84話 魂を打つ音
ガンテツの工房の最奥。
分厚い鉄扉を開けた先には、地獄の釜の底のような空間が広がっていた。
地脈から直接引き込まれたマグマが、床下の溝を轟音と共に流れている。
室温は優に50度を超え、呼吸をするだけで肺が焼けるような熱気だ。
「……くっ……暑い」
カノアは上着を脱ぎ捨て、鍛冶用の厚手の革エプロンを身につけた。
汗が噴き出し、瞬く間に肌を伝い落ちる。
目の前には、巨大なミスリルの金床。
そして、ガンテツが炉から取り出した、太陽のように輝くインゴットがあった。
「いいか、坊主」
ガンテツが火箸でインゴットを固定する。
その素材は、ただの鉄ではない。
この火山帯の深層でしか採掘できない希少金属『龍骸鉄』と、カノアがここまで使い続けてきた愛剣の破片を溶かし合わせ、再精製したものだ。
「これから打つのは、ただの武器じゃねぇ。お前そのものだ」
ガンテツの厳めしい声が響く。
「お前の目は、世界を見通すんだろ?だったら、その剣も同じじゃなきゃならねぇ。……お前の魔力、反応速度、そして意志。それら全てを叩き込んで、鉄の組成そのものを書き換えるんだ」
「……ああ。分かってるよ」
カノアはハンマーを握りしめた。
ずしりと重い。
その重さが、失った師匠の剣の重さと重なる。
師匠から受け継いだ剣は砕けた。だが、その魂はまだここにある。
鉄の中に溶け込んだ師匠の想いを、俺の手で新しい形に生まれ変わらせるんだ。
「いくぞ!」
ガンテツが大鎚を振り下ろす。
カーンッ!
甲高い音が鼓膜を震わせ、火花が散る。
カノアも続く。
『心眼』を極限まで集中させる。
ただ叩くのではない。鉄の内部にある熱の伝わり方、不純物の位置、分子の配列。それら全てを把握し、自分の魔力を流し込みながら、理想の形へと誘導していく。
(……硬いな)
龍骸鉄は頑固だ。
生半可な打撃では、びくともしない。
ハンマーを振るたびに、衝撃が腕を駆け上がり、骨を軋ませる。
カン、カン、カン……。
工房の外では、ルミナとヒルダが心配そうに扉を見つめていた。
中に入りたくても、鍛冶の邪魔になるため近づけない。
ただ、漏れ聞こえてくる音を聞くことしかできない。
「……音が、変わったわね」
ヒルダが呟く。
最初はバラバラだった二つのハンマーの音が、次第にリズムを合わせ、一つの大きな鼓動のように重なり始めていた。
師匠と弟子のような、阿吽の呼吸。
「カノア……頑張って」
ルミナが胸の前で手を組む。
彼女には分かる。カノアが今、自分の過去と未来、その全てをかけて戦っていることが。
◇
時間は過ぎていく。
一時間、二時間……いや、半日が過ぎただろうか。
熱気による脱水と、魔力の消耗で、カノアの意識は朦朧とし始めていた。
腕は鉛のように重く、視界(心眼)も霞んでくる。
「……ハァ、ハァ……ッ」
ハンマーを握る手の皮が剥け、柄が血で滲む。
足元の床には、汗の水溜まりができていた。
「どうした、坊主! 手が止まってるぞ!」
ガンテツの檄が飛ぶ。
止まれば、鉄が冷える。
失敗すれば、二度と同じ素材は手に入らない。
師匠の形見も、永遠に失われる。
(……負けるか)
カノアは歯を食いしばった。
ここで諦めたら、師匠になんて顔向けすればいい。
ザインに啖呵を切ったんだ。
ヴィオラの元へ行くんだろ。
ルミナの顔を取り戻すんだろ。
ヒルダの居場所を守るんだろ。
だったら、こんなところでへばってる場合じゃない。
(思い出せ……師匠の稽古を)
幼い頃。
雨の日も風の日も、師匠は剣を振っていた。
『剣は身体の一部だ』
『呼吸を合わせろ。鉄の声を聞け』
「……聞こえる」
カノアの『心眼』が、さらに奥深くへ潜る。
熱のノイズの向こう側。
鉄の原子が振動する音。マグマの熱が、自分の鼓動とリンクするリズム。
世界がスローモーションになる。
「……もっとだ。もっと深く、鋭く……!」
カノアは、自身の全魔力をハンマーに込めた。
叩くのではない。
鉄の中に眠る「剣の魂」を、外へ引きずり出すイメージ。
――見えた。
鉄の中に眠る、最強の剣の「形」が。
それは、誰かを傷つけるための凶器ではない。
大切なものを守り、閉ざされた道を切り拓くための、澄み渡った刃。
「そこだッ!」
カノアが渾身の一撃を叩き込む。
キィィィィン!!
高周波のような澄んだ音が響き渡り、工房全体が白い光に包まれた。
不純物が弾け飛び、鉄が新たな組成へと昇華する瞬間。
カノアはハンマーを取り落とし、その場に膝をついた。
もう、指一本動かせない。
だが、その顔には満ち足りた笑みが浮かんでいた。
「……へへ。どうよ、ガンテツの爺さん」
カノアが顔を上げる。
金床の上には、一本の剣が冷え固まっていた。
装飾などない、極限まで無駄を削ぎ落としたシンプルな剣。
だが、その刀身は不思議な色をしていた。
見る角度によって透明にも、黒にも、虹色にも見える、定まらない色。
持ち主の魔力を映し出す、魔力感応金属。
「……上出来だ。百点満点だぜ」
ガンテツが、完成した剣をジュウウゥゥ……と水桶に浸す。
白い蒸気が上がり、焼き入れが終わる。
「こいつは、お前の魂そのものだ。……名前をつけてやんな」
ガンテツが研磨を終えた剣を差し出す。
カノアは震える手で、その柄を握った。
しっくりくる。
まるで、最初から体の一部だったかのように、魔力が吸い込まれていく。
師匠の剣の重みと、自分の新しい力が混ざり合った、最高の相棒。
『ねぇ師匠。師匠のその剣って、名前あるの?』
『あるぜ。つっても、見た目に合わせて適当につけた名だけどな』
『なんて名前なの?』
「…… 『黒鉄』」
カノアは、その言葉を口にした。
「一瞬の迷いもなく、今この時を切り裂く剣。……過去でも未来でもなく、今を生きるための……師匠の剣と同じ名の剣だ」
「フン、悪くねぇ名だ。……大事にしな」
カノアは剣を鞘に納めた。
カチャリ、と小気味よい音が鳴る。
これで戦える。
グレンの思いも、自分の覚悟も、全部乗せて。
「……ありがとう、爺さん。最高の剣だね」
カノアは柔らかく微笑んだ。
その顔には、もう迷いも焦りもなかった。
あるのは、静かな自信だけ。
工房の扉が開く。
熱気に耐えかねて待っていたルミナとヒルダが、カノアの姿を見て駆け寄ってくる。
「カノア!」
「完成したのね!」
カノアは二人に向かって、新しい剣を掲げて見せた。
その刀身が、工房の火明かりを受けて虹色に輝く。
「お待たせ。……行こうか。第二の楔を壊しに」
準備は整った。
最強の剣と、最強の目。
そして、全てを包み込む癒しの歌。
あとは、この灼熱の大地の主を倒すだけだ。
三人は、火山地帯の最深部――『第二の楔』がある火口湖へと向かった。
新たな武器を携え、彼らの足取りはかつてないほど力強かった。




