78話 氷壁の門番
猛吹雪を切り裂き、カノアたちは山頂付近の広場へと辿り着いた。
そこは、巨大な氷の城壁がそびえ立つ、天然の要塞だった。
吹き荒れる雪煙の向こうに、無数の影が揺らめいている。
氷で作られた人形――『氷像兵』の大軍だ。
そして、その中心。
ゴーレムたちを従えるようにして、一人の男が立っていた。
「……遅かったな」
冷徹な声が、風音に混じって届く。
ザインだ。
彼は腕を組み、仁王立ちでカノアたちを見下ろしていた。
その姿は、過去に見せた共闘の意思は微塵も感じられない。
あるのは、侵入者を拒絶する「門番」としての殺気のみ。
「ザイン……!」
カノアが足を止める。
『心眼』に映るザインの魂の色。
それは、以前よりも深く沈殿し、凍りついているように見えた。
だが、その奥底で激しく揺らめく「熱」があることも、カノアは見逃さなかった。
「ここから先は通さん。……引き返せ」
ザインが鞭を構える。
パチンッ、と空気が弾ける音が響いた。
「引き返せって言われて、はいそうですかって帰るわけないだろ。……そこをどいてくれ、ザイン。俺たちは楔を壊しに来たんだ」
「ならば、力ずくで通るしかないな」
ザインが指を鳴らす。
ズズズズ……ッ!
雪の中から、さらなるゴーレムたちが現れ、壁となって立ちはだかる。
その数、およそ五十。
しかも、一体一体が、以前戦ったものよりも強化されているのが魔力の密度で分かる。
「カノア、どうする? やるの?」
ヒルダが剣を抜き、カノアの横に並ぶ。
ルミナも、共鳴石を握りしめて緊張の面持ちだ。
「……やるしかない。あいつは、本気だ」
カノアは愛剣を抜いた。
ザインの殺気は本物だ。手加減するつもりはない。
だが、同時にカノアは感じていた。
これはただの迎撃ではない。
ザインは、俺たちを「試して」いる。
(……見せてみろってか。運命を変える力を)
カノアが踏み込む。
開戦の合図。
「行け」
ザインの号令と共に、ゴーレムの群れが雪崩のように襲いかかった。
「ルミナ、援護を! ヒルダは左翼を頼む!」
「ええ!」
「はいっ!」
ルミナが歌う。
『聖詠・勇気の赤』。
カノアとヒルダの身体能力が跳ね上がる。
カノアは先頭のゴーレムの懐に飛び込み、核を一突きで破壊した。
氷塊が砕け散る。
だが、ザインは動じない。
「ぬるい」
ザインが鞭を振るう。
黒い閃光が、ゴーレムの隙間を縫ってカノアに迫る。
速い。
アルカナでの特訓の時よりも、さらに鋭さを増している。
――『空間転移』。
カノアは転移で回避し、ザインの死角へ回り込む。
だが、着地した瞬間、足元の雪が爆発した。
ザインがあらかじめ仕掛けておいた魔石爆弾だ。
「ぐっ……!?」
カノアが体勢を崩す。
そこへ、ザインの蹴りが飛んでくる。
ガードするが、重い衝撃に数メートル吹き飛ばされる。
「動きが単調だ。……そんなもので、『雪の女王』に勝てると思っているのか?」
ザインは追撃の手を緩めない。
ゴーレムを壁に使い、自身の姿を隠しながら、的確に急所を狙ってくる。
魔獣使いとしての連携と、暗殺者としての技術。
その両方を極めた男の強さは、やはり別格だった。
「……だったら、こっちも全開だ!」
カノアは血を拭い、意識を集中させた。
『心眼』の解像度を上げる。
目に見える動きではない。ザインの「意志」の火花を読む。
右。鞭の予備動作。
左。ゴーレムへの指示。
「そこだ!」
カノアが、あえて鞭の射程内に飛び込む。
鞭がしなる。首を狙った一撃。
カノアはそれを剣で弾くのではなく、軌道に沿って身体を回転させ、受け流した。
そのまま回転の勢いで、ザインに肉薄する。
「おぉぉッ!」
剣を突き出す。
ザインは短剣で受け止めるが、カノアの勢いに押されて後退した。
「……いい反応だ」
鍔迫り合いの最中、ザインが小さく呟いた。
「だが、足りん。……この程度では、あいつの『呪い』は解けんぞ」
ザインの視線が、一瞬だけ背後の氷壁――その奥にある城の方角へ向いた。
そこには、巨大な氷の棺に封じられた、一人の少女の姿があるはずだ。
妹リゼ。
雪の女王の核として組み込まれた、悲劇の巫女。
「……助けたいんだろ? 妹を」
カノアが叫ぶ。
ザインの瞳が揺れた。
「だったら、俺たちを通せよ! 一緒にヴィオラをぶっ飛ばして、妹さんを助ければいいだろ!」
「……甘いな、カノア」
ザインは力を込め、カノアを弾き飛ばした。
「あいつは……リゼは、もう人間ではない。ヴィオラ様の呪いで、自動防衛兵器に作り変えられている。近づく者は無差別に殺し、私が裏切れば自壊するように組み込まれている」
ザインの声に、苦渋が滲む。
「生半可な覚悟で近づけば、お前たちも死に、リゼも砕け散る。……救うだと? そんな奇跡、この極寒の地には存在しない」
彼は絶望していた。
だからこそ、最強の門番としてここに立ち、誰も近づけないようにしているのだ。
妹を、これ以上傷つけさせないために。
たとえそれが、永遠に氷の中に閉じ込めることだとしても。
「存在するよ」
凛とした声が響いた。
ルミナだ。
彼女はゴーレムの攻撃をヒルダに防いでもらいながら、ザインを見据えていた。
「奇跡なら、ここにある。……私たちが、起こしてみせる」
ルミナの胸元で、共鳴石が輝く。
彼女は知っている。
絶望の底からでも、光は必ず届くことを。
「ザインさん。……貴方は優しすぎるから、一人で背負っちゃうんです。でも、もう一人じゃありません」
ルミナの歌声が響く。
『聖詠・翠』。
戦場の殺伐とした空気が、優しい光に包まれていく。
それは、ザインの凍りついた心を溶かすような温かさ。
「……ふん。口だけは達者になったな」
ザインは口元を歪めたが、その表情はどこか嬉しそうだった。
彼は鞭を収め、背後の氷壁を指差した。
「いいだろう。……そこまで言うなら、見せてみろ。お前たちの『奇跡』とやらを」
ザインが指を鳴らすと、ゴーレムたちが道を開けた。
試練の第一段階は終了だ。
だが、ここからが本当の地獄であることを、彼は知っている。
「行け。……ただし、『声』には気をつけろ。リゼの言葉は、現実を歪める」
ザインからの最後のアドバイス。
カノアは頷き、仲間たちと共に氷壁の裂け目――城への入り口へと進んだ。
すれ違いざま、ザインが小声で呟いた。
「……頼む」
それは、誇り高い男が初めて見せた、弱音であり、祈りだった。
妹を救ってくれ。
俺にはできなかったことを、お前たちなら――。
カノアは無言で拳を握りしめ、前を向いた。
必ず助ける。
それが、不器用な「お兄ちゃん」への、最高の恩返しになるはずだから。
氷の城門をくぐると、そこには美しい氷像のように眠る少女と、絶対零度の殺意が待ち受けていた。




