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61話 永遠の終わり


 地下通路の突き当たりには、重厚な鉄の扉があった。

 そこからは、機械油と薬品、そしてカビの臭いが混ざり合った、淀んだ空気が漏れ出している。


「……ここね」


 ヒルダが扉に手をかける。

 鍵はかかっていたが、今の彼女の怪力には無意味だった。

 メキメキと蝶番が悲鳴を上げ、鉄扉が内側へとひしゃげる。


 ドォン!


 扉が倒れ、カノアたちは部屋の中へと踏み込んだ。

 そこは、上階の煌びやかな館とは似ても似つかない、ゴミ溜めのような場所だった。


 床には設計図や失敗した人形のパーツが散乱し、天井からは無数のチューブが垂れ下がっている。


 そして、部屋の中央。

 生命維持装置のような巨大な機械に繋がれた椅子に、「それ」は座っていた。


「ひぃっ……! く、来るな……! 見るなァッ!」


 悲鳴を上げたのは、骨と皮ばかりに痩せ細った老人だった。

 髪は抜け落ち、皮膚は老人斑と皺で覆われている。

 チューブを通してドロドロとした薬液を身体に流し込み、辛うじて呼吸をしているだけの、死に損ないのような存在。


 それが、ロゼッタの正体だった。


「……アンタが、ロゼッタか」


 カノアが問うと、老人は震える手で顔を隠した。


「違う! 私は……私は美しい! 私は永遠の芸術家だ! こんな醜い姿、私ではないッ!」


 老人の背後にあるモニターには、先ほどまで彼が操作していた美少年の人形の映像がノイズ混じりに映っている。

 彼はあの美しい人形を通してしか、外の世界と関われなかったのだ。


「……哀れね」


 ヒルダが静かに呟く。

 侮蔑ではない。純粋な憐憫の声だった。


「お前らに何が分かる! 老いる恐怖が! 才能が枯れ、指が動かなくなり、愛した人さえも土に還っていく絶望が!」


 ロゼッタが叫ぶ。

 彼の魂の色が、カノアの『心眼』に流れ込んでくる。

 それは、どす黒い執着と、深い悲しみの色だった。


 かつて、彼は天才的な彫刻家だった。

 彼には、愛する妻がいた。誰よりも美しく、彼の女神(ミューズ)だった女性。


 だが、病が彼女を襲った。

 美しい肌が変色し、痩せ衰え、苦しみながら死んでいく妻。


 ロゼッタは、何もできなかった。

 神に祈っても、医者にすがっても、彼女の美しさが崩れていくのを止めることはできなかった。


『……死にたくない』


 最期に妻が残した言葉が、彼を狂わせた。


「だから私は誓ったのだ! もう二度と、美しさを失わせはしないと! 肉体などという不完全な器を捨て、永遠に朽ちない人形になれば、死の恐怖からも解放される!」


 ロゼッタは、ヴィオラと出会った。

 彼女は言った。『その願い、叶えてあげる』と。

 禁忌の術式を与えられ、彼は村の人々を、そして自分自身をも実験台にして、「永遠」を追い求めた。


「見てくれ……! 私の最高傑作を!」


 ロゼッタが震える指で、部屋の奥を指差した。

 そこには、ガラスケースに入った一体の人形があった。

 彼の亡き妻を模して作られた、精巧なビスクドール。


 だが、それは動かない。喋らない。

 ただ、ガラス玉の瞳で虚空を見つめているだけだ。


「あれこそが完成形だ! 老いない! 病まない! 永遠に美しいまま、私のそばにいてくれる!」


「……違う」


 ルミナが首を横に振った。

 彼女はガラスケースに歩み寄り、悲しげに人形を見つめた。


「それは、奥さんじゃないよ。……ただの、冷たいモノだよ」


「黙れ! 歌うだけの小娘ごときに!」


「分かるよ。……だって、魂がないもん」


 ルミナは、自分の胸に手を当てた。


「私も、昔は人形みたいだって言われてた。……中身を見てもらえなくて、外側だけを飾られて。それがどんなに寒いか、私には分かる」


 ルミナがロゼッタの方を向く。


「貴方が愛していたのは、奥さんの『形』だけだったの? 笑ったり、怒ったり、温かかったりした『心』は、どうでもよかったの?」


「う、あ……」


 ロゼッタが言葉を詰まらせる。

 脳裏に浮かぶのは、元気だった頃の妻の笑顔。

 温かい手。優しい声。

 目の前にある人形には、そのどれもない。

 冷たく、硬く、沈黙しているだけ。


「私は……私は、ただ……失うのが怖かっただけだ……」


 老人の目から、涙がこぼれ落ちる。

 彼は知っていたのだ。


 自分が作っているものが、命の模造品に過ぎないことを。

 それでも、孤独に耐えきれず、狂気に逃げ込むしかなかった。


「……終わらせましょう」


 ヒルダが一歩前に出た。

 彼女は鋼鉄の拳を握りしめ、ロゼッタを見下ろした。


「貴方は、自分の弱さのために多くの人を犠牲にした。その罪は消えない」


「殺すのか……? この老いぼれを」


 ロゼッタが震える。

 死の恐怖。彼が最も恐れていたもの。


「いいえ。……貴方を殺しても、犠牲になった人たちは戻らない」


 ヒルダは、生命維持装置のパイプを掴んだ。


「貴方の『永遠』を終わらせるわ。……これ以上、間違った夢を見ないように」


 ブチブチブチッ!!


 ヒルダがパイプを引きちぎる。

 警報音が鳴り響き、機械が停止する。

 ロゼッタの体へ流れていた薬液が止まる。


「あ、あぁ……私の時間が……動き出す……」


 ロゼッタが椅子から崩れ落ちる。

 急速な衰弱。

 止めていた時間が、一気に彼に襲いかかる。

 だが、不思議と恐怖はなかった。

 薬漬けの生から解放された安堵感が、彼の身体を満たしていく。


「……そうか。人間は、死ぬからこそ……美しいのか……」


 ロゼッタは這いつくばり、妻の人形へと手を伸ばした。

 その指先が、ガラスケースに触れる。


「すまなかった……。愛していたんだ……本当に……」


 最期の言葉。

 老人の手が力を失い、床に落ちる。

 ロゼッタの魂の色が、ゆっくりと消えていった。

 狂気の人形師は、永遠の呪縛から解き放たれ、ただの人間として死んだ。


「……行きましょう」


 カノアが促す。

 崩壊し始めた地下室に、長居は無用だ。

 三人は出口へと向かった。

 背後で、妻の人形がカタリと揺れた気がしたが、誰も振り返らなかった。


          ◇


 地上に戻ると、森の空気が変わっていた。

 止まっていた風が吹き始め、黒かった木々の葉が、見る見るうちに鮮やかな緑色へと変わっていく。

 呪いが解けたのだ。


 広場では、信じられない光景が広がっていた。

 倒れていた人形たちが次々と光に包まれ、その身体から機械のパーツが抜け落ちていく。

 陶器の肌が、温かい血の通った肌へ。

 ガラスの瞳が、潤んだ瞳へ。


「……あれは?」


 ルミナが驚きの声を上げる。

 ヒルダが、納得したように頷いた。


「そうか。ロゼッタの術式もまた、ヴィオラの『概念置換(パラダイム・シフト)』の亜種だったのね」


「どういうこと?」


「彼らを人形にしていたのは、物理的な改造手術じゃなかった。……『人間の肉体』という概念を、『不朽の人形』という概念で無理やり上書きしていただけ」


 ヒルダは、自分の身体を見つめた。

 彼女もまた、概念を奪われた一人だからこそ理解できる。


「術者が死んで、呪いが解けた。……だから、押し付けられていた『人形』の概念が消えて、本来の『肉体』の概念が戻ってきたのよ」


 広場の中央で、マリーと呼ばれていた少女が身体を起こした。

 彼女は自分の手を見て、恐る恐る頬に触れた。


「……痛くない? 体が、温かい……」


 もう、カクカクとした動きではない。

 心臓が脈打ち、血液が巡る、生きた少女の姿だ。

 彼女は空を見上げ、涙を流して笑った。


「よかった……。みんな、元に戻れたんだね」


 ルミナが安堵の息を漏らす。

 カノアたちの戦いは、無駄ではなかった。

 永遠という悪夢から、彼らは解放されたのだ。


「さあ、先へ進みましょう。……この森を抜ければ、王都はすぐそこよ」


 ヒルダが森の出口――北の方角を指差した。

 そこには、不吉な黒雲に覆われた山脈が見える。


 カノアは一度だけ振り返り、崩れゆくロゼッタの館を見た。

 永遠なんてない。

 だからこそ、今この一瞬の輝きを、俺たちは守らなきゃいけないんだ。


「……ああ。行こう」



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