93話 暁の連隊
案内された少年についていくと、地下水道の奥深く、複雑に入り組んだ迷路のような通路に辿り着いた。
カノアの『心眼』には、壁の向こう側に、数百人規模の生命反応が密集しているのが見えていた。
ただの避難民ではない。
統率され、意志を持って戦おうとしている「軍隊」の熱気だ。
「……ここだ」
行き止まりに見える壁の前で、少年が振り返る。
壁の隙間から、鋭い視線がこちらを覗いているのが分かった。
見張りの兵士だ。
カノアは一歩前に出た。
「誰だ!」
鋭い誰何の声。
だが、カノアが口を開くよりも早く、壁の向こうの気配が変わった。
驚愕と、動揺。
「その姿……目隠しの剣士に、仮面の少女?」
見張りの男の声が上擦る。
そして、彼の視線がヒルダに向けられた瞬間、息を呑む音が聞こえた。
彼女はもう鎧姿ではない。だが、その背負っている巨大な剣と、滲み出る気迫は隠しようがない。
「それに……その大剣。まさか、噂の……」
ゴゴゴゴ……と重い音がして、隠し扉が慌ただしく開かれた。
「どうぞ中へ! ガルフ隊長がお待ちです!」
中から溢れ出してきたのは、湿った空気と、熱気、そして人々の喧騒だった。
そこは、巨大な地下空洞を利用した野営地だった。
ボロボロの服を着た市民たちが、武器を磨き、怪我人の手当てをし、あるいは煮炊きをしている。
その顔に、絶望の色はない。皆、目に強い光を宿している。
「……すごい数ね」
ヒルダが感嘆の声を漏らす。
市民だけではない。鎧を着た兵士たちの姿も見える。
ヴィオラの支配から逃れ、あるいは正気を取り戻して合流した、正規の騎士たちだ。
「お前ら、無事だったか!」
野太い声が響いた。
人混みをかき分けて歩いてきたのは、片腕が機械義手の男。
ギア・ガルドのレジスタンスリーダー、ガルフだ。
「ガルフ! アンタも来てたのか」
カノアが駆け寄ると、ガルフはニカっと笑い、機械の腕でカノアの肩を叩いた。
「当たり前だろ。……お前らが戦ってるってのに、居ても立ってもいられなくてな。精鋭を連れて地下ルートから潜り込んだんだ」
ガルフは視線を巡らせ、ヒルダを見て足を止めた。
彼の目は、困惑に見開かれていた。
彼が知るヒルダは、巨大な鋼鉄の鎧姿だったはずだ。
だが、目の前にいるのは、一人の女性。
「……ヒルダ様…?」
ガルフが問う。
ヒルダは微笑み、一歩前に出た。
「久しぶりね、ガルフ。……私よ」
その声。その口調。
ガルフは息を呑み、彼女を凝視した。
流れるような銀髪。意志の強さを宿した黄金の瞳。
そして、女神のように鍛え抜かれたしなやかな肉体美。
背中には、ドワーフの里で打たれた赤黒い大剣『プロメテウス』を軽々と背負っている。
「その姿……そうか……戻れたんだな……」
ガルフの声が震える。
鎧ではない。だが、その圧倒的な存在感は、彼の記憶にある「英雄」そのものだった。
ガルフは膝をついた。
「よく戻られました。ヒルダ様」
「ええ。ただいま、ガルフ」
ヒルダが頷くと、周囲の兵士たちからもどよめきが起こった。
3年間行方知れずだった伝説の騎士団長が、帰還した。
その事実は、地下に潜む反乱軍にとって、何よりの希望の火種となった。
「すげぇ……。本当によかった」
ガルフは感極まったように鼻をすすり、そして居住まいを正した。
「ヒルダ様。……貴女に会わせたい方が、お待ちです」
ガルフが道を開ける。
その奥。
簡易的な作戦卓の前に、一人の少女が立っていた。
粗末な軍服に身を包んでいるが、その気品は隠しようもない。
透き通るような銀髪と、意志の強さを宿した青い瞳。
ミリア王女。
3年前、ヴィオラに心を奪われ、抜け殻となっていた少女。
だが今、彼女の瞳には、確かな理性の光が宿っていた。
「……ヒルダ」
ミリアが振り返る。
「ミリ……ア……様……」
瞬間、ヒルダはその場に膝をついた。
騎士の礼。
3年間、ずっと果たせなかった再会の儀式。
「ミリア様……。……ご無事で……」
ヒルダの声が震える。
謝罪の言葉が喉まで出かかった。
守れなかったこと。長い間、一人にさせてしまったこと。
だが、ミリアは首を横に振って近づき、跪くヒルダの手を取って立たせた。
「顔を上げてください、私の騎士」
ミリアの声は優しかった。
「謝らないで。……貴女が、どれほど傷つきながら私を守ろうとしてくれたか。そして、どれほどの想いで私の『心』を届けてくれたか。……全部、覚えています」
ミリアは胸に手を当てた。
そこには、ザインが届けた結晶が溶け込み、鼓動と共に温かな記憶を送り続けている。
「あの方……ザインと言いましたか。彼が届けてくれた結晶から、貴女の声が聞こえました。『必ず迎えに行く』と。……だから私は、暗闇の中でも怖くなかった」
「ミリア様……うぅ……ッ」
ヒルダの目から涙が溢れる。
鋼鉄の鎧の中に閉じ込められていた3年間。
その孤独と後悔が、主君の許しによって浄化されていく。
「おかえりなさい、ヒルダ。……そして、ありがとう」
ミリアは、かつてのようにヒルダに抱きついた。
子供の頃とは違い、背丈は伸びたが、その温もりは変わらない。
ヒルダも、震える腕で王女を抱きしめ返した。
周囲の兵士や市民たちが、静かにその光景を見守っている。
カノアも、ルミナも、フィーネも。
誰もが、この再会を祝福していた。
「……絵になってる」
カノアが鼻の下をこする。
「うん。……本当によかった」
ルミナが目を潤ませる。
ザインが命がけで届けた結晶が、確かにここで奇跡を起こしていたのだ。
ひとしきり泣いた後、ヒルダは涙を拭い、表情を引き締めた。
彼女は背中の大剣『プロメテウス』の柄に手をかけ、王女の前に立った。
「ミリア様。……私は一度、剣を捨てました」
ヒルダは静かに告げた。
「今の私は、既に、貴女だけの騎士ではありません。この旅で出会った仲間たちと共に、世界を守るために戦う一人の戦士です」
「はい」
ミリアは力強く頷いた。
「分かっています。……私も、守られるだけの王女ではいられません。この国を取り戻すために、私も戦います」
ミリアは作戦卓の上にある地図を指差した。
「現在、王都はヴィオラの暴走によって壊滅状態です。街を覆う紫の靄は、人々の生命力を吸い上げ、城へと送っています。……猶予はありません」
彼女の瞳は、指導者としての覚悟に満ちていた。
心を奪われていた空白の期間を埋めるように、彼女は必死に現状を把握し、指揮を執っていたのだ。
「私たちが率いるこの『暁の連隊』は、地下から一斉に蜂起し、城門周辺の敵を引きつけます。……その隙に」
ミリアはカノアたちを見た。
「貴方たち精鋭部隊が、手薄になった本丸――王城内部へ突入してください」
囮作戦。
だが、それは命がけの陽動だ。
数千の黒騎士団と、無数の魔獣を相手に、正面からぶつかることになる。
「……無茶な作戦だ。全員死ぬ気か?」
カノアが問うと、ガルフが不敵に笑った。
「死ぬ気なんてねぇよ。生きるために戦うんだ。……それに、俺たちには勝利の女神がついてるからな」
ガルフがルミナを見る。
ルミナは、自分の歌がここまで希望を繋いできたことを知り、背筋を伸ばした。
「任せてください。……私の歌で、みんなを守ります!」
「頼もしいわね。……さあ、行きましょう」
ヒルダが大剣を構え直す。
迷いはない。
奪われたものを取り返す旅は、ここで終わる。
ここからは、未来を掴み取るための戦いだ。
「作戦開始は、夜明けと同時に!!」
ミリア王女の号令が飛ぶ。
地下空洞に、どよめくような歓声が上がった。
暁の連隊。
夜明けと共に反撃を開始する、希望の軍勢。
カノアたちはその中心で、決戦の時を待つ。




