35話 共鳴する世界
「馬鹿な……私の静寂が、ヒビ割れるだと……!?」
シレーヌが、自身の作り出した完璧な世界が侵食される恐怖に顔を歪める。
ルミナの歌は、ただの音ではない。
「音を消す」という概念そのものに、「音を響かせる」という概念をぶつけ、相殺しているのだ。
『いけぇぇぇッ! ルミナ! もっとデカいのぶちかまして!』
フィーネの応援が飛ぶ。
カノアも剣を構え、ルミナの隣に立つ。
「聞こえてるか?シレーヌ。……これがあんたが捨てた、世界の音だよ」
カノアの剣に魔力が集束する。
ルミナの歌がこじ開けた結界の亀裂。そこへ向かって、カノアは渾身の一撃を放った。
「響けぇぇぇぇッ!!」
パリィィィィィィンッ!!!
世界が割れる音がした。
ガラス細工が砕け散るように、シレーヌの『静寂結界』が崩壊する。
瞬間、戻ってきたのは――風の音、フィーネの荒い息遣い、そしてルミナの美しい歌声の残響。
「あ……ああ……」
シレーヌが膝をつく。
彼女の力の源泉である静寂が破られ、魔力の逆流が彼女自身を襲う。
戻ってきた「音」が、彼女には耐え難い騒音となって襲いかかる。
「音が……うるさい……! やめて……私の世界を汚さないで……!」
耳を塞ぎ、錯乱するシレーヌ。
だが、カノアたちは攻撃の手を緩めない。
これは慈悲ではない。奪われた者たちの、正当な怒りだ。
「ヒルダさん、トドメだ!」
「任せなさい!」
ヒルダが跳躍する。
物理無効の鎧が、数トンの質量となってシレーヌへと降り注ぐ。
それはかつて、彼女が王女を守れなかった無念と、今度こそ守り抜くという決意を乗せた一撃。
「沈黙の聖女よ! その歪んだ夢から、目を覚ましなさいッ!!」
ズドォォォォォォォンッ!!!
広場が揺れた。
シレーヌの身体が吹き飛び、噴水へと叩きつけられる。
水しぶきが高く舞い上がり、朝日に照らされて虹を描く。
決着。
静寂の支配者は倒れ、広場には再び、朝の風の音が戻ってきた。
「……やった」
ルミナがへたり込む。
喉が焼けるように熱い。だが、心は晴れやかだった。
自分の歌が、届いた。
仲間を守る剣になり、盾になったのだ。
「へへっ……見たか、魔女め。ウサギをナメるからだよ」
フィーネが、ふらつきながらもVサインを作る。
その顔は泥だらけだが、今までで一番誇らしげに見えた。
「お疲れ様。……最高のダンスだったよ、フィーネ」
カノアが歩み寄り、フィーネの長い耳を優しく撫でた。
もう、彼女を「臆病者」と呼ぶ者は誰もいないだろう。
彼女の逃げ足は、仲間を勝利へと導くための、立派な武器だったのだから。
◇
静寂の呪いが解けると同時に、広場に並んでいた石像たちにも変化が訪れた。
石の表面に亀裂が入り、パラパラと剥がれ落ちていく。
中から現れたのは、生身の人間たち。
「うぅ……ここは……?」
「声が……出る? 喋れるのか?」
人々が、自分たちの喉を押さえ、喜びの声を上げ始める。
その中には、長い耳を持つ獣人の家族の姿もあった。
「パパ! ママ! アル!」
フィーネが駆け寄る。
彼女の両親と、小さな弟が、呆然としながらもフィーネの姿を見つけ、涙を流して抱きしめた。
「フィーネ……! 無事だったのか……!」
「お姉ちゃん……怖かったよ……」
「ごめんね……ごめんね……!」
フィーネは家族の腕の中で、子供のように泣きじゃくった。
ずっと背負っていた罪悪感。一人だけ逃げてしまったという重荷が、ようやく下ろされたのだ。
その光景を、カノアたちは少し離れた場所から見守っていた。
「……いい景色だ」
カノアが呟く。
『心眼』に映る広場は、再会の喜びに溢れる人々の魂の色で、温かなオレンジ色に染まっていた。
「うん。……音が戻ってきて、本当によかった」
ルミナが微笑む。
彼女の顔はまだ仮面の下だが、その心からの笑顔は誰よりも美しかった。
ふと、カノアは視線を感じて広場の隅を見やった。
建物の陰。
そこに、黒い狩猟服の男――ザインが立っていた。
彼はカノアと目が合うと、小さく口元を歪め、何かを呟いたように見えた。
『――合格だ』
声は聞こえない。だが、その唇の動きは確かにそう言っていた。
ザインは踵を返し、人混みに紛れて消えていく。
敵でありながら、導き手のような男。
彼との「共闘」は、これからも続くのだろうか。
「さて、と。……お邪魔虫は退散しますか」
カノアは背伸びをした。
フィーネたち家族の時間を邪魔するのは野暮だ。
彼らは静かに広場を後にし、次の旅路へと向かう準備を始めるのだった。




