粘液に覆われ、異臭を放っている。
「ヴィオラのやつ、なりふり構わなくなってるな」
カノアは『心眼』で城の構造を解析しようとしたが、顔をしかめた。
構造が定まらない。
廊下が呼吸するように伸縮し、扉の位置が勝手に移動している。
物理的な迷宮ではなく、空間そのものがヴィオラの狂気によって書き換えられているのだ。
「カノア、どっちに行けばいいの?」
ルミナが不安そうに袖を引く。
「……上だ。魔力の流れが、全部最上階の『鏡の間』に集まってる」
カノアが天井を指差す。
そこには、全てのパイプが収束する巨大な魔力溜まりが見えていた。
「でも、道がないよ? 見て、階段が消えてる」
先行していたフィーネが戻ってきて、通ってきた道を指差した。
あるはずの階段が壁に飲み込まれ、のっぺらぼうな壁になっている。
「……風の通り道もない。完全に密閉されてるよ」
フィーネは耳を澄ませていたが、空気の流れが遮断されていることに気づき、首を横に振った。
通常のルートは全て塞がれている。
「だったら、こじ開けるまでさ」
カノアは『黒鉄』を抜いた。
「フィーネ、一番『流れ』が速いパイプはどれだ? 音が一番大きいやつだ」
「えっと……あっち! 右の壁の中!」
フィーネが指差す。
壁の奥から、ゴーッという激しい流動音が聞こえている。
「よし。そこが心臓へ続く血管だ。……ぶった斬って、道を作るぞ!」
カノアが走る。
ヒルダが続く。
だが、城もただでは通さない。
壁が波打ち、そこから肉塊のようなゴーレムが這い出してきた。
『城内防衛機構』。
形は人間に似ているが、顔がなく、全身が刃物と鎧で構成されている。
「ギギギ……侵入者、排除……」
「邪魔よッ!」
ヒルダが咆哮する。
彼女は正面から突っ込み、大剣を一閃させた。
ズドンッ!!
重い斬撃がゴーレムを粉砕する。
だが、砕けた破片が再び集まり、瞬時に再生しようとする。
「しつこい!」
「ヒルダ、そこをどいて!」
ルミナが叫ぶ。
彼女は共鳴石を掲げ、歌った。
――『聖詠・翠』!
再生を阻害する浄化の光。
緑色の風がゴーレムを包み込むと、再生しようとしていた肉塊が灰となって崩れ落ちた。
城とリンクしている敵には、物理攻撃よりも「癒やし」という毒が効く。
「ナイスだ、ルミナ!」
その隙に、カノアが壁に肉薄する。
フィーネが指差した一点。
そこに、魔力の奔流が脈打っている。
「開け、ゴマ!」
カノアが剣を突き出した。
ズプッ。
壁を貫通し、奥にあるパイプを断ち切る。
ブシュゥゥゥッ!!
紫色の魔力が蒸気となって噴き出した。
城全体が「ギャアアッ!」と悲鳴を上げたかのように激しく揺れる。
空間維持機能が一部破損し、隠されていた通路が姿を現した。
「ビンゴだ。……このまま駆け上がるぞ!」
四人は蒸気の中を突っ切った。
目指すは最上階。
だが、彼らの行く手には、さらなる異形たちが待ち受けていた。
◇
一方、その頃。
カノアたちが派手に暴れまわっている裏で、一人の影が静かに城内を移動していた。
調教師ザイン。
彼はカノアたちとは別ルート――かつて自分が管理していた「魔獣飼育区画」の隠し通路を使い、音もなく上層へと近づいていた。
「……派手にやっているな」
壁の向こうから伝わってくる振動に、ザインは口元を緩めた。
『暁の連隊』の陽動と、カノアたちの突入。
その二つが城の防衛機能を大きく削いでいるおかげで、内部の警備は手薄になっている。
(……だが、油断はできん)
ザインは懐に手を入れた。
そこには、妹リゼの魂が宿る「氷色の結晶」がある。
冷たい石の感触が、彼の焦る心を鎮めてくれる。
彼の目的は、ヴィオラの暗殺ではない。
ヴィオラの喉に移植された「妹の声帯」を、傷つけずに摘出することだ。
そのためには、ヴィオラが魔法を行使しようとして喉を無防備にする一瞬を狙うしかない。
ザインは通路の角で立ち止まり、気配を消した。
前方から、見回りの黒騎士たちが歩いてくる。
彼は音もなく鞭を構えた。
ヒュンッ。
風切り音すらさせず、鞭が騎士たちの首に巻き付く。
一瞬で絞め上げ、気絶させる。
鎧が音を立てて崩れ落ちる前に、ザインは彼らを支え、物陰に隠した。
殺しはしない。
彼らもまた、ヴィオラに操られている被害者だ。
「……待っていろ、リゼ。もうすぐだ」
ザインは再び歩き出した。
目指すは『鏡の間』。
魔女が座す、玉座の裏側。
◇
カノアたちは、中層の大広間まで到達していた。
そこは、かつて舞踏会が開かれていた煌びやかなホールだったが、今は見る影もない。
床は魔力の粘液で埋まり、シャンデリアは砕け散っている。
そして、その広間を埋め尽くすように、数百の兵士が待ち構えていた。
黒い鎧の騎士団。
そして、醜悪な合成魔獣たち。
「……歓迎してくれるねぇ」
カノアが剣の泥を払いながら言う。
正面突破するには数が多すぎる。
だが、彼らの後ろにはもう退路はない。
下層からの増援が迫ってきているからだ。
「囲まれたわね」
ヒルダが背中を合わせる。
「大丈夫だよ! ボクが撹乱して、敵の陣形を崩すから!」
フィーネが足の筋肉を収縮させる。
いつでも飛び出せる体勢。
「ルミナ、歌えるか?」
「うん。……まだいける!」
ルミナが共鳴石を構える。
疲労はある。だが、その瞳の輝きは衰えていない。
「よし。……ここを抜ければ、本丸だ」
カノアが剣を掲げた。
その時。
広間の天井ガラスが、激しい音と共に粉砕された。
ガシャァァァァンッ!!
「なっ!?」
ガラスの雨と共に、空から何者かが降り注いできた。
一人ではない。十、二十……。
彼らはロープを使って降下し、騎士団の背後を取る形で着地した。
ボロボロの装備。だが、手入れされた武器。
そして、腕に巻かれた赤い布。
『暁の連隊』の精鋭部隊だ。
「お待たせしました、ヒルダ様!」
先頭に立った兵士が叫ぶ。
かつてヒルダの部下だった、騎士団の副隊長だ。
「援軍……!? どうやってここまで!?」
「ガルフ隊長とミリア様が、正面の敵を引きつけてくれています! 『精鋭部隊は空から突入し、ヒルダ様たちを援護せよ』と!」
まさかの空挺作戦。
ガルフたちの無茶苦茶な、しかし最高に頼もしい策に、ヒルダは思わず吹き出した。
「っ……どうしたらこんな事思いつくのかしら……あの人たちは」
ヒルダは剣を高く掲げた。
「聞きなさい、暁の戦士たちよ! 敵は操られた同胞と、魔女の尖兵だ! 殺さず、無力化し、道を切り開け!」
「「「オオオオオオッ!!!」」」
鬨の声が上がる。
援軍を得て、戦場の均衡が崩れた。
カノアたちはその混乱に乗じ、最奥へと続く大階段を一気に駆け上がる。
「行くぞ! ヴィオラの首まで、あと少しだ!」
王城決戦。
多くの人々の想いを乗せて、四人は最後の扉へと手を伸ばす。




