79話 凍てつく言霊
ザインを後ろに残し、カノアたちは氷壁の裂け目をくぐり抜けた。
その先には、絶望的なまでに美しい空間が広がっていた。
巨大な氷のドーム。
天井からは鋭い氷柱がシャンデリアのように垂れ下がり、床は鏡のように磨き上げられている。
冷気は肌を刺すほど鋭く、吐く息すら一瞬で凍りつきそうだ。
「……あれが、第一の楔」
カノアが愛剣を抜き、警戒を強める。
ドームの中央。
階段の上に設置された巨大な氷の玉座に、一人の少女が眠っていた。
透き通るような肌、雪のような白い髪。
ザインの妹、リゼだ。
だが、その身体からは無機質な魔力の管が無数に伸び、ドーム全体、ひいては王都の結界へとエネルギーを供給している。
「綺麗な子ね……。でも、まるで人形みたい」
ヒルダが痛ましげに眉をひそめる。
生きている気配がない。
ただ心臓が動いているだけの、生体部品。
ゴゴゴゴゴ……。
侵入者を感知し、玉座が輝き出した。
リゼの身体がふわりと浮き上がり、閉じていた瞼がゆっくりと開かれる。
そこに瞳孔はない。
ただ青白く発光するだけの、魔導兵器のレンズ。
『――排除シマス』
声ではない。
脳髄に直接響く、強制的な思念波。
それだけで、カノアたちの身体が石のように重くなる。
「なんだ、このプレッシャー……」
カノアが剣を杖にして踏ん張る。
『心眼』に映るリゼの魂の色は、無色透明。
感情も、意志もない。
ただ「命令」だけを実行するプログラム。
『――凍りなさい』
リゼの口が動いた。
声帯はない。だが、その唇が紡いだ言葉に合わせて、世界が歪む。
パキパキパキッ!!
「危ないッ!」
カノアが叫ぶ。
足元から猛烈な冷気が噴き上がり、一瞬で三人を氷漬けにしようと襲いかかる。
魔法ではない。
「凍る」という事象そのものを強制する『言霊』。
「ヒルダ!」
「任せて!」
ヒルダが前に出る。
彼女は全身の筋肉をバネにして、氷の奔流を剣で薙ぎ払う。
物理無効の鎧はない。
だが、今の彼女には「生きる意志」という最強の熱がある。
気合一閃。氷が砕け散る。
「……はぁ、はぁ。なんてデタラメな威力なの」
ヒルダの剣が霜で白く覆われている。
一撃防ぐだけで精一杯だ。
『――燃えなさい』
リゼ(の姿をした防衛システム)が、無感情に首を傾げる。
今度は、何もない空間から青い炎が噴き出した。
熱を持たない、魂だけを焼く冷たい炎。
「うわっ!?」
カノアが転移で回避するが、炎は意思を持ったように追尾してくる。
逃げ場がない。
全方位からの飽和攻撃。
「ルミナ、防御を!」
「うん! ……『聖詠・翠』!」
ルミナが歌う。
緑色の光の障壁が展開され、青い炎を受け止める。
だが、炎の勢いが強すぎる。障壁がミシミシと音を立ててヒビ割れていく。
「くぅ……ッ! 重い……!」
ルミナが歯を食いしばる。
ただの魔法攻撃じゃない。
「燃えろ」という言葉の強制力が、防御という概念を食い破ろうとしているのだ。
「このままじゃジリ貧だ! 俺が懐に潜る!」
カノアがナイフを投げる。
――『空間転移』。
炎の隙間を縫って、リゼの目の前へ転移する。
「眠っててくれ!」
カノアは剣の柄で、リゼの肩を打とうとした。
傷つけずに無力化する。ザインとの約束だ。
だが。
『――跪け』
リゼの瞳が、カノアを捉えた。
至近距離からの言霊。
ズンッ!!
「がっ……!?」
カノアの身体が、見えない巨人の手で押し潰されたように地面に叩きつけられた。
重力が増したわけではない。
カノアの筋肉、骨格、神経が、「跪く」という命令に従って強制的に収縮したのだ。
抵抗できない。身体が言うことを聞かない。
『――終わりです』
リゼの周囲に、無数の氷の槍が生成される。
切っ先は全て、動けないカノアに向けられている。
「カノアッ!!」
ヒルダとルミナが叫ぶ。
間に合わない。
槍が放たれる――。
ヒュンッ!
その瞬間。
鋭い風切り音が、ドーム内を切り裂いた。
黒い閃光が走り、カノアに迫っていた氷の槍を粉々に打ち砕いた。
「え……?」
カノアが顔を上げる。
砕け散る氷の向こう。
入り口の方角に、一人の男が立っていた。
肩で息をしている。
足元のゴーレムたちを片付けて、全速力で駆けつけてきたのだろう。
「……ザイン!」
黒い狩猟服。手には漆黒の鞭。
ザインだ。
彼はカノアを一瞥し、忌々しげに吐き捨てた。
「……世話の焼ける連中だ」
彼はゆっくりと歩み寄る。
その視線は、カノアではなく、玉座に浮かぶリゼに向けられていた。
『――侵入者ヲ、排除シマス』
リゼがザインを認識する。
だが、その瞳に兄を慕う色はなく、ただ敵を見る無機質な光だけがある。
「……やはり、完全にシステムに飲まれているか」
ザインの声は震えていた。
覚悟はしていた。
だが、変わり果てた妹の姿を前にして、心が軋まないはずがない。
「なんで戻ってきたんだよ! 俺たちに任せるって……」
カノアが、縛り付けられた身体で叫ぶ。
ザインは鞭を構え、背中で答えた。
「勘違いするな。……リゼが……お前らごときに傷つけられるのが我慢ならなかっただけだ」
嘘だ。
カノアの『心眼』には見えていた。
ザインの魂が、悲鳴を上げているのが。
妹を人殺しにしたくない。
カノアたちを死なせたくない。
その想いが、彼をここへ引き戻したのだ。
「……来るぞ。構えろ」
ザインが警告する。
リゼの周囲の魔力が、さらに膨れ上がる。
言霊の嵐が吹き荒れる。
ここからが、本当の地獄だ。
兄と妹。
奪われた者と、奪われたままの者。
悲しき再会の幕が、氷の城で切って落とされた。




