91話 腐食の終わりと、始まりの風
ルミナの歌声が、世界を鮮やかに塗り替えていく。
『聖詠・光響』。
白く輝くオーラを纏った三人は、光の矢となって『腐食の王』へと突き進んだ。
「キシャアアアアッ!!」
怪物が脅え混じりの咆哮を上げる。
本能が理解したのだ。目の前に迫る光が、自身の「腐敗と再生」のサイクルを強制的に終わらせる浄化の輝きであることを。
無数の触手が壁となって立ち塞がる。
だが、今の彼らに止まる理由はない。
「どきなさいッ!」
先陣を切ったのはヒルダだった。
大剣『プロメテウス』を横薙ぎに振るう。
『赤』の攻撃力と『蒼』の衝撃波が剣に乗る。
ズドンッ!!
触手の壁が、物理的に爆散した。
再生する暇など与えない。切り口が『翠』の光に焼かれ、植物の活動そのものが停止していく。
「すごい……! 身体が羽みたいに軽い!」
その隙間を、フィーネが駆け抜ける。
彼女は空中に浮かぶ触手の破片を足場にして、三次元的に跳躍した。
『内緒話』による状況伝達すら必要ない。
彼女が通り過ぎた後には、敵の注意を引きつける残像だけが残る。
「こっちだよ!」
フィーネが怪物の顔面(花弁)スレスレを飛び交う。
怪物が触手を振り回すが、全て空を切る。
その隙だらけになった胴体に、カノアが滑り込んだ。
「……見えた」
カノアの『心眼』が、怪物の深奥にある魔力の結節点を捉える。
森全体からエネルギーを吸い上げているパイプラインの集合体。
あそこを断てば、この怪物は枯れる。
カノアは『黒鉄』を構えた。
刀身が純白に輝いている。
師の重み、ドワーフの魂、そしてルミナの祈り。
全てが一つになった刃。
――『空間転移』。
カノアが投げたナイフが、怪物の花弁の奥へと吸い込まれる。
次の瞬間、カノア自身がそこに出現した。
腐食の王の、心臓部。
「森で寝てな」
カノアは静かに告げ、剣を突き出した。
ズプッ。
抵抗はなかった。
光の刃は、汚泥の肉を浄化しながら貫通し、その奥にあるドス黒い核を粉々に砕いた。
パキィィィィン……!
澄んだ音が密林に響き渡る。
怪物の動きがピタリと止まった。
次の瞬間、巨体が内側から崩れ落ち、ただの泥と枯れ木へと戻っていく。
それと同時に、背後にそびえ立っていた黒い柱――『第四の楔』もまた、支えを失って音もなく崩壊した。
◇
戦いが終わると、森の空気が一変した。
空を覆っていた分厚い緑色の雲が晴れ、木漏れ日が差し込んでくる。
鼻を突く腐臭は消え、雨上がりのような清々しい土の匂いが漂い始めた。
「……ふぅ」
カノアは剣を納め、額の汗を拭った。
ルミナの歌が止む。
身体を包んでいた光のオーラが消え、心地よい疲労感が戻ってくる。
「やった……! やったよ、みんな!」
ルミナがへたり込みながらも、満面の笑みで手を振る。
魔力を使い果たしたはずなのに、その瞳は達成感でキラキラと輝いていた。
「ええ。完璧な勝利ね」
ヒルダが剣を地面に突き立て、息を整える。
傷一つない。
生身の身体での戦闘にも、完全に適応している。
「あー、楽しかった! ボク、あんなに速く走れたの初めてかも!」
フィーネがカノアの肩に飛び乗る。
長い耳が嬉しそうにパタパタと動いていた。
「お疲れ様。……みんなのおかげだ」
カノアは仲間たちを見渡した。
雪山、火山、渓谷、密林。
長い旅だった。
だが、ついに成し遂げた。
大陸の四方に打ち込まれていた『楔』は、これですべて破壊された。
「……見て」
カノアが西の空を指差す。
木々の隙間から見える、遥か彼方。
王都の方角。
そこを覆っていた黒いドーム状の結界が、薄れ、陽炎のように揺らぎ始めていた。
供給源を断たれ、維持できなくなっているのだ。
「壁が、消えていくわ」
ヒルダが呟く。
絶対防御の檻が解かれ、王都への道が開かれようとしている。
「いよいよだね」
ルミナが立ち上がり、スカートの泥を払った。
その表情に、もう迷いはない。
「ヴィオラのところへ行こう。……今度こそ、決着をつけるために」
「そうだな」
カノアは拳を握りしめた。
奪われた瞳。
奪われた顔。
歪められた運命。
それら全てにケリをつける時が来た。
ザインは今頃、どうしているだろうか。
もしかしたら、王都の中で俺たちを待っているのかもしれない。
敵としてか、それとも――。
「出発しよう」
ついに、一行は歩を進める。王国の中心。
魔女ヴィオラが待つ、最後の決戦の地へ。




