4話 反撃の歌姫
鋼鉄の塊が、ルミナの頭上へ落ちる。
カノアの『心眼』には、その未来が鮮明すぎるほどの絶望的な色彩で描かれていた。
間に合わない。
剣を投げて転移するには、コンマ数秒遅い。
物理攻撃が通じない相手に、どうすればいい? 考えている時間はない。
「くそっ……!」
カノアは思考を放棄した。
理屈も魔法も捨て、ただ泥臭く、自身の肉体をバネのように弾けさせる。
転移ではない。純粋な脚力による跳躍。
彼はルミナの細い体を抱きかかえるようにして、その場から転がり込んだ。
ドォォォォォォンッ!!
直後、ルミナがいた場所が爆ぜた。
鋼鉄の騎士が振り下ろした拳によって、コンテナの床が紙細工のように引き裂かれ、衝撃波が狭い室内を暴れまわる。
「ぐぅっ……!」
カノアは背中でその衝撃を受け止め、壁際まで吹き飛ばされた。
肺から空気が強制的に絞り出される。
だが、腕の中にある温もり――ルミナだけは守り切った。
「カノア!? だ、大丈夫!?」
「……へへ。肋骨の一本くらい持ってかれたかも」
カノアは脂汗を流しながらも、口元を歪めて笑ってみせた。
ルミナの顔色が蒼白だ。彼女の魂の色が、恐怖で細かく震えている。
それを見て、カノアの奥底で冷たい怒りが燃え上がった。
(よくも、女の子相手に本気で殴りやがって)
目の前では、粉塵の中からゆっくりと鋼鉄の怪物が起き上がっていた。
青白い魂の炎が、無機質に揺らめく。
物理攻撃無効。質量兵器。感情のない殺戮マシーン。
勝てる要素がない。だが、引くわけにはいかない。
「排除……失敗。再試行する」
冷徹な声と共に、鎧騎士が再び構える。
カノアは愛剣を握り直した。
斬っても透けるなら、どうする? 関節を極めるか? いや、あの質量の前では関節技など無意味だ。
なら、どうすれば――。
「……させない」
その時、小さな、けれど凛とした声が響いた。
カノアの腕の中から、ルミナが立ち上がっていた。
「ルミナ?」
「もう嫌なの。守られているだけなのは。……私も戦う」
彼女はフードを脱ぎ捨てた。
月明かりの下、呪いによって爛れた素顔が晒される。だが、今の彼女はそれを恥じてはいなかった。
彼女は大きく息を吸い込み――そして、歌った。
――アァァァァ……。
それは、言葉のない旋律。
だが、その瞬間、カノアの『心眼』の世界が一変した。
音が、光になったのだ。
ルミナの喉から紡がれた歌声が、無数の光の粒子となって溢れ出し、薄汚れたコンテナの中を虹色の奔流となって満たしていく。
腐敗したゴミの臭いも、鉄錆の味も消え失せた。
そこにあるのは、圧倒的な「清浄」と「調和」の空間。
「な……これは……」
カノアは息を呑んだ。
美しい。
物理的な視力を失って以来、こんなにも鮮やかで、優しい光を見たことがあっただろうか。
ルミナの固有能力『聖詠』。
世界の法則に干渉し、その場にある魔力を「あるべき形」へと調律する歌声。
「ガ、アァァァァ……ッ!?」
その光の中で、鋼鉄の騎士が初めて苦悶の声を上げた。
鎧の表面からバチバチと青白い火花が散る。
ルミナの歌声が、鎧に無理やり定着させられていた「魂」の結合を揺さぶっているのだ。
「視える……!」
カノアは叫んだ。
虹色の光に照らされたことで、今まで「虚無」にしか見えなかった鎧の内部構造が、心眼に焼き付いた。
透過する金属の奥。
首の裏側、うなじのあたりに、真っ赤に脈打つ複雑な魔法陣――『魂の刻印』が浮かび上がっている。
(あそこか! あそこがコイツの魂を縛り付けている楔!)
弱点は露見した。
だが、それを突くには、暴れる質量兵器の懐に飛び込まなければならない。
失敗すれば即死。
カノアは口角を上げた。
「上等だ。……ルミナ、その歌、最高にイカしてる」
カノアは愛剣を逆手に持ち替え、走り出した。
正面突破。
鎧騎士が反応し、豪腕を振り上げる。
「オオオォォォッ!!」
轟音と共に振り下ろされる鉄拳。
カノアは避けなかった。直撃の軌道へ自ら飛び込む。
死の感触が鼻先を掠める直前、彼は愛剣を真上へ――鎧騎士の頭上へと放り投げた。
――『空間転移』。
世界が反転する。
次の瞬間、カノアは空中にいた。
眼下には、拳を振り抜いて無防備になった鎧騎士の背中。
そして、赤く明滅する『魂の刻印』。
「終わりだッ!」
カノアは落下しながら、愛剣を刻印へと突き立てた。
今度は透けない。
確かな手応えと共に、切っ先が魔法陣を貫く。
「ア、ガァァァァッ……!」
鎧騎士が絶叫し、その巨体がガクンと膝をついた。
カノアは鎧の背中に着地し、剣をさらに押し込もうとする。
このまま刻印を破壊すれば、この鎧はただの鉄屑に戻る。コイツは死ぬ。
だが。
(……なんだ?)
破壊の寸前、カノアの手が止まった。
『心眼』を通して、剣先から流れ込んでくる「感情」があったからだ。
――痛い。
――寒い。
――私の体はどこ? どうして私は、鉄の中にいるの?
それは殺意ではない。迷子になった子供のような、あるいは全てを奪われた者特有の、悲痛な叫び。
その色は、カノア自身がかつて瞳を奪われた時に流した涙の色と、酷く似ていた。
(……アンタもかよ)
ここでコイツを殺すのは簡単だ。だが、それはヴィオラと同じ「奪う者」に成り下がることになる。
彼は剣を止めた。
刻印を破壊するのではなく、その表面に張り付いた「呪いの術式」だけを精密に削ぎ落とす。
「ルミナ! 仕上げだ、こいつを大人しくさせるような一番優しいやつを頼む!」
「……うんッ!」
ルミナの歌声が転調する。
激しい戦いの旋律から、母が子をあやすような、柔らかな鎮魂歌へ。
光の粒子が鎧を包み込み、暴走していた青白い炎を沈めていく。
カラン……。
カノアが剣を引き抜くと同時に、巨大な鎧が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
もはや殺意はない。
静寂が戻ったコンテナの中に、鎧の奥から、先ほどまでの冷徹さとは違う、困惑した女性の声が漏れ出した。
「……あ、れ……? 私……どうして……」
カノアは剣を鞘に収め、ふぅと息を吐いた。
どうやら、また一人「被害者」を拾ってしまったらしい。
彼は苦笑しながら、まだ警戒を解かないルミナの肩をぽんと叩いた。
「大丈夫だよ、ルミナ。もう敵じゃない。……多分」
第4話をお読みいただき、誠にありがとうございます。
本日【19時すぎ】に、序章の結末となる第5話を更新予定です。
カノアとルミナ、二人の運命が大きく動き出す瞬間を、ぜひ見届けていただけますと幸いです。




