47話 魔女の降臨
空が割れ、魔女ヴィオラが降臨した。
その姿を見た瞬間、カノアの『心眼』が焼き切れそうなほどの不快感を訴えた。
美しいドレスと、崩れ落ちた醜悪な顔。
相反する二つが混ざり合い、世界を呪うようなドス黒いオーラを撒き散らしている。
「ヴィオラ……!」
ヒルダが身構える。
だが、カノアたちは満身創痍だ。黒騎士との激闘で魔力も体力も尽きかけている。
「ザイン! 何をしているの!?」
ヴィオラが叫ぶ。
その視線は、観客席の闇に向けられていた。
「……ここに」
影の中から、ザインが音もなく現れた。
彼はヴィオラの前に跪くが、その目はカノアたちを冷ややかに見据えている。
「使えない番犬ね。……私が今からこいつらを皆殺しにするわ。お前も手伝いなさい」
「御意」
ザインが立ち上がり、鞭を構える。
最悪だ。
ラスボスであるヴィオラと、底知れない実力を持つザイン。この二人を同時に相手にするなど、今の戦力では不可能だ。
「……やるしかない」
カノアは震える足で立ち上がろうとする。
だが、体が動かない。魔力枯渇による麻痺だ。
ルミナも歌う気力すら残っていない。
「死になさい。……私の痛みを、その身に刻んで」
ヴィオラが指を向ける。
紫色の極大魔法が生成される。防御不能の破壊の光。
終わった。
そう思った瞬間。
「……弟子に、手を出させるかよ」
ドォォン!!
カノアの前に、影が割り込んだ。
グレンだ。
彼は剣を片手に、ヴィオラの魔法を正面から斬り裂いたのだ。
「師匠……!?」
「ボサッとしてんな、馬鹿弟子。……立てるか?」
グレンは背中越しに言った。
その身体はボロボロだ。5年に渡る精神支配と、カノアとの戦いで負ったダメージ。立っているのが奇跡のような状態だ。
だが、その背中は、カノアの記憶にある「最強の剣士」そのものだった。
「グレン……! 私の人形の分際で、飼い主に歯向かう気!?」
ヴィオラが激昂する。
「ったく……うるせぇ婆さんだな。人形じゃねぇよ。……俺は、コイツの師匠だ」
グレンが踏み込む。
速い。
カノアとの戦い以上の、命を削る加速。
「ザイン! そいつらを殺せ!」
ヴィオラがグレンの剣を受け止めながら叫ぶ。
ザインが動く。
カノアたちに向かって、影狼と鞭が殺到する。
「くっ……!」
ヒルダが盾になり、カノアがナイフで応戦する。
だが、ザインの攻撃は鋭く、防戦一方だ。
加勢などできない。自分たちの身を守るだけで精一杯だ。
一方、グレンとヴィオラの戦いは次元が違っていた。
ヴィオラが放つ無数の強大な魔法を、グレンは剣技だけで弾き、斬り、無効化していく。
知られていない無名の最強。
その実力は、魔女すらも一時的に圧倒していた。
だが、長くは続かない。
グレンの口から血が溢れる。
限界が近いのだ。
「しぶといのよ……ッ!」
ヴィオラが空間をねじ切るような重力魔法を放つ。
グレンは膝をついた。
剣が折れそうに軋む。
(……今の俺の体では、ヴィオラには勝てん)
グレンは悟った。
このままでは全滅だ。
カノアを、ルミナを、ヒルダを。……未来ある若者たちを、こんなところで終わらせるわけにはいかない。
(制御が苦手で、カノアに教えたきり全く使っていなかったが……)
グレンは、自身の残りの魔力を練り上げた。
それは攻撃魔法ではない。
空間を繋ぎ、強制的に転送する大魔法。
「カノアッ!!」
グレンが叫び、剣を天に突き上げた。
――『空間転移・広域』。
カノアたちの足元に、巨大な魔法陣が出現する。
空間が歪み、視界がぐにゃりと曲がる。
「な……師匠、これ……!?」
「悪い。俺にもお前らがどこに飛ばされるかわからん。……だが、ここよりはマシだ」
グレンが振り返り、ニカっと笑った。
血まみれの顔で。
「必ずやり遂げろよ。カノア」
「待て! 師匠も一緒に……!」
カノアが手を伸ばす。
だが、転移の光が視界を覆い尽くす。
「逃がすかッ!!」
ヴィオラが絶叫し、転移を阻害するための黒い槍を放つ。
その軌道は正確に、カノアたちを貫こうとしていた。
「止めなさい! ザイン!!」
ヴィオラが命じる。
ザインが動いた。
彼は鞭を振るい、さらに結界術を展開して転移を封じ込めようとする――ふりをした。
パチンッ。
ザインの展開した結界が、妙な角度でヴィオラの黒い槍に干渉した。
槍の軌道がわずかにズレる。
それは傍目には、「カノアたちの抵抗によって術が乱れた」ように見えただろう。
だが、カノアの『心眼』には見えていた。
ザインが、意図的に術式を暴走させ、ヴィオラの邪魔をしたのを。
「チッ、失敗したか……!」
ザインがわざとらしく舌打ちをする。
その一瞬の隙が、生死を分けた。
黒い槍はカノアたちを逸れ、虚空を穿つ。
そして。
「おおおおおおッ!!」
グレンが最後の力を振り絞り、ヴィオラに突っ込んだ。
防御を捨てた特攻。
ヴィオラの迎撃魔法がグレンの身体を貫く。
だが、彼は止まらない。
「この死に損ないの……犬がァッ!私に牙を剥くな!!」
「うるせぇんだよ、ババア。犬みたいにキャンキャン喚くな。傷に響くだろ」
ドスッ!
折れかけた剣が、ヴィオラの腹部に深々と突き刺さった。
「が、は……ッ!?」
ヴィオラが血を吐く。
信じられないものを見る目で、目の前の男を見る。
心臓を貫かれているはずの男が、なぜ動けるのか。
「こいつ……どこにこんな……!」
「へへ……。弟子に……カッコ悪いとこ、見せられねぇからな……」
グレンは笑った。
視界が霞む。
転移の光に包まれ、消えていくカノアたちの姿が、ぼんやりと見える。
――1人だったお前が。
泣き虫で、孤独で、何も見たくないと目を塞いでいた少年が。
今は、あんなに頼もしい仲間たちに囲まれている。
へへ。いい仲間を持ったじゃねぇか。
「師匠ォォォォォッ!!」
カノアの絶叫が聞こえる。
グレンは、最期の力を振り絞って叫んだ。
「俺を振り返るな!!」
それは命令だった。
そして、願いだった。
「お前が見るべき先は、お前が描くしかない。……そこに俺の背中は必要ない」
もう、俺の背中を追わなくていい。
お前はもう、俺を超えたんだから。
「カノア。……辿り着いて、ぶちかましてやれよ」
光が弾けた。
カノアたちの姿が、空間の彼方へと消え失せる。
残されたのは、血の海に沈む闘技場と、腹を刺された魔女、そして――立ったまま動かなくなった、一人の剣士だけだった。




