56話 狂気の人形師
広場に面した巨大な館の扉が、重々しい音を立てて開かれた。
中から漂ってきたのは、むせ返るような薔薇の香りと、冷たい防腐剤の臭気。
そして、カツン、カツンという、硬質な足音が響いてきた。
「おや、珍しい。招かれざるお客様ですか」
現れたのは、一人の青年だった。
透き通るような白い肌に、すらりとした長身。仕立ての良い燕尾服を隙なく着こなし、片眼鏡をかけたその姿は、貴族の執事か、あるいは気品ある芸術家のようだ。
金色の髪は一本の乱れもなく整えられ、青い瞳はガラス玉のように澄んでいる。
美しい。
だが、カノアの『心眼』には、彼から生命のゆらぎが全く感じられなかった。
精巧な作り物特有の、冷たい魔力の輝きだけがある。
「……アンタが、ロゼッタか?」
カノアが問うと、青年は優雅に一礼した。
その動きは滑らかだが、どこか機械的で、関節が一度外れてまた戻ったかのような違和感がある。
「いかにも。私がこの『永遠の園』の管理者であり、父であり、創造主であるロゼッタです」
ロゼッタは顔を上げ、カノアたちを品定めするように見回した。
その視線には、人間に対する温かみは一切なく、ただ「素材」としての価値を測る冷徹な光が宿っていた。
「ふむ……。薄汚い盲人に、顔の崩れた小娘。……美しくありませんね」
ロゼッタはハンカチを取り出し、口元を覆った。
露骨な侮蔑。
ルミナが自身の傷を隠すように俯く。
「ヴィオラ様が支配するこの大陸において、醜さは罪です。……本来なら、私の庭に足を踏み入れただけで処分するところですが」
ロゼッタの言葉が止まる。
彼の視線が、一点に釘付けになったからだ。
ヒルダだ。
カノアとルミナの後ろに控える、巨大なフルプレートアーマー。
ロゼッタの青い瞳が、熱を帯びたように怪しく輝き始めた。
「……おお」
彼はうわごとのように漏らし、ふらふらとヒルダに近づいた。
「素晴らしい……! なんて完璧な造形美だ!」
ロゼッタはヒルダの目の前まで来ると、その冷たいガントレットに頬ずりせんばかりの勢いで顔を近づけた。
「この曲線! この光沢! そして何より、無機物でありながら魂を宿しているという奇跡の構造! ……ああ、ヴィオラ様。貴女はなんと素晴らしい素材を私に寄越してくださったのですか!」
「……離れてくれる?」
ヒルダが低い声で威嚇する。
だが、ロゼッタは聞く耳を持たない。彼は恍惚とした表情で、ヒルダの装甲を撫で回そうと手を伸ばす。
「中身の魂などどうでもいい。重要なのはこの『器』だ! これほどの強固な器があれば、私は究極の人形を作り出せる! 永遠に朽ちることのない、至高の芸術品を!」
バチンッ!
ヒルダがロゼッタの手を払いのけた。
金属音が響き、ロゼッタが数歩後ずさる。
「気安く触らないで。……私は展示品でも、あなたの素材でもないわ」
ヒルダの怒気が空気を震わせる。
だが、ロゼッタは怒るどころか、さらに嬉しそうに笑った。
「威勢がいい。……素晴らしい強度だ。普通の人間なら手首が折れているところですよ」
彼は払われた自分の手――あさっての方向に曲がってしまった手首を、バキリと音を立てて元に戻した。
痛がる素振りすらない。
やはり、こいつも人形だ。
「……悪いけど、その辺にしてくれ」
カノアがすっと二人の間に割って入った。
剣は抜いていない。だが、その声色は氷のように冷たい。
「彼女、嫌がってるだろ? 品定めするような目で仲間を見るのはやめてもらえるか?」
「……せっかくのお茶会に招待して差し上げようと思いましたのに」
ロゼッタは残念そうに首を振った。
そして、パチンと指を鳴らす。
カシャッ、カシャッ、カシャッ……。
周囲から、無数の駆動音が響き渡った。
広場にいた住人たち――楽しげに談笑していた老人や子供たちが、一斉に動きを止め、カノアたちの方を向いたのだ。
その顔から笑顔が消え、無機質な殺意だけが張り付いている。
彼らの手には、いつの間にか園芸用のハサミや、農具、あるいは隠し持っていたナイフが握られていた。
「な……!?」
ルミナが息を呑む。
数百人。
この集落にいる全員が、ロゼッタの意のままに動く戦闘人形だったのだ。
「ここは私の庭です。……私の愛しい子供たちは、無礼な客を許しませんよ?」
ロゼッタが優雅に手を振ると、人形たちが包囲網を縮めてくる。
マリーと呼ばれた少女も、花籠を捨て、スカートの下から鋭利な刃物を取り出して構えていた。その瞳に、先ほどまでの愛らしさは微塵もない。
「カノア、どうする?」
ヒルダがカノアの背中を守るように位置取る。
戦うことは可能だ。だが、相手は数が多すぎる。
(……それに、なんか変だ)
カノアは『心眼』で人形たちを観察した。
彼らの動力源にある魔石。そこから、妙なノイズが聞こえる。
ただの魔力の音じゃない。もっとドロドロとした、怨嗟のような響き。
――痛い。
――帰りたい。
微かだが、確かに聞こえる「声の色」。
もしや、この人形たちの動力源には……。
(……ここで暴れちゃマズい気がする)
カノアは直感した。
彼らをただ破壊していいのか分からない。それに、まずはこの森の秘密と、ヴィオラの情報を聞き出すのが先決だ。
ロゼッタの背後に見える館。そこから漂う、濃密な魔力の気配が気になっていた。
何かがある。ヴィオラに関する重要な何かが。
「……わかったよ。お茶会、付き合うよ」
カノアは両手を挙げ、降参のポーズをとった。
「ただし、条件がある。……俺たちに指一本触れるな。特に、そのレディにはな」
「賢明ですね。……ええ、約束しましょう。素材を傷つけるような真似は、芸術家として致しません」
ロゼッタは満足げに頷き、館の扉を指し示した。
「さあ、どうぞ。……最高のお茶と、永遠の夢について語り合いましょう」
◇
案内された館の内部は、外見以上に異様だった。
廊下の壁には、無数の「身体のパーツ」が飾られていた。
美しい手、足、ガラス玉のような義眼、そして陶器で作られた皮膚。
それらはすべて、精巧に作られた偽物だ。
だが、カノアがその横を通り過ぎるたび、『心眼』の視界がノイズで揺れる。
飾られたパーツから、微弱だが確かな「痛みの色」の記憶が流れ込んでくるのだ。
(……間違いない。これは、ただの人形じゃない)
カノアは拳を握りしめた。
この館にあるもの全てに、かつて生きていた誰かの痕跡が染み付いている。
それが何を意味するのか、想像するだけで吐き気がした。
「綺麗な館でしょう? ここにあるものは全て、私が丹精込めて作り上げた作品たちです」
ロゼッタが得意げに説明する。
通された客間は、豪華なシャンデリアと深紅の絨毯で飾られた広間だった。
そこには、等身大の美しい女性の人形が何体も飾られている。
どれもが、生身の人間と見紛うほどの完成度だ。
「……悪趣味すぎる」
ルミナがポツリと呟く。
彼女は、飾られている人形の一体と目が合った気がして、思わず身震いをした。
その人形の瞳が、助けを求めるように揺らいで見えたからだ。
「おや、理解されませんか? ……人間は脆く、醜い。老い、病み、最後は腐って土に還る。それはあまりにも悲しいことだと思いませんか?」
ロゼッタがティーカップを傾けながら、うっとりとした表情で語る。
「ですが、人形になれば永遠です。美しいまま、時を超えて存在できる。……ヴィオラ様もそう仰っていました。『美とは静止である』と」
カノアはため息をついた。
またその理屈か。ナルシスと同じだ。
ヴィオラに毒された連中は、どいつもこいつも「生」を否定し、「死」を賛美する。
「アンタの言う永遠ってのは、ただの死体保存だろ。……俺たちは、そんなものに興味はない」
カノアが切り捨てると、ロゼッタの表情が曇った。
彼はカップを置き、残念そうに首を振った。
「理解なき者には、教育が必要ですね。……まあいいでしょう。貴方たちには、特別に『工房』をお見せしましょうか。そうすれば、私の芸術の素晴らしさが分かるはずです」
「工房?」
「ええ。この館の地下にある、命を永遠に変える神聖な場所です」
ロゼッタが立ち上がり、壁のタペストリーをめくった。
そこには、地下へと続く隠し階段があった。
階段の奥から、冷気と共に、鉄錆と血の匂いが漂ってくる。
「……罠の匂いがプンプンするな」
カノアはヒルダとルミナに目配せをした。
いつでも戦える準備をしておけ、という合図だ。
「行きましょう。……私の最高傑作をお見せしますよ」
ロゼッタが先導して階段を降りていく。
カノアたちはその後を追った。
暗い階段を降りるたびに、空気は重く、冷たくなっていく。
そして、微かに聞こえてくるのは――機械の駆動音と、押し殺されたような人の呻き声だった。
そこは、楽園の裏側にある屠殺場。
美しさという名の狂気が生産される、禁忌の実験室だった。




