44話 見えないものを見ろ
特訓を終え、カノアは廃教会へと戻ってきた。
外はすでに日が昇り始めている。
礼拝堂では、ヒルダとルミナが不安そうな顔で待っていたが、ボロボロになりながらも確かな光を宿して帰還したカノアを見て、安堵の表情を浮かべた。
「カノア! 無事だったんだね……!」
「ああ。ひどい目に遭ったけどな」
カノアは苦笑し、背後に立つザインを振り返った。
ザインは皆の輪には入らず、出口の扉に寄りかかって腕を組んでいる。
その態度は、あくまで「敵」としての距離感を保っていた。
「……なあ、ザイン」
カノアが呼びかける。
「どうしてヴィオラの手下なのに、ここまで協力してくれたんだ? 俺を鍛えて、何の得がある?」
ザインは無言でカノアを見返した。
その瞳は冷徹だが、カノアの『心眼』には、彼の奥底にあるものが映っていた。
「あんたの魂は、ずっと揺らいでる。……それと関係があるのか?」
氷のように冷たい色の奥で、消え入りそうなほど小さな、けれど決して消えない残り火のような熱。
それは、何か大切なものを守ろうとする意志にも、失ったものを嘆く悲しみにも見えた。
「お前には関係の無いことだ」
ザインが短く切り捨てる。
「関係ある。あんたは根っからの悪い奴じゃない。……もし手を取り合えるなら、一緒にヴィオラを……」
「あまり、調子に乗らんことだな」
ザインが言葉を遮るように、鋭い殺気を放った。
空気が凍りつく。
ヒルダとルミナが身構えるが、カノアは動じなかった。それが本気の殺意ではないと分かっていたからだ。
「お前と私では、目指す場所も進むべき場所も違う。お前を鍛えたのは、お前には利用価値があるからだ」
ザインは背を向け、扉を開けた。
朝の光が差し込み、彼の黒い影を長く伸ばす。
「勘違いするな。私はヴィオラ様の忠実な下僕だ。……お前が黒騎士に敗れれば、次は私がその首を貰い受ける」
「……どっちにしろ、感謝はしてるよ。助かった、ありがとうザイン」
カノアはザインの背中に向かって言った。
「師匠にどこまで通じるかは分からないが……俺には頼れる仲間がいるしな」
カノアが視線を向ける。
そこには、心配そうに、けれど力強く頷いてくれるヒルダとルミナがいた。
一人じゃない。
背中を預けられる仲間がいるからこそ、カノアは前だけを見て戦える。
「……フン。精々あがくことだ」
ザインはそれだけ言い残し、光の中へと消えていった。
◇
その夜。
黒の城、頂上。
円形闘技場は、前夜以上の熱気に包まれていた。
観客席を埋め尽くす仮面の群衆たちは、サディスティックな歓声を上げ、新たな生贄の登場を待ちわびている。
その中心に、漆黒の絶望が立っていた。
黒騎士。
相変わらず、カノアの『心眼』には何も映らない。
ただそこにあるのは、空間を切り取ったような「虚無」だけだ。
「……カノア、大丈夫?」
ルミナが震える声で尋ねる。
彼女の目には、前回の惨劇――カノアが血まみれになった光景が焼き付いている。
「ああ、平気だよ。……見えるようになったからな」
カノアは静かに答えた。
その立ち姿は、以前のように力んでいない。
剣をだらりと下げ、全身の力を抜いている。
「ヒルダさん、ルミナ。……最初は俺一人に行かせてくれ」
「カノア? でも……!」
「これは俺の試練だ。俺が超えなきゃいけない壁なんだ」
カノアは二人を見据えた。
「師匠の剣を受け止めて、その想いを感じたい。……でも、もし俺が押し負けそうになったら、その時は背中を頼む」
「……ええ、分かったわ」
ヒルダが大きく頷き、盾を構えた。
ルミナも共鳴石を握りしめる。
「信じてるよ、カノア」
二人の声援を背に、カノアは黒騎士の前に進み出た。
「……お待たせ」
呼びかけにも、黒騎士は答えない。
ただ、ゆらりと剣を構えただけだ。
殺気がない。予備動作がない。
『心眼』のマップには、依然として黒い穴が空いているだけ。
(……昔、師匠はよく言ってたっけ)
カノアは目を閉じた。
『カノア。お前の目は良すぎる。だからダメなんだ』
『目に映らない、見えないものを見ろ』
あの頃の俺は、その言葉の意味が分からなかった。
見えないものを見るなんて、矛盾していると思っていた。
でも、今は分かる。
見ようとすることは、「確認」だ。
起きた現象をデータとして処理し、納得しようとする作業。
だが、達人の戦いに「確認」の時間なんてない。
思考する前に、事象は終わっている。
(マップを捨てろ。情報を捨てろ)
カノアは脳内の『3Dマップ』を消去した。
風の音も、熱の分布も、魔力の色も、すべて意識の外へ追いやる。
残るのは、自分と、目の前の「虚無」だけ。
フッ。
黒騎士が消えた。
物理的な移動ではない。認識の間隙を縫う神速の踏み込み。
前回なら、ここで斬られていた。
だが。
(……そこだ)
カノアの脳内に、一筋の「線」が走った。
黒騎士の魂が発した、攻撃の意志。
それが、カノアの肌を刺すより早く、心に届いた。
キィィィィン!!
金属音が響き、火花が散る。
カノアの剣が、黒騎士の一撃を正確に受け止めていた。
「……!」
観客席がどよめく。
黒騎士の兜が、わずかに揺れた気がした。
「……見ようとはしてないよ」
カノアは鍔迫り合いの中で呟く。
「ただ、アンタの『心』が聞こえるんだ」
『心眼』。
その能力の本質は、見ることではない。
相手が動こうとする瞬間に生じる「意志の火花」を感じ取り、自分と同調させること。
黒騎士の身体は、ヴィオラの呪いで動かされている。
だが、その奥底にある師匠の魂は、常に叫んでいる。
『来るぞ』『右だ』『退け』と。
その微かな抵抗、魂の軋みを、カノアは自分ごとのように感じ取っていた。
「アンタが教えてくれたんだろ。……『見えないものを見ろ』って」
カノアが剣を弾く。
黒騎士がたたらを踏む。
そこへ、カノアが踏み込んだ。
「行くぞ、師匠! 最後の稽古だ!」




