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40話 敗北の味と毒の教え


 意識が浮上する。

 最初に感じたのは、鉄錆とカビの匂い。そして、張り詰めた殺気だった。


「……動かないで」


 ヒルダの低い声が響く。

 カノアが薄く目を開けると、そこは薄暗い廃教会の礼拝堂だった。


 カノアは長椅子を並べた簡易ベッドに寝かされている。

 その目の前で、ヒルダが仁王立ちで誰かと対峙していた。


「一歩でも近づけば、潰すわよ」


 ヒルダの背後には、ルミナがいる。

 彼女は震えながらも、カノアを守るように覆いかぶさり、敵を睨みつけていた。


 その視線の先にいたのは、ザインだ。


「……野蛮だな。怪我人の見舞いに来ただけだというのに」


 ザインはカノアから目を離さず、淡々と言った。

 その余裕が、ヒルダの神経を逆撫でする。


「どの口が言うの! 貴方はヴィオラの部下でしょう! カノアを……私たちを殺しに来たのなら、ここで相手になるわ!」


 ヒルダがガントレットを構える。

 だが、ザインは鼻で笑った。


「殺す? ……冗談だろう。今のお前たちなど私が指を鳴らせば、影狼たちの餌になるだけだ」


 ザインがパチンと指を鳴らす。

 その音だけで、周囲の影が一斉に蠢き、無数の獣の瞳が闇の中から浮かび上がった。


「ひッ……!」


 ルミナが悲鳴を上げる。

 圧倒的な戦力差。今の状態では、勝ち目など万に一つもない。


「……よせ、ヒルダさん」


 カノアが、絞り出すような声を出した。

 激痛に顔を歪めながら、上半身を起こす。


「カノア! 寝てなきゃダメよ!」


「大丈夫だ……。そいつは、殺す気ならとっくにやってると思う」


 カノアは荒い息を吐きながら、ザインの方を向いた。

 『心眼』で探る。

 相変わらず、底が見えない男だ。だが、殺気とは違う、奇妙な色の魔力を放っている。


「……何の用だ、ザイン。」


「無様な姿を見に来ただけだ。……と言いたいところだが」


 ザインは懐から小瓶を取り出し、放り投げた。

 ヒルダが警戒してキャッチする。

 中に入っていたのは、透き通るような緑色の液体。


「最高級の回復薬ポーションだ。飲ませてやれ。死なれては困る」


「……どういうつもり?」


 ヒルダが疑わしげに問う。


「投資だよ。……あの黒騎士はお前たちにとって高すぎる壁だ。今のまま再戦しても、結果は変わらん。ゴミのように斬り捨てられて終わりだ」


 ザインの言葉が、カノアの傷を抉る。

 完敗だった。


 手も足も出なかった。

 師匠だと分かってしまった動揺を差し引いても、実力差は歴然としていた。


「お前の『心眼』は優秀だ。だが、それゆえに脆い。……見えすぎる目は、見えない恐怖に耐性がない」


 図星だった。

 黒騎士の『無我』。情報がない空白。

 それと対峙した時、カノアは恐怖で思考が停止した。


「強くなりたければ、ついて来い。……私が、その腑抜けた根性を叩き直してやる」


 ザインが背を向ける。

 それは、敵からの「指導」の申し出。

 罠かもしれない。毒かもしれない。


「ダメよカノア! 信用できないわ!」


 ヒルダが止める。

 だが、カノアは回復薬の蓋を開け、一気に飲み干した。

 苦い味が広がり、胃の腑から熱が広がる。痛みが引いていく。


「……毒でもなんでもいい。強くなれるなら、泥だって啜るさ」


 カノアはふらつきながらも立ち上がった。

 その瞳には、暗い炎が宿っていた。


「行ってくる。……心配しなくていいよ、必ず戻る」


 カノアはルミナの頭をポンと撫で、ヒルダに目配せをして、ザインの後を追った。


          ◇


 ザインに連れられた先は、教会の地下にある納骨堂だった。

 ひんやりとした空気が漂う石造りの空間。

 そこでザインは、一本の鞭を取り出した。


「これより、特別授業を始める」


 ザインが指を鳴らすと、空間が歪み、周囲の光が遮断された。

 魔術的な『闇』の結界。

 物理的な光だけでなく、魔力光すらも減衰させる特殊なフィールドだ。


「ここでは、お前の『心眼』の精度は十分の一以下になる。色はぼやけ、輪郭は溶ける」


 カノアは舌打ちした。

 ただでさえ見えにくいのに、さらに目隠しをされた気分だ。


「ルールは簡単だ。……私の鞭を、一発でも避けてみせろ」


 ヒュンッ!


 警告なしの一撃。

 カノアは頬に熱さを感じた。

 避けられない。鞭の初動が見えなかった。


「遅い。……目で追うなと言ったはずだ」


 ザインの声が闇の中で響く。

 どこにいる? 右か? 左か?

 カノアは必死に『心眼』を凝らすが、闇のノイズが邪魔をしてザインの姿を捉えられない。


「目は脳を騙す。だが、肌は嘘をつかない」


 バシッ!

 今度は左肩。皮膚が裂ける痛み。


「風を感じろ。殺気を感じろ。……相手の『意志』のベクトルを、魂で受信しろ」


 ザインの攻撃は続く。

 容赦はない。傷口が開き、新たな血が流れる。

 だが、その痛みの中で、カノアの感覚が研ぎ澄まされていくのを感じた。


 見ようとするな。

 探そうとするな。

 ただ、そこに在る「殺意」の切っ先だけに集中しろ。


(……来る)


 カノアの肌が粟立つ。

 『心眼』には何も映っていない。

 だが、右側の空気が、針で刺されたようにピリついた気がした。


 カノアは反射的に首を傾けた。


 ヒュンッ!


 鞭が、カノアの耳元を掠めて空を切った。

 髪の毛が数本、ハラリと落ちる。


「……ほう」


 闇の奥で、ザインが感心したように呟いた。


「まぐれか? それとも……」


「……うるさいな、サディスト」


 カノアは荒い息を吐きながら、口元の血を拭った。

 今のは、見えたんじゃない。

 自分の命を刈り取りに来る「線」が、肌に触れる前に分かったのだ。


「もう一回だ。……コツが掴めそうなんだ」


 カノアが構える。

 その顔つきは、負け犬のそれではない。

 飢えた狼の顔だ。


 ザインは口元を歪め、再び鞭を構えた。

 育成は順調だ。


 この少年が、師匠である黒騎士を超える刃になるまで、地獄の特訓は、夜明けまで続いた。


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