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80話 深愛の聖詠


 再会の幕開けは、静寂ではなく、轟音と共に訪れた。


『――裏切り者』


 玉座に浮かぶリゼの唇が動き、無機質な声が響く。

 だが、次の瞬間、彼女の声色は一変した。

 幼く、震えるような、かつてザインが誰よりも愛した妹の声へ。


『お兄ちゃん……どうして? 私を殺すの?』


 精神攻撃。

 ザインの心を抉るためだけに用意された、ヴィオラの悪趣味なプログラム。


 だが。


「……黙れ、ガラクタ」


 ザインは眉一つ動かさなかった。

 迷いなく鞭を振り抜く。

 漆黒の閃光がリゼの頬を掠め、氷の玉座を打ち砕く。


「その声で私を呼ぶな。……私の妹は、そんな機械的な目はしていない!」


 ザインの叫びと共に、彼が展開した結界がリゼの『言霊』を相殺する。

 覚悟はとうに決めている。

 目の前にあるのは妹ではない。妹を閉じ込める檻だ。


『――交渉決裂。脅威度判定、修正』


 リゼの瞳から人間らしさが消え、再び冷徹な光が宿る。

 彼女の視線が、ザインを通り越し、その後ろにいるルミナを捉えた。


『最大脅威ハ、歌いディーヴァ。……最優先デ排除シマス』


 リゼが理解したのだ。

 この場で唯一、システムに干渉しうる「歌」を持つルミナこそが、倒すべき敵であると。


「なッ!?」


 ルミナの周囲に、無数の魔法陣が展開される。

 逃げ場のない、全方位からの氷槍射出。

 カノアもヒルダも、それぞれの敵に阻まれて動けない。


『――死ね』


 言霊と共に、数百の氷槍がルミナへ放たれた。

 直撃すれば、肉片すら残らない。


「ルミナッ!!」


 カノアが絶叫する。

 間に合わない。

 そう思った瞬間、黒い影がルミナの前に躍り出た。


 ザインだ。


 彼は防御魔法を展開する時間すら惜しみ、生身の体でルミナを覆い隠した。


「ぐぅぅぅッ!!!」


 ドスッ、ドスッ、ドスッ!

 鈍い音が連続して響く。

 ザインの背中、腕、そして脇腹を、氷の槍が無慈悲に貫く。

 鮮血が舞い、純白の床を赤く染める。


「ザ、ザインさん……!?」


 ルミナが目を見開く。

 ザインは血を吐きながらも倒れず、ルミナを守り切っていた。


「……勘違いするな」


 ザインは膝をつきながら、苦しげに笑った。


「お前が死ねば……リゼを救う手段がなくなる。……これは、合理的な判断だ」


「そんな……! こんな傷……!」


 ルミナの手が震える。

 ザインの傷は深い。内臓をいくつも貫かれている。

 普通の人間なら即死レベルだ。


「……退がれ、ルミナ。カノアたちの所へ行け」


 ザインはルミナを突き飛ばし、ふらつきながら立ち上がった。

 そして、懐から禍々しい色の魔石を取り出した。


「やはり、私では守りきれんか。……ならば、せめて道連れに」


 自爆用の術式。

 自分の命をトリガーにして、対象の魔力回路を強制停止させる禁断の呪い。

 リゼの暴走を止めるには、これしかない。

 ザインの瞳に、暗い決意の光が宿る。


「リゼ……。一人では逝かせん。お兄ちゃんも、すぐに……」


 パシッ!


 その腕を、カノアが掴んだ。

 転移で駆けつけたカノアが、ギリギリと骨がきしむほどの力でザインの手首を握りしめている。


「……だめだ」


 カノアの声は低く、怒りに満ちていた。


「勝手に終わらせるな。……妹さんが最期に見たいのは、兄貴の死に顔なんかじゃないだろ!」


「放せ! これしか方法がない!」


 ザインが叫ぶ。血涙が頬を伝う。


「あいつはもう壊れている! 身体も、心も、ヴィオラの呪いでグチャグチャだ! 私が一緒に死んでやるのが、せめてもの情けだ!」


「ある! 俺たちならできる!」


 カノアはザインの手を振り払い、ルミナを見た。


「ルミナ! 頼む……あの子に、届けてくれ」


「……えっ?」


「あいつの『言霊』は、言葉で命令する力だ。……なら、それを上書きできるのは『祈り()』しかない!」


 カノアは、玉座のリゼを指差した。


「届けるんだ! 偽物の声じゃなくて、本物の想いを! ……ザインの声を、君が代わりに届けるんだ!」


 ルミナがハッとする。

 彼女はザインを見た。

 血まみれになりながら、それでも妹を想い、自分を庇ってくれた不器用な兄。

 そして、氷の中で凍りついている少女。


(……助けなきゃ)


 ルミナは共鳴石を握りしめた。

 彼女には分かる。

 リゼの魂が、氷の奥底で泣いているのが。

 『お兄ちゃんを傷つけたくない』と叫んでいるのが。


「……聴いて。貴女の本当の声を」


 ルミナが前に出る。

 リゼが反応し、再度攻撃態勢に入る。

 だが、もう遅い。

 カノアが、ヒルダが、盾となってルミナの前に立つ。


 そして、ルミナが息を吸い込んだ。

 歌うのは、癒やしでも、攻撃でもない。

 ただ一つの「愛」を伝える歌。


 ――『聖詠(アリア)深愛(カリタス)』。


 響き渡る歌声。

 それは、深く、澄み渡る海の底から、空へと昇っていく泡のような旋律。

 言葉にはできない想い。

 言葉では伝えきれない愛。

 それを、音に乗せて届ける。


 歌声が、言霊の波動と衝突する。

 空間が震え、氷のドームに亀裂が走る。

 『死ね』『凍れ』という命令が、歌に包まれて無効化されていく。


「……リゼッ!!」


 ザインが叫ぶ。

 魔石を捨て、彼は血まみれの手を妹に向かって伸ばした。

 彼の魂の叫びが、ルミナの歌に乗って増幅される。

 兄の想いが、歌という翼を得て、閉ざされた氷の檻を叩く。


 パリンッ……。


 小さな音がした。

 リゼの頬に、一筋の亀裂が入る。

 そこから、温かい光が漏れ出した。


 次の瞬間、玉座の氷が砕け散った。

 中から、少女の身体が投げ出される。


「リゼ!」


 ザインが駆け寄り、その身体を受け止める。

 冷たい。

 氷のように冷たい身体。

 だが、その瞳に宿っていた無機質な光は消え、本来の優しい色が戻っていた。


「……お兄、ちゃん……?」


 声帯はない。声は出ない。

 だが、ザインの脳内に、確かに彼女の声が響いた。

 最期の言霊。

 それは命令ではなく、心からの言葉。


「リゼ……! すまない、すまない……! 私が弱かったから……!」


 ザインが泣き崩れる。

 リゼは、動かない手でザインの頬に触れた。


『泣かないで。……私、嬉しかったよ』


 彼女の身体が、光の粒子となって崩れ始める。

 5年間、無理やり維持されていた肉体の限界。

 呪いが解けた今、彼女は土に還るしかない。


『お兄ちゃんが、私を忘れないでいてくれて。……ずっと、守ろうとしてくれて』


「死ぬな……! 行くな……! やっと、やっと助け出したのに……!」


 ザインが光をかき集めようとする。

 だが、粒子は指の間をすり抜けていく。


『……お兄ちゃん。私ね、お兄ちゃんが笑っている顔が、一番好きだったよ』


 リゼが微笑む。

 その笑顔は、雪解けの水のように透明で、美しかった。


『だから、生きて。……私の分まで、笑って』


 最期の願い。

 リゼの姿が完全に消滅し、あとには一つの結晶だけが残された。


 氷色の、美しい石。

 ザインがずっと探していた「記憶の欠片」と融合し、完全な形となった彼女の魂。


「……うぅぅッ!!」


 ザインの嗚咽が、氷の城に木霊する。

 カノアたちは、ただ静かにそれを見守っていた。

 かける言葉はない。

 だが、その背中には、確かな温もりが残されていた。


 妹は逝った。

 だが、ザインは生き残った。

 彼女の最期の言葉が、彼を現世に繋ぎ止めたのだ。


 吹雪が止む。

 雲の切れ間から、一筋の光が差し込み、ザインと、彼の手の中にある結晶を照らしていた。

 それは、長い冬の終わりを告げる、春の光のようだった。


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