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59話 操られた盾


 ドゴォォォォォンッ!!


 地下空間に轟音が響き渡り、カノアの目の前の床が大きく陥没した。


 粉砕された石畳の破片が、散弾のように舞い散る。

 カノアは紙一重でバックステップを踏み、直撃を避けていた。


「……ヒルダさん」


 冷や汗が頬を伝う。

 砂煙の向こうに立つのは、鋼鉄の巨人。

 だが、その佇まいはいつもの頼もしい仲間のものではなかった。


 全身の関節からギチギチと異音が鳴り、鎧の表面には幾何学模様の魔法陣が不気味に明滅している。

 まるで、見えない糸で無理やり動かされているマリオネット。


「カノア……逃げ……て……!」


 兜の奥から、悲鳴のような声が漏れる。

 彼女の魂は抵抗している。だが、鎧という「器」の制御権を奪われ、身体が命令を拒絶できないのだ。

 右腕が勝手に持ち上がり、再びカノアに照準を合わせる。


「素晴らしい出力だ! これぞ私が求めていた破壊力!」


 ロゼッタが高笑いする。

 彼は安全な場所――巨大な心臓型機械の制御盤の前に立ち、指揮者のように指を振っていた。


「さあ、ヒルダ様。貴女の新しい家族になるために、古い友人たちを掃除してください」


 ロゼッタの指が動く。

 連動して、ヒルダが地面を蹴った。

 速い。

 重量を感じさせない突進。それは、カノアたちが何度も助けられてきた、最強の盾による体当たりだ。


「くっ……!」


 カノアは剣を構えるが、受け止めることはできない。まともに食らえば骨ごと砕かれる。

 カノアは瞬時に懐からナイフを取り出し、ヒルダの背後の壁へと投げた。


 カォンッ!


 ナイフが壁に突き刺さる。

 直後、ヒルダの拳がカノアを捉える――その寸前。


 ――『空間転移バウンダリー・ステップ』。


 カノアの姿が掻き消え、ナイフの場所へと移動する。

 ヒルダの拳は空を切り、衝撃波だけで床を粉砕した。


「ルミナ、下がれ!」


 カノアが叫ぶ。

 だが、ルミナは動かなかった。

 彼女はヒルダの正面に立ち、両手を広げていたのだ。


「ダメ! ヒルダさん、思い出して!」


 ルミナの叫び。

 暴走する鋼鉄の拳が、ルミナの目の前でピタリと止まる。

 風圧だけで、ルミナの髪が激しく乱れる。


「ウゥ……アァァ……ッ!」


 ヒルダが苦悶の声を上げる。

 拳が震えている。

 殴りたくない。傷つけたくない。

 彼女の魂が、必死にロゼッタの命令に抗い、ブレーキをかけているのだ。


「……おや。まだ自我が残っていましたか」


 ロゼッタが不快そうに眉をひそめる。


「不完全ですねぇ。人形に『迷い』など不要。……もっと深く、心を塗りつぶさなければ」


 ロゼッタが制御盤のレバーを押し込む。

 機械が唸りを上げ、ヒルダの鎧に刻まれた魔法陣が、毒々しい紫色に発光した。


 強制執行オーバーライド

 ヒルダの魂の悲鳴が、カノアの『心眼』に直接突き刺さる。


 ――やめて。

 ――私はもう、誰も傷つけたくない。

 ――お願い、私を壊して。


 精神への負荷が限界を超えようとしている。

 ヒルダの拳が、再び動き出す。

 今度は止まらない。ルミナの頭蓋を砕く軌道。


「させないッ!」


 カノアが間に割って入る。

 剣の腹でヒルダの腕を受け流し、軌道を逸らす。

 ガギィッ!

 重い衝撃がカノアの腕を麻痺させる。


「カノア!」


「大丈夫だ。……でも、これじゃジリ貧なのも確かだ」


 カノアはルミナを庇いながら距離を取った。

 『心眼』でヒルダの状態を探る。


 彼女の魂は、鎧の奥深くに押し込められ、ロゼッタの魔力コードによって雁字搦がんじがらめにされている。

 剣で核を斬れば、彼女の魂ごと消滅してしまうかもしれない。


「どうすればいいの……? ヒルダさんを助けたいのに……!」


 ルミナが涙を浮かべる。

 歌おうとしても、ヒルダの拒絶反応(ロゼッタによる精神汚染)が強すぎて、声が届かない。


「……壊すわけにはいかない」


 カノアは剣を見つめ、そして静かに鞘に納めた。


「え……?」


 ルミナが驚く。

 ロゼッタも怪訝な顔をした。


「諦めましたか? 賢明ですね。素材を傷つけられると困りますから」


「違うね」


 カノアは一歩、前に出た。

 武器を持たず、無防備な姿で、暴走するヒルダへと歩み寄る。


「ヒルダさんは俺たちの仲間だ。……だから、俺は剣を抜かない」


 師匠の時は、剣で語り合うしかなかった。それが師匠の望みだったから。


 でも、ヒルダさんは違う。

 彼女は戦いを望んでいない。

 彼女が求めているのは、戦士としての死に場所じゃない。


 「人間として生きたい」という願いだ。


「カノア……何をする気?」


「呼び戻すんだ。……あの中にいる、泣き虫な騎士様をな」


 カノアは『心眼』を極限まで集中させた。

 見るべきは、ロゼッタの魔力コードではない。

 その奥で震えている、ヒルダの魂の「色」。


「来るぞ! ルミナ、援護してくれ! 君の声で、ヒルダさんの心に道を繋げてくれ!」


「……うん! 分かった!」


 ルミナが共鳴石を握りしめる。

 彼女は歌い出した。

 攻撃のためでも、防御のためでもない。

 ただ、大好きな友人の名前を呼ぶための、呼び水のような歌。


 ――『夜想(ノクターン)』……。


 優しく、透き通るようなハミングが地下空間に響く。

 ロゼッタの機械音にかき消されそうになりながらも、その声は確実にヒルダの鎧を震わせた。


「無駄ですよ。私の支配率は90%を超えている」


 ロゼッタが冷笑し、指を弾く。

 ヒルダが咆哮を上げ、カノアに突進する。

 殺意の塊となったタックル。


 カノアは逃げなかった。

 真正面から、その巨体を受け止める。


 ドォォォンッ!


「ぐぅ……ッ!」


 衝撃が全身を駆け巡る。

 肋骨がきしむ音がした。

 だが、カノアは倒れなかった。ヒルダの腕にしがみつき、ゼロ距離で彼女の兜を見据えた。


「ヒルダさん! 聞こえるか!」


 カノアが叫ぶ。


「アンタは言ったよな! 自分は中身のない空っぽだって!」


 ヒルダの腕が振り上げられる。カノアを叩き潰そうとする。


「でも違う! 俺には見えてるぞ! アンタの中にある、誰よりも熱くて、綺麗な色が!」


 カノアは、振り下ろされる拳を見なかった。

 ただひたすらに、彼女の魂だけを見つめた。


「思い出せよ! アンタは人形なんかじゃない!」


 ルミナの歌声が、カノアの言葉に乗って増幅される。

 『聖詠アリア』の共鳴効果。

 言葉が魔力となり、ロゼッタの支配コードに干渉する。


「アンタは、俺たちが背中を預けた……最高の『人間』だろッ!!」


 カノアの叫びが、ヒルダの魂の殻を叩いた。

 その瞬間。

 振り下ろされようとしていた拳が、カノアの鼻先で止まった。


 ピキッ。


 鎧の表面に浮かんでいた魔法陣に、亀裂が入る。


「……あ……ぁ……」


 兜の奥から、声が漏れた。

 機械的な唸り声ではない。

 感情を取り戻した、人間の声。


「……私は……」


 ヒルダの魂の色が、激しく明滅する。

 ロゼッタの紫色の支配と、ヒルダ自身の銀色の意志がせめぎ合う。


「ありえない……! なぜ止まる!? システムは正常なはずだ!」


 ロゼッタが焦ってレバーをガチャガチャと動かすが、ヒルダは反応しない。

 彼女は、目の前でボロボロになりながら自分を受け止めているカノアと、涙を流しながら歌い続けるルミナを見た。


 ――戻っておいで。

 ――ヒルダさんは、私たちの家族だよ。


 二人の声が、冷たい鉄の檻を溶かしていく。


「……そうね。私は、人形じゃない」


 ヒルダの声に、力が戻る。

 彼女はカノアを掴んでいた手を離し、ゆっくりと、しかし力強く、自分自身を縛り付ける見えない鎖を引きちぎるような動作をした。


「私は……痛みも、喜びも知っている……!」


 ガシャァァァンッ!!


 鎧から、眩い光が噴出した。

 それは、カノアが以前見た「全盛期の幻影」ではない。

 今の、鎧姿のままで、魂が完全に肉体(鎧)を凌駕した輝き。


「一人の……女よッ!!」


 ヒルダの咆哮と共に、ロゼッタの魔法陣が粉々に砕け散った。

 支配からの脱却。

 彼女は、自らの意志で「鋼鉄の肉体」を完全に掌握したのだ。


「……カノア、ルミナ。ありがとう」


 ヒルダが振り返る。

 兜の奥の気配は、かつてないほど優しく、そして強かった。


「さあ、ロゼッタ。……あなたのそのねじ曲がった倫理観の……『教育』の時間よ」


 最強の盾が、今、反撃の拳を握りしめた。


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