60話 鋼鉄の涙
地下工房の空気が、熱を帯びて震えていた。
ヒルダの全身から噴き出す魔力は、もはや制御不能な暴走ではない。
彼女の魂が、鋼鉄の鎧という器を完全に掌握し、その限界を超えて輝いている証だ。
「……ありえない」
ロゼッタが後ずさる。
彼の計算では、ヒルダの自我は完全に塗りつぶされているはずだった。
だが、目の前の巨人は、システムのエラーコードなど意にも介さず、ただ圧倒的な「意志」だけで立っている。
「私の教育が足りなかったようですね。……ならば、力ずくで教え込みましょう!」
ロゼッタが叫び、制御盤を叩く。
部屋の四隅にあった搬入用ゲートが開き、そこから新たな人形たちが雪崩れ込んできた。
今度は未完成品ではない。
四本の腕に剣を持った剣闘士型、背中に大砲を背負った重砲撃型。
ロゼッタが誇る、殺戮のためだけに作られた戦闘用オートマタたちだ。
「行け! その生意気な鉄屑を解体しろ!」
数十体の戦闘人形が、一斉にヒルダに殺到する。
刃が閃き、砲弾が放たれる。
「ヒルダさん!」
ルミナが叫ぶ。
だが、ヒルダは動じなかった。
彼女はゆっくりと右腕を引き、ただ拳を構えた。
「……邪魔よ」
ドォォォォォンッ!!
一撃。
ヒルダが拳を突き出した衝撃波だけで、前列にいた剣闘士型が吹き飛んだ。
鉄の身体が飴細工のようにひしゃげ、壁に激突して粉砕される。
「な……!?」
ロゼッタが目を見開く。
『物理無効』だけではない。
今のヒルダには、触れた物質の強度を無視して破壊する、理不尽なほどの質量と加速が備わっている。
「私はもう、迷わない」
ヒルダが踏み込む。
砲撃型が至近距離から魔力弾を放つが、彼女はそれを腕で払い落とす。
爆炎を切り裂き、その手刀が砲身を両断する。
「肉体がなくても、心臓がなくても……私は生きている!」
彼女の叫びに応えるように、鎧が銀色に発光する。
それは、冷たい金属の光ではない。
温かく、力強い、命の輝き。
カノアは、その背中を眩しそうに見つめていた。
『心眼』に映るヒルダの魂は、かつての迷いを捨て去り、完全な形を取り戻していた。
騎士としての誇りも、女としての弱さも、全てを飲み込んで燃え上がる、高潔な魂。
「……かっこいいね、ヒルダさん」
カノアは愛剣を抜いた。
見惚れている場合じゃない。俺たちも、彼女の背中を支えなきゃならない。
「ルミナ、俺達も行こう!」
「うん! ……あの子たちを、助けてあげなきゃ!」
ルミナが前を向く。
彼女が見ているのは、ロゼッタではない。
彼に操られ、悲鳴を上げながら襲ってくる人形たちだ。
彼らの動力炉(心臓)には、まだ生きた人間の魂が囚われている。
破壊すれば、彼らは死ぬ。
「ヒルダさん! 壊さないで! 動きを止めるだけでいいの!」
ルミナが叫ぶ。
ヒルダは振り返らずに、背中のジェット噴射で加速した。
「分かってるわ! ……少々手荒になるけど、我慢してね!」
ヒルダは、襲い来る人形の剣を素手で受け止めた。
そして、手首を捻って武器だけを破壊し、関節技で地面に押さえ込む。
殺さない。
ただ無力化し、その動きを封じる。
それは破壊よりも遥かに高度な技術と、優しさがなければできない芸当だ。
「くそっ! なぜだ! なぜ私の最高傑作たちが、ただの鉄屑に後れを取る!」
ロゼッタが焦る。
彼は自らも戦闘形態へと移行しようと、燕尾服を脱ぎ捨てた。
その下にあったのは、人間の皮膚ではない。
精巧な歯車と魔導回路が詰まった、機械の身体。
「私もまた、ヴィオラ様に永遠を与えられた存在! 貴女ごときに負けるはずがない!」
ロゼッタの腕が変形し、巨大なドリルと回転ノコギリが現れる。
彼は狂ったように笑いながら、自ら前線へと飛び出した。
「死ね! 醜い鉄屑!」
ロゼッタのドリルが、ヒルダの胸板を狙う。
だが、その軌道上に、黒い影が割り込んだ。
キィィンッ!
カノアだ。
彼の剣が、ドリルの回転を一点で受け止めている。
「……おいおい。レディに向かってその口の利き方はないだろ」
カノアは涼しい顔で言った。
ドリルの火花が散る中、彼の『心眼』はロゼッタの構造を完全に見切っていた。
「アンタの体、随分と空っぽだな。……魂がどこにもねぇよ」
「なんだと……?」
「この美少年人形は、ただの遠隔操作端末だろ? 本体は、もっと安全な場所で震えてるんじゃないのか?」
図星を突かれたのか、ロゼッタの動きが止まる。
カノアの目は誤魔化せない。
この端正な青年の姿は、ロゼッタが理想とする「若さ」を具現化しただけの容れ物。
本当の彼は、醜い老人として、この地下のどこかに隠れている。
「黙れ……! 黙れ黙れ!」
ロゼッタが激昂し、ノコギリを振り回す。
だが、単調な攻撃などカノアには当たらない。
「ルミナ! 今だ!」
カノアが合図を送る。
ルミナが大きく息を吸い込んだ。
彼女の歌が、戦場に響き渡る。
――『夜想』……。
鎮魂の歌。
ロゼッタに操られている人形たちの魂に、「もう戦わなくていい」「お休み」と語りかける慈愛の旋律。
歌声が波紋となって広がると、激しく暴れていた人形たちの動きが鈍り始めた。
赤い警告色に光っていた彼らの目が、穏やかな青色へと変わり、次々とその場に倒れ込んでいく。
機能停止ではない。
強制的なスリープモード。魂が安らぎを得て、戦う意志を失ったのだ。
「あ、あぁ……私の子供たちが……!」
ロゼッタが狼狽える。
周りを見れば、動いているのは彼一人。
そして、目の前には、怒りを湛えた最強の盾が立ちはだかっていた。
「……終わりよ、ロゼッタ」
ヒルダが拳を握りしめる。
その一撃に、魔力と、体重と、そして奪われた者たちの怒りを込めて。
「貴方の芸術は、ここで幕引きだわ!」
ズドォォォォォォンッ!!!
ヒルダの正拳突きが、ロゼッタ(人形)の胴体を貫いた。
精巧な機械部品が弾け飛び、オイルが血のように撒き散らされる。
ロゼッタは声にならない叫びを上げながら、壁まで吹き飛ばされ、瓦礫に埋もれて動かなくなった。
静寂が戻る。
カノアは剣を納め、ふぅと息を吐いた。
「……やったな」
「ええ。……でも、まだ終わっていないわ」
ヒルダは、瓦礫の山を見据えたまま言った。
「本体を叩かなきゃ、この悪夢は終わらない。……カノア、場所は分かる?」
「ああ。バッチリ」
カノアは『心眼』で、地下のさらに奥――隠し部屋の中に潜む、老いた魔力の反応を捉えていた。
「行こう。……引きずり出して、年貢の納め時を教えてやろうぜ」
三人は奥へと進む。
背後には、ルミナの歌で安らかに眠る人形たちが横たわっていた。
彼らが再び人間の姿に戻れるかは分からない。
だが、少なくとも、これ以上誰かを傷つけるための道具として使われることはない。
鋼鉄の涙は乾いた。
あとは、元凶を断つのみだ。




