67話 泉の守護者
洞窟内に、ルミナの歌声が轟く。
――『聖詠・勇気の赤』!
鼓膜を震わすほどの力強い旋律。
その歌声はカノアとザインの全身を赤いオーラで包み込み、筋肉繊維の一本一本まで魔力を浸透させていく。
思考速度が加速し、世界がスローモーションに見えるほどの身体強化。
「行くぞ!」
カノアが地面を蹴る。
岩盤が砕け散るほどの踏み込み。
彼は一直線に『星晶の守護獣』へと肉薄した。
「ギョオオオオッ!!」
守護獣が迎撃のブレスを吐く。
青白い熱線がカノアを焼却せんと迫るが、カノアは止まらない。
『心眼』が、熱線の射線をコンマ一秒早く捉えている。
首をわずかに傾け、髪の毛が焦げるほどの距離でブレスを回避。
そのまま守護獣の懐に入り込み、逆袈裟に斬り上げる。
ガギィィンッ!
水晶の鱗が飛び散る。
だが、浅い。
守護獣の装甲は、ダメージを受けるそばから周囲の魔力を吸収し、再生していく。
さらに厄介なのは、その「核」の動きだ。
(……チッ、逃げ回るなよ!)
カノアは舌打ちをした。
『心眼』には見えている。
守護獣の体内、水晶の奥深くにある赤い心臓が、まるで水中の魚のように身体の中を高速で移動しているのだ。
斬撃が届く瞬間に、核だけが別の場所へ逃げる。
これでは、いくら外側を削っても倒せない。
「カノア! 退け!」
背後からザインの声。
カノアが即座にバックステップで跳ぶと同時に、漆黒の影が守護獣に殺到した。
ザインの操る『影狼』と『双頭蛇』だ。
魔獣たちは守護獣の手足に噛みつき、その動きを封じようとする。
だが、守護獣は全身から鋭利な水晶の棘を突出させ、魔獣たちを串刺しにした。
ギャンッ!
魔獣たちが悲鳴を上げ、黒い煙となって霧散する。
召喚された使い魔とはいえ、ダメージは術者であるザインにもフィードバックされる。
「くっ……!」
ザインが苦悶の声を漏らす。
だが、彼の目は死んでいない。
冷静に、冷徹に、守護獣の動きを観察している。
「……やはりな。あの核、流動性がある」
ザインがカノアの横に並び、早口で告げた。
「再生能力と核の移動。持久戦になればこちらが不利だ。……一撃で仕留めるには、核を『固定』させる必要がある」
「固定って、どうやって?」
「奴が最大火力の攻撃を放つ瞬間だ。……魔力を収束させる際、核は必ず口腔の奥、喉元に固定される」
ブレスの直前。
それが唯一にして最大のチャンス。
だが、それは同時に、正面から死の熱線を浴びるリスクを意味する。
「誰かが囮になって、奴のブレスを正面から誘い出す必要がある。……そして、ブレスが放たれる瞬間に、カウンターで喉奥を貫く」
ザインがカノアを見る。
その瞳には、奇妙な信頼の色が宿っていた。
「私が引きつける。……お前は、翔べ」
「は? アンタ、死ぬ気か?」
「死なん。私は調教師だ。……猛獣の扱いには慣れている」
ザインはニヤリと笑い、鞭を捨てた。
代わりに、懐から巨大な魔石を二つ取り出す。
「ルミナ! 私に『盾』の歌を! 全力でだ!」
ザインが叫ぶ。
ルミナは一瞬驚いたが、すぐに意図を理解した。
彼女は歌の調子を変える。
攻撃的な赤から、守護の緑――『聖詠・翠』へ。
癒やしと盾の加護の光が、ザインを包み込む。
「来い、化け物! 私の魂は美味いぞ!」
ザインが両手の魔石を握り潰した。
膨大な魔力が放出され、彼の背後に、幻影のような巨大な魔獣のシルエットが浮かび上がる。
それは、守護獣を挑発するためのフェイク。
高濃度の魔力餌。
「ギョオオオオッ!!」
守護獣が反応した。
目の前に現れた極上の獲物に、理性を失って食らいつこうとする。
口が大きく開かれる。
喉の奥で、青い光が凝縮されていく。
核が、喉元に移動した。
「今だッ!!」
ザインが叫ぶ。
極太の熱線が放たれる。
ザインは逃げない。魔力の障壁と、ルミナの加護を重ねがけして、正面から受け止める。
ジュボォォォッ!!
熱線がザインを飲み込む。
障壁が削れ、肉が焼ける音がする。
だが、その閃光の影で、カノアは動いていた。
――『空間転移』。
カノアが投げたナイフは、守護獣の口の中――熱線の奔流のド真ん中へと吸い込まれていた。
死地へのダイブ。
タイミングがズレれば、カノア自身が蒸発する。
だが、迷いはなかった。
ザインが作った一瞬の勝機。無駄にするわけにはいかない。
フッ。
カノアの姿が掻き消える。
出現地点は、守護獣の口腔内。
熱線の発生源、そのゼロ距離。
「見えた……心臓!」
カノアの『心眼』が、青い光の中心で赤く輝く核を捉えた。
熱で皮膚が焼ける。髪が焦げる。
それでも、カノアは剣を突き出した。
渾身の突き。
それは、ザインの覚悟と、ルミナの祈りを乗せた、必殺の一撃。
ズドォォォンッ!!!
剣先が核を貫通した。
守護獣の動きが止まる。
熱線が途切れ、ザインが崩れ落ちるのが見えた。
次の瞬間、守護獣の全身に亀裂が走る。
パリンッ、パリンッ、パリンッ……!
美しい音色と共に、巨大な水晶の身体が砕け散っていく。
カノアは空中に放り出されたが、着地寸前で転移を使い、ザインの横へと降り立った。
守護獣は、光の粒子となって泉へと還っていく。
静寂が戻る。
水面には、星屑のような魔力の残滓がキラキラと降り注いでいた。
「……はぁ、はぁ……」
カノアは膝をつき、荒い息を吐いた。
全身火傷だらけだ。ルミナの歌がなければ、黒焦げになっていただろう。
「……無茶苦茶な奴だ」
隣で、ザインが仰向けに倒れたまま呟いた。
彼の服はボロボロで、身体中から煙が出ている。
だが、その顔には、どこか満足げな笑みが浮かんでいた。
「お互い様だろ?あんたこそ……よく生きてたな、あの直撃で」
「計算通りだ。……ギリギリ死なない程度に調整した」
「嘘つけ。手が震えてるぞ」
カノアが茶化すと、ザインは「ふん」と鼻を鳴らした。
ルミナが駆け寄ってくる。
涙目で、回復魔法をかけながら二人を抱きしめる。
「よかった……! 二人とも……!」
「痛い痛い、ルミナ。……でも、サンキューな。お前の歌のおかげで助かった」
カノアがルミナの頭を撫でる。
ザインもまた、ルミナに抱きしめられ、嫌がらずにされるがままになっていた。
彼も分かっているのだ。
この勝利は、誰か一人でも欠けていたら掴めなかったものだと。
泉の奥。
守護獣が消えた後には、祭壇のような場所が現れていた。
そこには、青白く輝く水が満ちた、小さな窪みがある。
そして、その底に沈む、いくつかの「光る石」。
「……あれか」
カノアたちが立ち上がる。
目的の場所。
ヒルダを救う聖水と、そしてヴィオラが捨てた「記憶」が眠る場所へ。




