85話 赤竜の断末魔
ドワーフの隠れ里を後にしたカノアたちは、火山の最深部、火口湖へと辿り着いた。
そこは、この世の地獄を具現化したような場所だった。
視界を埋め尽くすのは、煮えたぎるマグマの海。
ボコッ、ボコッという不気味な音と共に、赤黒い溶岩が跳ね上がり、有毒なガスが立ち込めている。
気温は優に100度を超えているだろう。
ルミナの『聖詠・翠』による加護がなければ、立っているだけで肺が焼け焦げてしまうほどの灼熱地獄だ。
「……あれが、『第二の楔』ね」
ヒルダが汗を拭いながら、湖の中央を指差した。
マグマの海に浮かぶ小さな岩の孤島。
そこに、周囲の熱気を吸い上げて脈打つ、禍々しい黒い柱が立っている。
王都の結界にエネルギーを供給するパイプラインだ。
そして、その柱を守るようにして、巨大な影が鎮座していた。
「グオオオオオオオッ!!」
侵入者に気づいた影が、咆哮を上げる。
空気がビリビリと振動し、マグマが波打つ。
『火山竜』。
全長30メートルを超える巨体は、鋼鉄よりも硬い真紅の結晶鱗で覆われ、背中からは溶岩のような熱を放つ棘が生えている。
雪の女王や、泉の守護獣にも劣らない、災害級の魔獣だ。
「……デカイわね。それに、あの魔力密度。以前の私なら、一撃受けるだけで鎧が溶けていたかもしれないわ」
ヒルダが呟く。
だが、その声に焦りや恐怖はない。
彼女は背中の留め具を外し、新たなる相棒――大剣『プロメテウス』を引き抜いた。
ズンッ。
剣を構えただけで、空気が重く沈んだ気がした。
ヒヒイロカネと龍骸鉄で鍛えられた超重量級の刃。
赤黒い刀身が、周囲のマグマの熱を吸ってドクンドクンと脈打ち、まるで生き物のように戦いを渇望している。
「カノア、どうする? 作戦は立てる?」
「いらないよ」
カノアは一歩前に出た。
腰の『黒鉄』に手を添える。
鞘越しに伝わってくる鼓動。
以前のボロボロの剣なら、この熱気だけで悲鳴を上げ、亀裂が広がっていただろう。
だが、今の相棒は違う。
もっと魔力を寄越せと、持ち主を煽るように共鳴している。
指先から流し込んだ魔力が、一切のロスなく刀身の隅々まで行き渡る感覚。
(……体の一部みたいだ)
カノアはニヤリと笑った。
相手はドラゴンの王。本来なら死力を尽くして挑むべき強敵だ。
だが、今の彼らには負けるビジョンが全く見えなかった。
「ただの試し斬りだ。……サクッと終わらせよう」
カノアの余裕を侮辱と受け取ったのか、赤竜が大きく口を開けた。
喉の奥で、赤、青、白と色が変わりながら、超高熱のブレスが圧縮されていく。
岩をも一瞬で蒸発させる、灼熱の吐息。
「来ます! 避けて!」
ルミナが叫ぶ。
だが、カノアもヒルダも動かない。
ズゴオオオオオッ!!
極太の火柱が放たれた。
空間を焼き尽くし、二人を飲み込む――その寸前。
「……邪魔よ」
ヒルダが、無造作に大剣を振るった。
ただの横薙ぎ。
魔力による強化も、必殺技の名前もない、純粋な腕力による一振り。
だが、その質量が生んだ風圧は、台風のような破壊力を持っていた。
ボォォンッ!!
炎が、叩き斬られた。
物理的な衝撃波が熱波を弾き飛ばし、そのまま直進して赤竜の顔面に直撃する。
「ギャッ!?」
巨体が大きく揺らぐ。
最強の攻撃を、ただの風圧でかき消されたことに、竜が困惑している。
「硬い剣ね。……これなら、いくら力を込めても壊れないわ」
ヒルダが嬉しそうに笑う。
生身に戻ってからの「魂と肉体のズレ」も、この剣の圧倒的な重量がバランサーとなって埋めてくれる。
全力で振れる。
その喜びが、彼女の闘志を加速させる。
「次は俺だ」
ナイフを投擲し、カノアが消えた。
――『空間転移』。
出現したのは、赤竜の頭上。
竜が反応し、鋼鉄よりも硬い鱗で覆われた尻尾を、鞭のようにしならせて振り回す。
音速を超える一撃。
以前なら、避けて隙を探していただろう。
壊れかけの剣では、受け止めることも斬ることもできなかったからだ。
だが。
「……怖いくらい見えすぎてる」
カノアの『心眼』には、竜の動きが止まって見えた。
そして、『黒鉄』が導き出す「切断線」が、赤く輝いて見える。
どんなに硬い装甲でも、魔力の継ぎ目はある。原子の結合が甘い瞬間がある。
この剣なら、そこを「断つ」ことができる。
ザンッ。
軽い音だった。
カノアがすれ違いざまに一閃する。
抵抗がない。
まるで空気を斬ったかのような手応え。
だが直後、赤竜の尻尾が、根元から滑るように切断され、マグマの中へ落ちた。
ドボンッ! と溶岩が跳ねる。
「ギョエエエエッ!?」
絶叫。
豆腐のように斬られたことに、竜自身が一番驚き、痛みにのたうち回る。
「バターみたいに斬れるぞ……これ」
カノアが剣を見る。
刃こぼれ一つない。
それどころか、竜の血を吸って、刀身が妖しく輝きを増している。
魔力を通せば通すほど、切れ味が増していく魔剣。
「カノア! ヒルダ! いっけぇー!」
ルミナが後方から声を張り上げる。
彼女の歌声が、二人の背中を押す。
『聖詠・勇気の赤』。
ただでさえ規格外の攻撃力が、さらに跳ね上がる。
今の三人には、もはや敵などいない。
「終わりにするわよ、カノア!」
「ああ」
二人が同時に跳んだ。
赤竜が死に物狂いで爪を振るうが、止まらない。
ヒルダが大剣をハンマーのように叩きつけ、竜の頭蓋を粉砕して地面に縫い止める。
その隙に、カノアが懐に潜り込む。
「心臓はここか」
『心眼』が捉えた一点。
分厚い胸板の奥、高熱の魔力が渦巻く中心点。
カノアは『黒鉄』を突き出した。
抵抗はない。
肋骨も、筋肉も、魔力障壁も。
すべてを透過するように貫き、心臓を破壊する。
ズドォォンッ……!
赤竜が崩れ落ちる。
断末魔すら上げられない、完全なる即死。
マグマの海に巨体が沈み、静寂が戻る。
圧倒的だった。
かつてあれほど苦戦した雪の女王と同格の相手が、手も足も出ずに沈んだのだ。
「……ふぅ。いい運動になったわ」
ヒルダが大剣を肩に担ぐ。
息一つ切れていない。
その顔は、全盛期の近衛騎士団長としての自信に満ち溢れていた。
「全くだ。……ようやく、スタートラインに立てた気がする」
カノアは剣を振って血を払い、鞘に納めた。
カチャン、という音が心地よく響く。
もはや、武器が壊れる恐怖はない。
全力で戦える。その事実が、カノアたちに確かな自信を与えていた。
カノアは、孤島に残された『第二の楔』――黒い柱に向かって歩き出した。
一撃。
柱が砕け散り、王都への供給ラインがまた一つ断たれる。
残るは二つ。
「次は西だ。……『風の渓谷』」
カノアが方角を見据える。
そこには、一筋縄ではいかない厄介な迷宮が待っているはずだ。
だが、今の彼らに不安はない。
「行こう」
灼熱の地を背に、三人は次なる戦場へと向かう。
その足取りは、王者の風格さえ漂わせていた。




