7話 虚飾の街と、毒の雫
なんとか検問をすり抜けた三人は、街の路地裏にある古びた宿屋の一室に落ち着いていた。
豪奢な大通りとは違い、カビ臭い部屋だ。だが、ヒルダの巨体が目立たない場所となると、ここくらいしか選択肢がなかった。
「……はぁ。やっぱり目立つね、ヒルダさんは」
カノアは窓の隙間から外の様子を窺いながら、苦笑交じりに言った。
部屋の隅では、巨大なフルプレートアーマーが、申し訳なさそうに小さくなっている。
「面目ないわ。……中身がないのに、視線だけで疲れるのよ」
「人気者は辛いねぇ、元騎士団長様」
「茶化さないでちょうだい」
ヒルダが呆れたように兜を振る。
カノアは視線を戻し、部屋の粗末な椅子に座っているルミナを見た。
彼女はまだ仮面をつけたまま、膝の上で手をきゅっと握りしめている。
「ルミナ、ここは部屋の中だ。仮面、外してもいいんだぜ?」
「……ううん。まだ、つけておく」
ルミナは首を横に振った。
「外の空気が……怖いの。仮面を外したら、またあの視線に刺されそうで」
「そっか。まあ、君が落ち着くならそれが一番だ」
無理強いはしない。心の傷は、そう簡単に癒えるものじゃないからだ。
カノアは腰の愛剣を手に取り、立ち上がった。
「さて、と。俺とルミナで少し街を見て回ってくるよ。ヒルダさんは留守番頼める?」
「ええ。このナリで出歩いたら、また騒ぎになるものね。……気をつけて。この街、ヴィオラの魔力の影響が強すぎるわ」
「ああ。俺の目にも、街全体が薄い膜で覆われているように見える。……どうやら、俺たちの旅は最初から茨の道になりそうだね〜」
夕暮れ時のベル・ルージュは、昼間以上に異様な空気を漂わせていた。
極彩色の建物が魔導灯でライトアップされ、着飾った人々が笑い声を上げながら通りを行き交う。
「……ねえカノア。みんな、すごく綺麗だけど……どこか変じゃない?」
仮面の奥から、ルミナが小声で囁く。
彼女の言う通りだ。道行く人々は皆、陶器のように滑らかな肌と、不自然なほど整った容姿をしている。老人や傷ついた者が一人もいない。
美の理想郷のように見えるが、カノアの『心眼』には全く別の景色が映っていた。
「ああ、変だね。……色が薄い」
彼らの魂の色は、どれもこれも脱色されたように淡く、輪郭がぼやけている。まるで生命力を何かに吸い取られながら、外側の殻だけを磨き上げているようだ。
「これを見て」
カノアは路地裏に近い薬屋を指差した。
看板には『ヴィオラの雫、特別入荷』という文字。
店の前には、我先にと求める人々の長蛇の列ができている。
並んでいるのは、美しい服を着た貴族から、なけなしの金を握りしめた貧民まで様々だ。
だが共通しているのは、全員が薬物中毒者のように目を血走らせていること。
「ああ、やっと手に入るわ! これで私も、もっと綺麗になれる!」
「どいてくれ! 俺が先だ! 昨日は買えなかったんだ!」
人々が小瓶に入った紫色の液体を受け取り、その場で飲み干す。
その瞬間――彼らの魂が一瞬だけ激しく発光し、そして次の瞬間には、ロウソクの火が消える直前のように輝きを失っていく。
「うわ、マジかよ……」
カノアは思わず顔をしかめた。
「『ヴィオラの雫』……あれは人を美しくする薬じゃない。魂の精気を前借りして、表面の皮だけを張り替える毒だ」
「そんな……。じゃあ、この街の人たちは、自分の命を削ってまで……」
「ああ。ヴィオラの影響だろうな。美醜が全ての価値基準にすり替えられてる。……命より見た目が大事なんて、狂ってるね」
カノアが吐き捨てるように言った、その時だった。
カツン、カツン。
石畳を叩く硬質な足音が、彼らを取り囲むように響いた。
現れたのは、白と金を基調とした派手な鎧を纏った、五人組の衛兵だった。
彼らもまた、不自然なほど整った美形だ。だがその瞳は、ガラス玉のように虚ろで、一切の感情を映していない。
「おい、そこの二人」
先頭の衛兵が、抑揚のない声で呼び止めた。
カノアは足を止め、わざとらしく飄々とした態度で振り返る。
「おや、何か御用かな? 俺たちはただの貧乏な旅人でね、お金なら持ってないよ」
「金などいらぬ。……貴様、なぜ顔を隠す?」
衛兵の視線は、カノアの目隠しと――何より、ルミナの白い仮面に突き刺さっていた。
「この街において、顔を隠すことは重罪だ。美しき者こそが正義。隠すということは、即ち醜悪なる罪人である証拠」
機械的な口調で、理不尽な理屈を並べる。
ルミナが息を呑み、カノアの背後に隠れようとした。彼女の魂が、トラウマによって激しく震えているのが分かる。
かつて石を投げられ、化け物と罵られた記憶。それがフラッシュバックしているのだ。
「……連れは、ちょっと肌が弱くてね。昼間も言ったけど、日光がダメなんだ」
カノアはルミナを庇うように前に出た。
「今は夜だ」
「月明かりもダメなんだよ。可哀想だろ? 見逃してくれないか」
「問答無用」
ジャラッ。
衛兵が腰の剣に手をかけた。周囲の空気が一気に張り詰める。
周りの群衆も、同情するどころか、蔑むような目でこちらを見ていた。
『なんだ、あの汚い格好』
『顔を見せないなんて、きっとひどい火傷でもあるのよ』
『気持ち悪いわね、早く街から追い出せばいいのに』
囁き声が、ルミナの耳に届く。
彼女が小さく「ごめんなさい」と呟いたのが聞こえた。
(……まったく、胸糞悪い街だな)
カノアの腹の底で、冷たい怒りがふつふつと湧き上がる。
だが、ここで暴れればルミナを危険に晒すことになる。どう切り抜けるか。
「その薄汚い仮面を外せ。……さもなくば、強制的に剥ぐ」
衛兵が一歩踏み出し、ルミナへと手を伸ばした。
その手つきは、人に対するものではない。汚物を処理するような、無遠慮で乱暴なものだった。
「ひッ……!」
ルミナが悲鳴を上げ、後ずさる。
その瞬間。
カノアの中で何かが弾けた。
パシッ。
乾いた音が響く。
ルミナに伸びた衛兵の手首を、カノアの手が掴んでいた。
「……人の連れに、気安く触んなよ」
カノアの声から、飄々とした色が消えていた。
目隠しの奥にあるはずの瞳が、今は鋭い刃のように衛兵を射抜いている――そんな錯覚を抱かせるほどの殺気。
「貴様、公務執行妨害で――」
「聞こえなかった? 『触るな』って言ったんだよ」
ギリギリと、衛兵の手首が悲鳴を上げる。
カノアは口元だけで笑った。
「その汚い手で、彼女の『綺麗な色』を曇らせるなって言ってんだ」
交渉決裂。
衛兵たちが一斉に武器を抜く音が、夜の静寂を切り裂いた。




