表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/83

6話 仮面と、美しき歪みの街

 

 荒野の夜は、都市の夜とはまた違う静寂に包まれていた。

 風が砂を巻き上げる乾いた音と、焚き火が爆ぜる音だけが、三人の旅路を彩っている。


 ゴミ集積所を出て二日目の夜。

 カノアたちは、街道から少し外れた岩陰で野営をしていた。


 カノアの『心眼』には、夜空に広がる星々の魔力が、まるで降り注ぐ銀の雨のように映っている。


「……ねえ、カノア、ヒルダさん。これ、どうかな?」


 焚き火のそばで、ルミナがおずおずと声を上げた。

 彼女の手には、白い陶器のようなものが握られている。


 それは、出発前にゴミ山の中から見つけ出し、道中でルミナ自身が磨き上げた「仮面」だった。


 かつては貴族の舞踏会か何かで使われていたのだろうか。装飾の剥げ落ちたシンプルなデザインだが、その白さは月光を浴びて冷たく輝いている。


「仮面、か」


 カノアは串に刺した干し肉を齧りながら、布越しの視線を向けた。


 もちろん、物理的な形状は見えない。


 だが、その仮面に込められたルミナの想い――「隠したい」という恐怖と、「前に進みたい」という意思が混ざり合った複雑な色は、痛いほどによく見えた。


「これから行く『ベル・ルージュ』は、人の多い街なんでしょう? 私のこの顔……また誰かを怖がらせちゃうかもしれないから」


 ルミナが俯く。


 フードの下にある彼女の顔は、ヴィオラの呪いによって赤黒くただれている。


 カノアにとっては関係のないことだが、世間一般の視線が残酷なことは、これまでの経験で嫌というほど知っていた。


「賢明な判断ね」


 答えたのは、焚き火の向かいに座る巨大な鋼鉄の塊、ヒルダ。


 彼女は食事を摂る必要がない。ただ直立不動で座り込み、その威容で周囲を警戒している。


「ベル・ルージュは、別名『美の回廊』とも呼ばれる街よ。あそこは……少し特殊なの。美しさこそが正義であり、醜さは罪とされる。貴女のその素顔を晒せば、入る前に衛兵につまみ出されるか、最悪の場合、石打ちの刑に処されるわ」


「石打ち……」


 ルミナの体が震えた。

 カノアは焚き火に薪をくべながら、ふんと鼻を鳴らした。


「くだらないルールだ。見た目だけで中身を判断するなんて、節穴もいいところだな」


「ええ。でも、それがヴィオラの支配する領域のルールなのよ。……郷に入っては郷に従え、と言うわ。無駄な争いを避けるためにも、その仮面は役に立つはずよ」


 ヒルダの言葉には、かつて騎士団長として国を見てきた者ならではの重みがあった。


 ルミナは頷き、震える手で仮面を顔に当てた。

 カチリ、と小さな音がして、仮面が彼女の顔を覆う。


 その瞬間、ルミナの魂の色が、少しだけ落ち着きを取り戻したのが見えた。仮面という「物理的な壁」が、彼女の心を外界の悪意から守る盾になったのだ。


「……変、かな?」


 仮面の奥から、くぐもった声がする。

 カノアは口角を上げた。


「いいや。似合ってるよ。……ま、俺の目には仮面なんて透けて、中身の虹色が丸見えだけど」


「も、もう! カノアったら!」


 ルミナが照れくさそうに笑う。その魂の輝きを見て、カノアは安堵した。


 仮面は逃げるための道具じゃない。彼女が彼女らしくあるための、一時的な鎧なのだ。


 ◇


 翌日の昼過ぎ。

 荒野の先に、巨大な城壁に囲まれた都市が姿を現した。


 交易都市『ベル・ルージュ』


 赤い煉瓦で作られた城壁は、太陽の光を浴びて鮮血のように赤く輝いている。遠目に見れば美しい光景だが、近づくにつれて、カノアの眉間には皺が寄っていった。


「……臭うな」


 カノアが呟く。


 物理的な臭いではない。都市全体を覆う、ねっとりとした甘い腐敗臭のような魔力の気配だ。


 それは、ゴミ捨て場の腐臭とは違う。もっと人工的で、悪意に満ちた「歪み」の臭いだった。


「わぁ……すごい。お花がいっぱい」


 仮面をつけたルミナが感嘆の声を上げる。

 城門へと続く街道沿いには、色とりどりのバラが咲き乱れ、芳醇な香りを放っていた。


 だが、カノアには視えている。


 そのバラの根元には、痩せこけた動物や、あるいは人間らしき白骨が埋められ、その養分を吸い上げて花が咲いている様が。


(表面だけ綺麗に取り繕って、根っこは腐ってる。……趣味が悪いなんてもんじゃない)


 城門の前には、入街を待つ人々の長い列ができていた。


 商人、旅人、冒険者。


 だが、検問の様子がおかしい。

 衛兵たちが、通行人の荷物ではなく「顔」をジロジロと確認し、何かを選別しているのだ。


「次! ……ふん、不合格だ。お前の鼻は曲がっている。美観を損ねる」


「そ、そんな! 通行税なら払います! どうか通してくれ!」


「黙れ汚物! この街の地を踏めるのは、選ばれた美しき者だけだ!」


 ドンッ、と突き飛ばされた男が、泥の中に這いつくばる。


 男の顔は、確かに少し特徴的な形をしていたが、決して醜くはない。だが、衛兵たちはまるで汚いものを見るような目で彼を追い払った。


「……本当に、顔で選んでるのね」


 ヒルダが呆れたように呟く。


 彼女の巨体は列の中でも一際目立っていたが、フルプレートアーマーという全身を覆う姿が、逆に「中身が見えない」ことで判断を保留されているようだった。


「どうする、カノア? 強行突破する?」


「まさか。俺たちは善良な旅人だよ。……ルミナ、俺の後ろに隠れてな」


 カノアは飄々とした足取りで、衛兵の前に進み出た。

 衛兵は、カノアの目隠しを見て露骨に顔をしかめた。


「なんだ貴様は。……盲人か? その布の下はどうなっている」


「あー、これはですね。ちょっとした古傷がありまして。見せると旦那方の気分を害してしまうかと」


 カノアは揉み手をしながら、懐から一枚の金貨を取り出し、手品のように衛兵のポケットに滑り込ませた。


 ゴミ山で拾った、王家の紋章が入ったアンティーク金貨だ。


「……ほう」


 衛兵の目の色が変わる。

 この街の衛兵にとって、美しさの次に価値があるのは、それを維持するための「金」らしい。


「まあいい。障害を隠す慎み深さは評価してやろう。……だが、後ろの女はどうだ? なぜ仮面をつけている?」


 矛先がルミナに向く。

 ルミナがびくりと肩を震わせ、カノアの背中にしがみつく。


「彼女は重度の日光アレルギーでしてね。直射日光を浴びると肌が爛れてしまうんです。決して、顔が悪いわけじゃありませんよ。むしろ、仮面の下は絶世の美女でして」


 カノアはスラスラと嘘を並べ立てた。

 衛兵は疑わしげにルミナを見たが、彼女の着ているローブの隙間から覗く肌――手首や首筋の白さに目を留め、納得したように鼻を鳴らした。


「……ふん。肌のキメは悪くないようだな。通れ」

「ありがとうございます、お役人様」


 カノアは恭しく頭を下げ、ルミナとヒルダを促して門をくぐった。

 門を抜けた瞬間、カノアの表情から愛想笑いが消え、氷のような冷徹さが宿る。


「……胸糞悪い検問だったな」


「よく我慢したわね、カノア。今にも斬りかかるんじゃないかとヒヤヒヤしたわ」


「こんなとこで騒ぎを起こすほど馬鹿じゃないって。……それに、本番はこれからだろ」


 カノアが見上げた先。

 街の中央広場には、巨大な掲示板が設置されていた。


 そこには、一人の男の肖像画が描かれたポスターが何枚も貼られている。

 整いすぎた、マネキンのような美貌を持つ男。


 この街の支配者、『領主ナルシス』


『美こそ正義。醜さは罪。我が街に汚物は不要なり』


 ポスターに書かれた標語。

 その肖像画の瞳が、まるで街ゆく人々を監視するかのように、不気味な光を放っていた。


(……どす黒いな)


 カノアの『心眼』には、そのポスターから滲み出る魔力が、ヘドロのように粘り気のある漆黒に見えていた。


 ヴィオラの気配。

 そして、それ以上に歪んだ、個人の狂気。


「……来るんじゃなかったかも」


 ルミナが仮面の上から顔を覆う。

 彼女の魂が、微かに震えている。この街に満ちる空気が、彼女のトラウマを刺激しているのだ。


 カノアは彼女の肩を抱き寄せ、力強く言った。


「大丈夫だ。嫌なものはぜーんぶ、俺が斬ってやるからさ!」


 その言葉に、ルミナが少しだけ顔を上げる。

 仮面の奥で、彼女が頷く気配がした。

 

いつもお読みいただきありがとうございます!

本日より新章『交易都市ベル・ルージュ編』がスタートしました。


また、より多くの方にこの物語を届けるため、タイトルを少し分かりやすく変更いたしました。

(旧題:君は、世界で一番綺麗な色をしている)


中身や「完結までお届けする」という方針は変わりませんので、引き続きカノアとルミナ、そしてヒルダの旅を楽しんでいただければ幸いです!


次話は【今夜20時すぎ】に更新予定です。

面白いと思っていただけたら、ぜひ【ブックマーク】や【評価】で応援をお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ