83話 砕け散る刃
灼熱の門の前で、カノアと炎の番人が対峙する。
カノアは鞘から剣を抜き放った。
その刀身は黒く焼き付いており、無数の亀裂が走っている。
まるで、持ち主の覇気だけで辛うじて形を保っているガラス細工のようだ。
「……愚かな」
イフリートが低い声で唸る。
「そのなまくらで、我が溶岩の鎧を穿てるとでも?」
「なまくらじゃない。……こいつは、俺の相棒だよ」
カノアは剣を構えた。
『心眼』が、イフリートの全身を包む炎の揺らぎを捉える。
隙はない。
圧倒的な熱量と質量。触れれば蒸発するほどの高エネルギー体。
だが、カノアには視えていた。
炎の渦の中心。魔力炉となっている「核」へと続く、針の穴ほどの一本の線が。
(……一撃だ)
何度も打ち合う余裕はない。
剣が持たない。
最初の一撃で、全てを決める。
「行くぞッ!」
カノアが地面を蹴る。
イフリートが反応し、巨大な炎の拳を振り下ろす。
「灰になれ!」
熱波が襲う。
カノアは避けない。真正面から突っ込む。
「カノア!」
ルミナが悲鳴を上げる。
炎がカノアを飲み込む――その寸前。
――『空間転移』。
カノアが、手に持っていた剣を放り投げたわけではない。
彼自身が、剣と共に「消えた」のだ。
いや、正確には違う。
彼は剣の切っ先をマーカーにして、コンマ数秒後の未来の位置へと、自分自身を強引に押し込んだのだ。
ザンッ!!
一閃。
炎の拳をすり抜け、カノアの姿がイフリートの懐に出現する。
その手には、振り抜かれた愛剣が握られていた。
カノアの刃が、イフリートの胸にある核を正確に捉え、叩いた。
パキィィィィィン……!
澄んだ音が、火口に響き渡った。
それは、イフリートの核が砕ける音ではなかった。
カノアの手の中で、黒鉄の剣が粉々に砕け散った音だった。
「……あ」
カノアが息を呑む。
剣の破片が、キラキラと光を反射しながら溶岩の中に落ちていく。
手元に残ったのは、無惨に折れた柄だけ。
届かなかったのか。
俺の剣は、ここで終わるのか。
「……見事だ」
重々しい声が響いた。
イフリートの動きが止まっていた。
彼の胸――溶岩の鎧には、深々とした亀裂が走っていた。
核までは届いていない。だが、その一撃は確実に番人の守りを貫いていた。
「剣は砕けた。だが、その『意志』は我が核を震わせた」
イフリートの炎が、スゥッと鎮火していく。
巨体が岩へと戻り、門の横へと退いた。
「通れ、人間。……失った刃を弔い、新たな鉄を打つ資格を認めよう」
道が開かれた。
カノアは、手の中にある柄を見つめ、そして静かにそれを懐にしまった。
「……サンキューな。お前のおかげで、ここまで来れたよ」
相棒への感謝。
喪失感はある。だが、不思議と後悔はなかった。
剣は、最期の瞬間にカノアを守り、その役割を全うしてくれたのだから。
◇
門をくぐると、そこには別世界が広がっていた。
巨大な空洞の中に、石造りの建物がひしめき合う地下都市。
あちこちから煙突が突き出し、白い蒸気と黒い煙を吐き出している。
カン、カン、カン!
心地よい金属音が絶え間なく響き、活気に満ちた職人たちの街。
ドワーフの隠れ里、『鉄火の里』だ。
「……すごい熱気ね」
ヒルダが汗を拭う。
街全体が巨大な炉のようだ。
行き交うのは、背は低いが丸太のような腕をしたドワーフたち。彼らはカノアたちを見ても驚く様子はなく、むしろ「骨のある客が来た」とニヤニヤ笑っている。
「まずは長に挨拶だ。……話はそれからだ」
カノアたちは、街の一番高い場所にある工房へと向かった。
そこには、一際大きなハンマーを振るう、白髭の老ドワーフがいた。
「おう、番人を抜けてきた人間ってのはお前らか!」
ドワーフの長、ガンテツ。
彼はカノアを見るなり、豪快に笑った。
「いい面構えだ。それに、そっちの姉ちゃんもな」
ガンテツの視線がヒルダに向く。
彼は作業の手を止め、ヒルダの周りをぐるりと回った。
「ほう……。一度死んで、生き返った体か。魂と肉体のサイズが合ってねぇな。……そりゃあ動きにくいだろうよ」
「……分かるのですか?」
ヒルダが驚く。
「鍛冶師の目は誤魔化せねぇよ。……今のままじゃ、いくらいい剣を持っても振り回されるだけだ。アンタに必要なのは、その『ズレ』を埋めるための、重しだ」
ガンテツは工房の奥へ歩いていき、何やら巨大な物体を引きずってきた。
ズズズ……と地面を削る音がする。
それは、剣というより分厚い鉄の塊だった。
「これだ」
ドンッ!
目の前に置かれたのは、全長2メートルを超える大剣。
だが、ただの大剣ではない。
刀身は赤黒く輝く『緋緋色金』で鍛えられており、熱を放っている。
「名剣『プロメテウス』。……重すぎて誰も扱えねぇ失敗作だが、アンタならどうだ?」
ヒルダはゴクリと喉を鳴らした。
その剣を見た瞬間、血が騒いだ。
彼女は無言で柄に手を伸ばす。
ずしり、と手首に掛かる重量感。
普通の人間なら持ち上げることすら不可能な重さが、今の彼女には心地よかった。
鎧を着ていた頃の、「重さ」という感覚が蘇る。
「……ふっ!」
ヒルダが気合と共に剣を持ち上げる。
ブンッ!
一振り。
風圧だけで工房の道具が吹き飛ぶ。
「……軽い」
ヒルダが呟く。
重いはずの剣が、まるで体の一部のように馴染む。
肉体と魂のズレを、この剣の圧倒的な質量が埋めてくれているのだ。
これなら、全力で振れる。
「いい剣ね。……気に入ったわ」
ヒルダが笑う。
その姿は、かつての鎧姿よりも勇ましく、そして輝いていた。
「へっ、貰ってくれりゃあせいせいするぜ。……で、坊主。お前はどうする?」
ガンテツがカノアに向き直る。
カノアは懐から、折れた剣の柄を取り出した。
「……俺の相棒は、もういない。新しい剣が欲しい」
ガンテツは柄を受け取り、しげしげと眺めた後、首を横に振った。
「こいつはいい剣だった。お前の無茶によく耐えたよ。……だがな、坊主。俺の店には、お前に合う剣はねぇぞ」
「え?」
「この無茶のさせ方を見る限り、普通の剣じゃ、お前の反応速度についていけずに、またすぐに折れちまうだろうよ」
ガンテツはカノアの目隠しを指差した。
「お前が本当に自分に釣り合う剣を欲しがるなら……お前自身の手で打つしかねぇ」
「俺が……打つ?」
「ああ。自分の魂を叩き込んで、世界に一本だけの剣を作るんだ。……覚悟はあるか?」
カノアは拳を握りしめた。
失ったものを嘆く時間は終わった。
次は、自分の手で生み出す番だ。
「……やってみたい」
灼熱の鍛冶場で、新たな試練が始まる。
ヒルダは最強の剣を手に入れた。
そしてカノアは、自分だけの刃を掴み取るために、炎の中へと足を踏み入れる。




