66話 星降る泉
峡谷の奥深く。
切り立った岩壁に囲まれた空間に、その泉はあった。
『星降る泉』。
その名の通り、水面は夜空をそのまま切り取ったように、無数の星屑の輝きを湛えている。
天井の岩の裂け目から差し込む月光が、水底に沈殿した魔力の結晶を照らし出し、幻想的な青い光で洞窟全体を満たしていた。
息を呑むほど美しい光景。
だが、その美しさは、圧倒的な「死」の気配と表裏一体だった。
「……いるな」
カノアが愛剣を抜き、身を低くする。
『心眼』に映る泉の中心。
そこには、水面の下で静かに脈打つ、巨大な魔力の塊があった。
ただの魔獣ではない。ヴィオラがこの場所を守るために配置した、純粋な戦闘兵器。
「ヒルダは後ろへやる。……ルミナ、お前は私の近くで歌え」
ザインが陸亀から降り、指示を飛ばす。
彼は懐から三つの魔石を取り出し、同時に砕いた。
「出ろ、『影狼』、『双頭蛇』、『鎧熊』」
黒い煙と共に、三体の強力な魔獣が具現化する。
ザイン自身も鞭を構え、全身に鋭い魔力を纏わせた。
「来るぞ!」
ザインの叫びと同時だった。
泉の水面が爆発した。
ザパァァァァンッ!!
水しぶきと共に現れたのは、全身が半透明の水晶で構成された、巨大な海竜のような怪物だった。
『星晶の守護獣』。
その身体は硬度な魔力結晶で覆われ、物理攻撃を弾き返す輝きを放っている。
「ギョオオオオオオッ!!」
咆哮。
大気が震え、洞窟内の鍾乳石がパラパラと崩れ落ちる。
守護獣が口を開くと、そこから極太の青い熱線が吐き出された。
「散開ッ!」
カノアが叫び、右へ跳ぶ。ザインは左へ。
熱線が二人のいた場所を焼き焦がし、岩壁を溶かす。
「硬そうだな……! だが、隙はある!」
カノアが着地と同時にナイフを投擲する。
狙うは守護獣の死角、首の付け根。
ナイフが空中で軌道を変え、岩場に突き刺さる。
――『空間転移』。
フッ。
カノアの姿が掻き消え、守護獣の頭上に出現する。
「そこだッ!」
落下の勢いを乗せた、渾身の兜割り。
ガギィィィンッ!
剣が水晶の鱗に弾かれ、火花が散る。
硬い。剣が通らない。
「通らないか……!」
カノアは即座に剣を蹴り足場にして再跳躍し、守護獣の背後に回る。
振り返りざまに放たれた尻尾の一撃を、空中で体を捻って回避する。
そのまま壁に着地し、三角飛びの要領で再加速。
右、左、上、下。
カノアは目まぐるしく位置を変えながら、斬撃と体術のコンボを叩き込む。
剣で斬り、蹴りで体勢を崩し、ナイフをマーカーにして転移し続ける。
まるで黒い稲妻だ。
「押さえ込め!」
ザインが号令を下す。
巨大な鎧熊が咆哮を上げ、守護獣の正面から突進する。
ドォォン!
重量級同士の激突。
鎧熊が守護獣の突進を受け止めている間に、影狼が脚を噛み砕き、双頭蛇が胴体に巻き付いて締め上げる。
「いい連携だ」
ザインが走る。
魔獣任せではない。彼自身もまた、超一流の戦士だ。
しなる鞭が、生き物のように守護獣の顔面を襲う。
バシッ!
鞭の先端が水晶の目を打ち据える。
「ギィッ!?」
守護獣が怯む。
その隙に、ザインは守護獣の懐に滑り込んだ。
鞭を捨て、腰の短剣を逆手に抜く。
流れるような体術。
守護獣の顎の下、装甲の薄い部分へ、強烈な掌底と刺突を叩き込む。
「硬いが、関節はあるな」
ザインは冷徹に分析し、バックステップで距離を取る。
その動きには一切の無駄がない。
「カノア! 首の左側だ! そこだけ魔力の流れが脆い!」
「分かった!」
カノアが反応する。
『心眼』で確認するまでもない。ザインの指摘は常に的確だ。
カノアは転移でザインが作った隙に飛び込み、回転斬りを放つ。
パリンッ!
水晶が砕ける音がした。
初めて、刃が通った。
「効いてるぞ!」
だが、守護獣も黙ってはいない。
全身の結晶を発光させ、全方位に魔力の針を射出したのだ。
回避不能の散弾攻撃。
「くっ……!」
カノアは剣で弾き落とすが、数本が肩と太腿を掠める。
ザインもコートで防ぐが、頬に傷を負った。
血が流れる。
痛みが動きを鈍らせる。
その時。
――『聖詠・翠』……。
戦場に、清涼な風のような歌声が響き渡った。
ルミナだ。
彼女は岩陰に身を隠しながら、共鳴石を緑色に輝かせている。
癒やしの歌。
生命力を活性化させ、傷ついた細胞を急速に再生させる慈愛の旋律。
歌声が届くと、カノアの傷口が淡い光に包まれ、瞬く間に塞がっていく。
痛みと共に、疲労感までもが洗い流されていくようだ。
「……痛みが引いていく」
カノアは腕を回し、感嘆した。
これなら、いくらでも動ける。
「便利な歌だ。……私の魔獣たちすらも回復している」
ザインが口元を緩める。
前衛の魔獣たちも、傷が癒え、再び闘志を燃え上がらせている。
攻守のバランスが完璧に噛み合っていた。
カノアが翻弄し、ザインが崩し、ルミナが支える。
敵同士とは思えないほどの、鮮やかな連携。
「行けるか、カノア」
ザインが鞭を構え直す。
「もちろん。……畳み掛ける!」
カノアが剣を構える。
ルミナの歌声が、今度は力強い赤色――『勇気の赤』へと転調する。
身体能力の底上げ。
カノアとザインの全身に、爆発的な力がみなぎる。
守護獣が咆哮し、再びブレスの構えを取る。
だが、もう遅い。
三つの色が重なり合い、最強の一撃を叩き込む準備は整っていた。
「決めるぞ、ザイン!」
「指図するな。……お前が合わせろ!」
二人の影が交差し、巨獣へと疾走する。




