57話 ガラスの心臓
地下へと続く螺旋階段を下りきると、そこは冷気と静寂に支配された広大な空間だった。
高い天井からは無数の魔導灯が吊り下げられ、手術台のような作業台を青白く照らし出している。
「ようこそ。ここが私の聖域、魂を永遠の美へと昇華させる『揺り籠』です」
ロゼッタが両手を広げ、陶酔した声で言った。
その光景に、カノアたちは息を呑んだ。
部屋の壁一面に、巨大なガラスケースが並んでいる。
その中に収められているのは、半分人間で、半分人形の姿をした者たちだった。
腕が陶器に変えられた少女。
足が真鍮の機械に置き換えられた老人。
彼らは溶液の中に浮かび、ピクリとも動かない。だが、死んでいるわけではなかった。
ドクン、ドクン……。
カノアの『心眼』には、彼らの心臓が微かに脈打っているのが視えていた。
そして何より、彼らの魂の色。
それは恐怖と苦痛で濁りきり、助けを求めるように激しく明滅していた。
「……酷い」
ルミナが口元を押さえ、後ずさる。
これは治療でも、芸術でもない。
生きたまま肉体を削ぎ落とし、異物を埋め込む拷問だ。
「酷い? 心外ですねぇ」
ロゼッタは心底不思議そうに首を傾げた。
彼は近くのケースに歩み寄り、ガラス越しに中の少女の頬を愛おしげに撫でた。
「ご覧なさい。この子は病で余命いくばくもなかった。放っておけば、醜く朽ち果てて死ぬだけだったでしょう。……ですが、私が『不朽のパーツ』を与えることで、彼女は永遠の命と美しさを手に入れたのです」
ロゼッタの瞳には、狂信的な光が宿っていた。
彼は本気で、これを「救済」だと信じているのだ。
老いと死を恐れるあまり、生命としての尊厳を踏みにじっていることに気づいていない。
「……ふざけるな」
低い、地を這うような声が響いた。
ヒルダだ。
彼女の全身から、凄まじい怒気が噴き出している。
「貴方のやっていることは救済じゃない。……ただの冒涜よ!」
ヒルダが踏み込む。
床が踏み砕かれ、鋼鉄の拳がロゼッタに迫る。
だが、ロゼッタは動じなかった。
彼は優雅に指を振るう。
カシャッ!
天井から、無数の糸が降り注いだ。
それは鋼鉄よりも硬く、粘着質な魔力の糸。
ヒルダの拳が届く寸前で、その糸が彼女の巨体を絡め取り、拘束した。
「くっ……!?」
ヒルダがもがくが、糸は食い込むばかりで切れない。
「乱暴な方だ。……ですが、その激情すらも美しい」
ロゼッタは、拘束されたヒルダの目の前まで歩み寄り、片眼鏡の位置を直した。
「貴女は素晴らしい。……その鎧の中には、肉体がないのでしょう? 空っぽの器に、魂だけがへばりついている」
ロゼッタの指が、ヒルダの胸甲をなぞる。
冷たく、ねっとりとした感触。
「さぞかし寒いでしょう。寂しいでしょう。……人間としての温もりも、触れ合う喜びも、全て奪われてしまったのですから」
「……触るな」
「私が満たしてあげましょう。……この工房には、最高のパーツが揃っています。貴女のその無骨な鎧を剥ぎ取り、代わりに究極の義体を与えてあげる」
ロゼッタが耳元で囁く。
「そうすれば、貴女は再び『女』に戻れる。……ヴィオラ様が奪ったもの以上の美しさを、私がプレゼントしてあげますよ?」
甘い誘惑。
それは、ヒルダが心の奥底で抱え続けてきたコンプレックス――「自分はもう人間ではない」という絶望を、的確に突く刃だった。
ヒルダの魂の光が、一瞬だけ迷うように揺らぐ。
「……騙されるな、ヒルダさん!」
カノアが叫んだ。
剣を抜き、ヒルダを拘束する糸を斬り裂こうとする。
だが、その行く手を阻むように、作業台の上に寝かされていた作りかけの人形たちが起き上がった。
「ウゥ……アァァ……」
呻き声を上げながら、不完全な手足で襲いかかってくる。
彼らの魂からは、強烈な「痛み」の色が放たれていた。
戦いたくない。痛い。殺してくれ。
そんな悲痛な感情が、カノアの『心眼』に流れ込んでくる。
「くそっ……!」
カノアは剣を止めた。
斬れない。
こいつらは敵じゃない。被害者だ。まだ生きている人間なんだ。
「おや、優しいですね。……ですが、私の子供たちを拒絶するのは可哀想ですよ?」
ロゼッタが指を操る。
人形劇のように、人々が強制的に動かされ、カノアとルミナに群がる。
刃物が仕込まれた義手が、カノアの頬を掠める。
「カノア! どうするの!?」
ルミナが悲鳴を上げる。
彼女もまた、襲ってくる少女の人形を傷つけられず、防戦一方になっている。
(……冷静になれ)
カノアは奥歯を噛み締めた。
『心眼』で視る。
人形たちの背中や首筋から、極細の魔力線が伸びているのが視える。
その線は全て、ロゼッタの指先に集約されている。
操り人形。
本体を叩けば止まるはずだ。
「……ヒルダさん! そいつの言葉に耳を貸すな!」
カノアは糸を避けながら叫んだ。
「アンタは鉄屑なんかじゃない! 誰よりも温かい心を持った、最高の女だろ!」
その声が、ヒルダの迷いを断ち切った。
彼女の魂が、再び銀色に輝く。
「……そうね。私は、もう迷わないと誓ったわ」
ギギギギ……ッ!
ヒルダが力を込める。
魔力強化された剛力が、拘束していた糸を引きちぎっていく。
「なッ……!?」
ロゼッタが目を見開く。
計算外の出力。
ただの魂の定着ではない。鎧と魂が、完全に融合し、昇華している証拠。
「私は人形にはならない。……私は、自分の意志で立つただの『女』よ!」
バヂンッ!!
全ての糸が弾け飛ぶ。
自由になったヒルダが、ロゼッタに向かって拳を振り上げた。
「野蛮なッ……!」
ロゼッタは慌てて後退し、床のスイッチを踏んだ。
ガガガガッ!
床が開き、彼とヒルダの間に分厚い鉄壁がせり上がる。
ドォォォン!
ヒルダの拳が鉄壁を凹ませるが、ロゼッタはその向こう側へと逃げ込んだ。
「……ふふ、いいでしょう。交渉決裂ですね」
スピーカーから、ロゼッタの歪んだ声が響く。
「ならば、力ずくで素材になってもらいます。……この地下の最深部、私の『真の工房』までいらっしゃい。そこで貴女たちを解体してあげましょう」
気配が遠ざかる。
ロゼッタは地下のさらに奥へと逃げたのだ。
「待て!」
カノアが追いかけようとするが、周囲の人形たちが壁となって立ちはだかる。
まだ百体以上いる。
全員殺さずに無力化して進むには、骨が折れそうだ。
「……カノア」
ルミナが、決意を秘めた目でカノアを見た。
彼女は胸元の共鳴石を握りしめている。
「私、歌う。……みんなの痛みを和らげて、眠らせてあげる」
「できるか?」
「うん。……みんなの心が泣いてるのが聞こえるから」
ルミナが歌い始める。
『夜想』。
強制的な睡眠と、精神の鎮静をもたらす子守唄。
優しい歌声が響くと、襲いかかってきていた人形たちの動きが鈍り、糸が切れたようにその場に崩れ落ちていく。
「……助かる」
カノアは道が開いたのを確認し、ヒルダに合図した。
「行こう。……あいつ、絶対に許せない」
カノアの『心眼』には、ロゼッタが逃げ込んだ先に、異質な空間が広がっているのが視えていた。
そこは、この館が建てられるよりもずっと前から存在する、古びた遺跡のような場所。
ヴィオラの闇の深淵に繋がる、禁忌の扉がそこにある。
三人は、眠る人形たちを背に、暗い通路の奥へと足を踏み入れた。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
1/5より投稿回数を1日3回に変更いたします。
時間は毎日9時頃、13時頃、20時頃の予定です。
最終話投稿日は1/24です。この日だけは5本更新いたします。
全120話まで既に予約登録済みですので、100%エタる心配はございません!
安心してお読みください。




