42話 琥珀の誓い
廃教会の薄闇の中で、カノアの決意がこだまする。
その顔には、もう敗北の影はなかった。
「……少しは吹っ切れたようだな」
ザインは石棺の上に腰掛け、手慰みにナイフで木片を削っていた。
「おかげさまで」
カノアはザインの方を向いた。
『心眼』で見るザインの魂の色は、相変わらず冷たく、底知れない。だが、今はそこに微かな「揺らぎ」が見える気がした。
「ザイン。あんたは知ってるんだろ? 師匠がああなった理由を」
ザインの手が止まる。
彼はしばらく無言だったが、やがて小さくため息をつき、削りかけの木片を放り投げた。
「……知っていると言ったら、どうする?」
「教えてほしい」
「……まあ……いいだろう。どうせ、この先奴を殺すか、救うか、どちらかを選ばねばならんのだ。判断材料は多いほうがいい」
ザインは立ち上がり、ゆっくりとカノアに近づいた。
「あれは、お前が瞳を奪われたあの日から数ヶ月後。……まだ傷も癒えぬお前が、ゴミ捨て場で泥水を啜っていた頃の話だ」
◇
5年前。王都、魔女の城。
深夜の謁見の間に、一人の侵入者が現れた。
警備兵たちは皆、音もなく気絶させられ、廊下には静寂だけが横たわっていた。
侵入者の名は、グレン。
遠征から戻り、弟子の悲劇を知った彼は、怒りのままに単身で城へ乗り込んだのだ。
「……ヴィオラはどこだ」
彼の剣からは、凄まじい殺気が立ち上っていた。
立ちはだかる魔獣やゴーレムを紙切れのように斬り捨て、彼は玉座の間へと到達した。
「あら、野蛮なお客様ね」
玉座には、ヴィオラが座っていた。
その手にはワイングラス。傍らには、まだ若かったザインも控えていた。
「貴様か。……カノアの目を奪ったのは」
グレンの問いに、ヴィオラは艶然と微笑んだ。
「ええ。とても綺麗な瞳だったわ。今は私のコレクションとして、大切に使わせてもらっているけれど?」
その言葉が、グレンの理性を焼き切った。
「返してもらうぞ……ッ!」
グレンが踏み込む。
速い。
ザインが反応する暇もなく、黒鉄の剣がヴィオラの喉元へと迫る。
魔女の防御障壁が紙のように切り裂かれる。
誰もが、ヴィオラの死を確信した瞬間だった。
「――殺せば、あの子も死ぬわよ?」
ヴィオラの声が、切っ先を止めた。
刃は、彼女の白い首の皮一枚で静止していた。
「……なんだと?」
「知らないの? 『概念置換』は、まだ完全じゃないのよ。あの子の瞳は、私の魔力回路と深くリンクしている。……今、私が死ねば、その反動は全て元の持ち主へ逆流する」
ヴィオラは、喉元の剣を指先でツンと弾いた。
「カノアの脳が焼き切れてもいいなら、どうぞ? 刺しなさいな」
嘘か、真実か。
魔法に疎いグレンには、それを判断する術がなかった。
だが、万に一つでも可能性があるなら、彼は賭けることができなかった。
カノアは、彼にとってただの弟子ではない。
孤独だった自分に、初めて「家族」のような温かさをくれた存在だったから。
「……卑怯な」
グレンの手から、力が抜ける。
剣が床に落ち、乾いた音を立てた。
それを見たヴィオラは、愉悦に満ちた声を上げた。
「あら、賢明な判断ね。……でも、タダで帰せるとでも思って?」
ヴィオラが指を鳴らすと、天井から無数の鎖が現れ、グレンの四肢を拘束した。
「いい腕をしているわ。殺すには惜しい。……どう? 私の『番犬』にならない?」
「……断る」
「そう。じゃあ、カノアのリンクを今すぐ切ってあげましょうか? あの子は死ぬけれど」
「ッ……!」
究極の選択。
自分の誇りを守って弟子を殺すか。
自分を殺して弟子を生かすか。
グレンの答えは、決まっていた。
「……条件がある」
グレンは、血を吐くような声で言った。
「俺が従う限り、カノアには手出しをするな。……あいつが生き延びるための、最低限の慈悲を与えろ」
「ええ、いいわよ。あんなゴミ捨て場のネズミ、もう興味ないもの」
ヴィオラは快諾した。
そして、グレンに漆黒の仮面を差し出した。
「さあ、被りなさい。……これがお前の新しい顔よ。自我を捨て、心を殺し、私のためだけに剣を振るう『黒騎士』として生まれ変わるの」
グレンは震える手で仮面を受け取った。
彼は最後に、遠くの空を見つめた。
そこには、きっとカノアがいる。光を失い、絶望しているであろう愛弟子が。
(……生きろ、カノア)
グレンは心の中で呟いた。
(お前がいつか、本当の景色を見つけるその日まで……俺が、地獄の底で待っていてやる)
そして、彼は仮面を被った。
その瞬間、グレンという男の意識は闇の底へと沈み、ただ命令に従うだけの人形が誕生した。
◇
「……それが、5年前の真実だ」
ザインの話が終わる。
カノアは、膝の上で拳を強く握りしめていた。
爪が食い込み、血が滲む。
「……ふざけるな……」
カノアの声が震える。
「なんだよ、それ……。俺のために、自分を売ったっていうのかよ……」
あの時、助けに来なかったんじゃない。
師匠は、俺の命を守るために、自分の全てを犠牲にしていたんだ。
俺がのうのうと生きて、旅をして、笑っていられたのは……師匠が泥を被ってくれていたおかげだったんだ。
「……リンクの話は本当なのか?」
「さあな。ハッタリかもしれんし、事実かもしれん。……だが、グレンは信じた。それだけの話だ」
ザインは淡々と答える。
カノアは立ち上がった。
その顔には、もう迷いはなかった。
「……ザイン。特訓の続きをしよう」
カノアは愛剣を抜いた。
「強くなる。……師匠が俺のために捨てたもん、全部取り返すくらい強くなってやる」
師匠を救う方法は一つ。
黒騎士を倒し、その仮面を砕くこと。
それは、師匠の愛と覚悟を、弟子である自分が超えるという証明でもある。
「いい顔だ」
ザインは満足げに笑い、鞭を構えた。
「ならば叩き込んでやる。……『心眼』のその先にある、魂を削り合う領域をな」
不夜城の地下で、二人の殺気だけが燃え上がっていた。
あけましておめでとうございます。
旧年中は応援ありがとうございました。
本年も毎日更新して参りますので、本作品をよろしくお願いいたします。




