6話 仮面と、美しき歪みの街
荒野の夜は、都市の夜とはまた違う静寂に包まれていた。
風が砂を巻き上げる乾いた音と、焚き火が爆ぜる音だけが、三人の旅路を彩っている。
ゴミ集積所を出て二日目の夜。
カノアたちは、街道から少し外れた岩陰で野営をしていた。
カノアの『心眼』には、夜空に広がる星々の魔力が、まるで降り注ぐ銀の雨のように映っている。
「……ねえ、カノア、ヒルダさん。これ、どうかな?」
焚き火のそばで、ルミナがおずおずと声を上げた。
彼女の手には、白い陶器のようなものが握られている。
それは、出発前にゴミ山の中から見つけ出し、道中でルミナ自身が磨き上げた「仮面」だった。
かつては貴族の舞踏会か何かで使われていたのだろうか。装飾の剥げ落ちたシンプルなデザインだが、その白さは月光を浴びて冷たく輝いている。
「仮面、か」
カノアは串に刺した干し肉を齧りながら、布越しの視線を向けた。
もちろん、物理的な形状は見えない。
だが、その仮面に込められたルミナの想い――「隠したい」という恐怖と、「前に進みたい」という意思が混ざり合った複雑な色は、痛いほどによく見えた。
「これから行く『ベル・ルージュ』は、人の多い街なんでしょう? 私のこの顔……また誰かを怖がらせちゃうかもしれないから」
ルミナが俯く。
フードの下にある彼女の顔は、ヴィオラの呪いによって赤黒く爛れている。
カノアにとっては関係のないことだが、世間一般の視線が残酷なことは、これまでの経験で嫌というほど知っていた。
「賢明な判断ね」
答えたのは、焚き火の向かいに座る巨大な鋼鉄の塊、ヒルダ。
彼女は食事を摂る必要がない。ただ直立不動で座り込み、その威容で周囲を警戒している。
「ベル・ルージュは、別名『美の回廊』とも呼ばれる街よ。あそこは……少し特殊なの。美しさこそが正義であり、醜さは罪とされる。貴女のその素顔を晒せば、入る前に衛兵につまみ出されるか、最悪の場合、石打ちの刑に処されるわ」
「石打ち……」
ルミナの体が震えた。
カノアは焚き火に薪をくべながら、ふんと鼻を鳴らした。
「くだらないルールだ。見た目だけで中身を判断するなんて、節穴もいいところだな」
「ええ。でも、それがヴィオラの支配する領域のルールなのよ。……郷に入っては郷に従え、と言うわ。無駄な争いを避けるためにも、その仮面は役に立つはずよ」
ヒルダの言葉には、かつて騎士団長として国を見てきた者ならではの重みがあった。
ルミナは頷き、震える手で仮面を顔に当てた。
カチリ、と小さな音がして、仮面が彼女の顔を覆う。
その瞬間、ルミナの魂の色が、少しだけ落ち着きを取り戻したのが見えた。仮面という「物理的な壁」が、彼女の心を外界の悪意から守る盾になったのだ。
「……変、かな?」
仮面の奥から、くぐもった声がする。
カノアは口角を上げた。
「いいや。似合ってるよ。……ま、俺の目には仮面なんて透けて、中身の虹色が丸見えだけど」
「も、もう! カノアったら!」
ルミナが照れくさそうに笑う。その魂の輝きを見て、カノアは安堵した。
仮面は逃げるための道具じゃない。彼女が彼女らしくあるための、一時的な鎧なのだ。
◇
翌日の昼過ぎ。
荒野の先に、巨大な城壁に囲まれた都市が姿を現した。
交易都市『ベル・ルージュ』
赤い煉瓦で作られた城壁は、太陽の光を浴びて鮮血のように赤く輝いている。遠目に見れば美しい光景だが、近づくにつれて、カノアの眉間には皺が寄っていった。
「……臭うな」
カノアが呟く。
物理的な臭いではない。都市全体を覆う、ねっとりとした甘い腐敗臭のような魔力の気配だ。
それは、ゴミ捨て場の腐臭とは違う。もっと人工的で、悪意に満ちた「歪み」の臭いだった。
「わぁ……すごい。お花がいっぱい」
仮面をつけたルミナが感嘆の声を上げる。
城門へと続く街道沿いには、色とりどりのバラが咲き乱れ、芳醇な香りを放っていた。
だが、カノアには視えている。
そのバラの根元には、痩せこけた動物や、あるいは人間らしき白骨が埋められ、その養分を吸い上げて花が咲いている様が。
(表面だけ綺麗に取り繕って、根っこは腐ってる。……趣味が悪いなんてもんじゃない)
城門の前には、入街を待つ人々の長い列ができていた。
商人、旅人、冒険者。
だが、検問の様子がおかしい。
衛兵たちが、通行人の荷物ではなく「顔」をジロジロと確認し、何かを選別しているのだ。
「次! ……ふん、不合格だ。お前の鼻は曲がっている。美観を損ねる」
「そ、そんな! 通行税なら払います! どうか通してくれ!」
「黙れ汚物! この街の地を踏めるのは、選ばれた美しき者だけだ!」
ドンッ、と突き飛ばされた男が、泥の中に這いつくばる。
男の顔は、確かに少し特徴的な形をしていたが、決して醜くはない。だが、衛兵たちはまるで汚いものを見るような目で彼を追い払った。
「……本当に、顔で選んでるのね」
ヒルダが呆れたように呟く。
彼女の巨体は列の中でも一際目立っていたが、フルプレートアーマーという全身を覆う姿が、逆に「中身が見えない」ことで判断を保留されているようだった。
「どうする、カノア? 強行突破する?」
「まさか。俺たちは善良な旅人だよ。……ルミナ、俺の後ろに隠れてな」
カノアは飄々とした足取りで、衛兵の前に進み出た。
衛兵は、カノアの目隠しを見て露骨に顔をしかめた。
「なんだ貴様は。……盲人か? その布の下はどうなっている」
「あー、これはですね。ちょっとした古傷がありまして。見せると旦那方の気分を害してしまうかと」
カノアは揉み手をしながら、懐から一枚の金貨を取り出し、手品のように衛兵のポケットに滑り込ませた。
ゴミ山で拾った、王家の紋章が入ったアンティーク金貨だ。
「……ほう」
衛兵の目の色が変わる。
この街の衛兵にとって、美しさの次に価値があるのは、それを維持するための「金」らしい。
「まあいい。障害を隠す慎み深さは評価してやろう。……だが、後ろの女はどうだ? なぜ仮面をつけている?」
矛先がルミナに向く。
ルミナがびくりと肩を震わせ、カノアの背中にしがみつく。
「彼女は重度の日光アレルギーでしてね。直射日光を浴びると肌が爛れてしまうんです。決して、顔が悪いわけじゃありませんよ。むしろ、仮面の下は絶世の美女でして」
カノアはスラスラと嘘を並べ立てた。
衛兵は疑わしげにルミナを見たが、彼女の着ているローブの隙間から覗く肌――手首や首筋の白さに目を留め、納得したように鼻を鳴らした。
「……ふん。肌のキメは悪くないようだな。通れ」
「ありがとうございます、お役人様」
カノアは恭しく頭を下げ、ルミナとヒルダを促して門をくぐった。
門を抜けた瞬間、カノアの表情から愛想笑いが消え、氷のような冷徹さが宿る。
「……胸糞悪い検問だったな」
「よく我慢したわね、カノア。今にも斬りかかるんじゃないかとヒヤヒヤしたわ」
「こんなとこで騒ぎを起こすほど馬鹿じゃないって。……それに、本番はこれからだろ」
カノアが見上げた先。
街の中央広場には、巨大な掲示板が設置されていた。
そこには、一人の男の肖像画が描かれたポスターが何枚も貼られている。
整いすぎた、マネキンのような美貌を持つ男。
この街の支配者、『領主ナルシス』
『美こそ正義。醜さは罪。我が街に汚物は不要なり』
ポスターに書かれた標語。
その肖像画の瞳が、まるで街ゆく人々を監視するかのように、不気味な光を放っていた。
(……どす黒いな)
カノアの『心眼』には、そのポスターから滲み出る魔力が、ヘドロのように粘り気のある漆黒に見えていた。
ヴィオラの気配。
そして、それ以上に歪んだ、個人の狂気。
「……来るんじゃなかったかも」
ルミナが仮面の上から顔を覆う。
彼女の魂が、微かに震えている。この街に満ちる空気が、彼女のトラウマを刺激しているのだ。
カノアは彼女の肩を抱き寄せ、力強く言った。
「大丈夫だ。嫌なものはぜーんぶ、俺が斬ってやるからさ!」
その言葉に、ルミナが少しだけ顔を上げる。
仮面の奥で、彼女が頷く気配がした。
いつもお読みいただきありがとうございます!
本日より新章『交易都市ベル・ルージュ編』がスタートしました。
また、より多くの方にこの物語を届けるため、タイトルを少し分かりやすく変更いたしました。
(旧題:君は、世界で一番綺麗な色をしている)
中身や「完結までお届けする」という方針は変わりませんので、引き続きカノアとルミナ、そしてヒルダの旅を楽しんでいただければ幸いです!
次話は【今夜20時すぎ】に更新予定です。
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