82話 灼熱の門
北の雪山から南下すること数日。
カノアたちが足を踏み入れたのは、大陸の南端に位置する火山地帯『赤竜の顎』だった。
視界の全てが、赤と黒に染まっている。
荒涼とした岩肌からは絶えず黒煙が噴き上がり、地面のひび割れからは煮えたぎるマグマが覗いている。
「……暑い」
ルミナが額の汗を拭いながら呻く。
呼吸をするたびに、肺の中が焼けるようだ。
ヒルダも髪を束ね直し、流れる汗を拭う。生身に戻ったばかりの身体に、この極端な環境変化は堪える。
「ここが『第二の楔』がある場所……。でも、まずはカノアの剣ね」
ヒルダが先頭を歩くカノアを見る。
カノアは黙々と歩いていたが、その手は無意識に腰の剣柄に触れていた。
「……ああ」
カノアは短く答える。
『心眼』で視るまでもない。
鞘越しに伝わってくる剣の振動が、不協和音を奏でている。
刀身の内部に入った無数の亀裂が、歩く振動だけで広がりつつあるのが分かった。
あと一回。
本気で振れば、その瞬間に砕け散る。
「伝説の鍛冶師がいるって話だけど……本当なの?」
ルミナが不安そうに周囲を見渡す。
生物の気配などない、死の世界だ。
「いるさ。……この熱気の中に、混ざってる」
カノアは立ち止まり、意識を集中させた。
この一帯は、地脈のエネルギーが暴走している。
マグマの熱、噴煙の動き。それら全てが強烈な「色」を持って視界を埋め尽くすノイズだ。
だが、その混沌の中に、規則正しいリズムがある。
カン、カン、カン……。
自然界には存在しない、金属を鍛える音。
そして、制御された「秩序ある炎」の魔力。
「……あっちだ。火口の近く」
カノアが指差した瞬間、岩陰からズルリと赤い影が這い出してきた。
『火炎蜥蜴』。
全身が溶岩のような鱗で覆われた巨大なトカゲだ。一匹ではない。十匹近い群れが、獲物を見つけて殺到してくる。
「カノア! 来るわよ!」
ヒルダが剣を抜く。
サラマンダーが飛びかかってきた。
カノアは反射的に柄に手をかけたが――指が止まった。
(……ここで硬い鱗を叩けば、終わる)
一瞬の躊躇。
その隙を突かれ、サラマンダーの灼熱の尾が迫る。
「くっ!」
カノアは剣を抜かず、無様に転がって回避した。
「……下がってて!」
ヒルダが飛び込み、サラマンダーの頭を叩き割る。
ガキンッ!
彼女の剣もひん曲がるが、構わずに蹴りで追撃し、トドメを刺す。
「ルミナ、支援を!」
「うん! 『聖詠・翠』!」
ルミナの歌声が響き、熱気を和らげる涼やかな風が三人を包む。
ヒルダが前衛で体を張り、ルミナが支える。
カノアは、ただ魔獣の攻撃を避けることしかできなかった。
武器がないことの無力さ。
「……悪い、ヒルダ」
「気にするなとは言えないわね。……早く見つけないと、それに、急ごしらえの私の剣もそう長くは保たないわ」
魔獣の群れを退けたヒルダが、ボロボロになった剣を見てため息をつく。
カノアは頷き、再び歩き出した。
急がなければ。
火口付近。
そこに、巨大な一枚岩の壁が立ち塞がっていた。
高さ数十メートルはある絶壁。
その中央に、不自然な亀裂が走っている。
「ここだ」
カノアが確信する。
亀裂の奥から、轟音と共に灼熱の風が吹き出している。
だが、その風には明確な「結界」の味が混じっていた。
内部を隠蔽している聖域。
ドワーフの隠れ里への入り口、『灼熱の門』だ。
だが、門の前には先客がいた。
地面のマグマ溜まりから、ゆっくりと巨人が起き上がる。
全身が燃え盛る炎と溶岩で構成された、魔人。
『炎の番人』。
ドワーフたちが、自分たちの聖域を守るために配置した自律防衛システムだ。
「……帰れ、人間」
番人が低い声で唸る。
その声だけで、周囲の空気が振動し、熱波が襲いかかる。
「ここは職人の聖地。……半端な覚悟の者が足を踏み入れれば、骨まで灰になるぞ」
殺気。
ただの侵入者除けではない。
「覚悟」を試すための、圧倒的な暴力の壁。
カノアは一歩前に出た。
剣の柄に手を添える。
ここで抜けば、剣は壊れるかもしれない。
だが、抜かなければ、道は開けない。
剣士として、相棒の最期をどう使うか。
「……通してもらう」
カノアは静かに言った。
「俺には、どうしても必要なものがあるんだ。……この剣が折れても、魂までは折れないことを証明してやる」
番人の炎が燃え上がる。
試練の幕開け。
カノアは覚悟を決め、限界寸前の剣を抜いた。




