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58話 地下の禁書庫

 

 眠りに落ちた人形たちの山を越え、カノアたちは地下通路の奥へと進んだ。


 そこは、先ほどまでの清潔な工房とは空気が違っていた。

 壁は剥き出しの岩肌になり、床には分厚い埃が積もっている。

 空気中に漂うのは、薬品の匂いではなく、遥か昔に忘れ去られた「時間」の匂い。


「……ここ、雰囲気が違うわね」


 ヒルダが壁に触れる。

 その岩肌には、現代の魔法文字とは異なる、幾何学的な紋様が刻まれていた。


「遺跡か……? 館の地下に、こんな場所があったなんて」


 カノアの『心眼エイドス』が、通路の先にある巨大な空間を捉えた。

 そこには、無数の本棚と、乱雑に積み上げられた羊皮紙の山があった。


 書庫だ。

 それも、何百年も前から封印されていたような、禁忌の知識の墓場。


「ロゼッタの気配は、この奥だ。……罠かもしれない、みんな気をつけろ」


 三人は慎重に足を踏み入れた。

 部屋の中央には、巨大な石のテーブルがあり、そこには書きかけの研究日誌や、魔術の設計図が散乱している。


 カノアはテーブルの上の日誌を手に取った。

 指先で文字の凹凸をなぞる。

 そこに込められた書き手の「念」が、強烈な色となって脳内に流れ込んでくる。


 ――美しくなりたい。

 ――誰よりも、永遠に。

 ――そのためなら、悪魔に魂を売ってもいい。


「……うわ、ドロドロだ」


 カノアは顔をしかめた。

 これはロゼッタのものではない。もっと古く、もっと執念深い魔女の残留思念。


「これ……ヴィオラの日記?」


 ルミナが横から覗き込む。


「『概念置換パラダイム・シフトの研究』……。元々は、欠損した身体を補うための医療魔術だったものを、他人の優れた部位を奪い取る術式に改変した……って書いてある」


「医療魔術を、強奪のために歪めたってことか」


 カノアは吐き捨てるように言った。

 ヴィオラの能力の正体。それは、自分にないものを他人から奪って継ぎ接ぎする、究極のツギハギ細工だったのだ。


「見て、こっちにも何かあるわ」


 ヒルダが、部屋の隅にある鉄格子で閉ざされた一画を指差した。

 そこは牢獄のようになっており、中には古びた拘束具と、一枚のカルテが残されていた。


 『被検体No.4』


 カルテにはそう記されていた。

 カノアたちは顔を見合わせ、その内容を読み進める。


『氏名:リゼ。種族:人間』

『特記事項:先天性の「言霊使い」。その声は、対象の意識に直接干渉し、命令を強制する力を持つ』


 言霊使い。

 聞き慣れない言葉だが、その能力の危険性は想像に難くない。


『実験記録:声帯の摘出に成功。摘出した声帯を魔道具に加工し、ヴィオラ様の喉に移植する。これにより、ヴィオラ様は「絶対命令権」を獲得する』


 ルミナが口元を押さえる。

 声帯を、奪われた。

 それは歌姫である彼女にとって、死刑宣告にも等しい残酷な仕打ちだ。


 だが、衝撃的な記述は、その下に続いていた。


『追記:被検体の兄、調教師ザインとの交渉成立。妹の命(本体)を氷漬けにして保存することを条件に、彼はヴィオラ様に永遠の忠誠を誓った』


「ザイン……?」


 カノアの声が上擦る。

 あの男。

 冷徹で、敵か味方か分からなかった調教師。

 彼には、妹がいたのか。

 そして、その妹を人質に取られ、ヴィオラに従っていたというのか。


「……そうだったの」


 ルミナが、カルテの端をギュッと握りしめた。


「あの揺らぎの色の理由……。これだったのか」


 カノアの脳裏に、ザインの言葉が蘇る。


 『お前と私では、目指す場所も進むべき場所も違う』


 『お前には利用価値がある』


 あいつは、ずっと探していたんだ。

 ヴィオラの支配を打ち破り、妹を救い出すための可能性を。

 そして、ルミナの成長した歌声に、その希望を見出したのかもしれない。


「……不器用な奴だな」


 カノアは天井を仰いだ。

 敵だと割り切っていた相手の背後に、自分たちと同じ「奪われた痛み」があった。

 その事実は、カノアの胸に重く、しかし熱く響いた。


「いい趣味ですねぇ。人の日記を盗み読みするなんて」


 突然、スピーカーからノイズ混じりの声が響いた。

 ロゼッタだ。

 部屋の奥、巨大な鉄扉の向こうから、狂気を含んだ声が聞こえてくる。


「そこは過去の遺物置き場です。……ですが、貴方たちが知るべき『真実』は、もっと素晴らしいものですよ」


 ゴゴゴゴゴ……。


 地響きと共に、鉄扉がゆっくりと開き始めた。

 中から溢れ出してくるのは、眩いばかりの光と、圧倒的な魔力の奔流。


「さあ、ご覧なさい! これぞ私がヴィオラ様より授かった秘奥! 魂と物質を融合させる、究極の錬金術です!」


 扉の向こうには、巨大な魔法陣が描かれたホールがあった。

 その中心に、ロゼッタが立っている。

 彼の背後には、無数のケーブルに繋がれた、巨大な心臓のような機械が脈打っていた。


「ヒルダ様。貴女をお待ちしておりましたよ」


 ロゼッタが両手を広げ、恍惚とした表情でヒルダを見つめる。


「貴女の鎧……その魂の定着率は素晴らしい。ですが、まだ不完全だ。……私が『調整』して差し上げましょう。そうすれば、貴女は私の意のままに動く、最高の人形になれる!」


 ロゼッタが魔法陣を発動させる。

 紫色の光が、触手のように伸びてヒルダに襲いかかる。


「カノア、ルミナ! 離れて!」


 ヒルダが叫び、二人を突き飛ばした。

 直後、光の触手がヒルダの鎧を捕らえ、絡め取った。


「ぐぁぁぁぁッ!!」


 ヒルダが絶叫する。

 鎧の表面に幾何学模様の紋章が浮かび上がり、彼女の身体の自由を奪っていく。

 強制操作ハッキング

 人形師の糸が、ヒルダの魂に直接突き刺さる。


「やめろぉぉぉッ!」


 カノアが剣を抜いて飛びかかる。

 だが、ロゼッタは指先一つ動かさず、ただニヤリと笑った。


「おや、動きませんね? ……ヒルダ様、彼を止めてください」


 ギギギ……。


 嫌な音がして、ヒルダの腕が持ち上がった。

 彼女の意志とは無関係に。

 その鋼鉄の拳が、カノアに向かって振り下ろされる。


「カノア……逃げ……て……!」


 ヒルダの悲痛な叫びと共に、最強の盾が、最凶の敵となって立ちはだかった。

 

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