33話 共鳴する色と、臆病者の足音
地下室の冷たい空気の中、ルミナの歌声が響く。
――アァァァ……。
それは、ただの音階ではない。
彼女が胸元で握りしめた『共鳴石』が青白く発光し、歌声に乗せて微細な魔力の波紋を広げている。
「違う。もっと鋭く」
カノアが短く指摘する。
彼は壁に寄りかかり、『心眼』で音の形状を視覚化して監視していた。
「今の歌は『丸い』。広がりすぎて力が分散してる。……もっと針のように、一点を突き刺すイメージで」
「針……」
ルミナは汗を拭い、小さく頷いた。
ザインが残した羊皮紙には、シレーヌの結界を破るための周波数が記されている。
それを再現するには、感情任せの絶叫では届かない。
冷静に、精密に、魔力をコントロールする技術が必要だ。
「イメージして。……貴女の声は、氷柱。硬く、冷たく、鋭い切っ先」
ヒルダが横から助言する。
ルミナは深呼吸をし、再び口を開いた。
――ヒィィィンッ!
今度は、ガラスを爪で弾いたような、硬質で高い音が響いた。
共鳴石が激しく明滅し、地下室の隅に置いてあった空き瓶が、共振してパリンと割れる。
「……ッ!」
「よし! 今の色だ、ルミナ!」
カノアが指を鳴らす。
『心眼』には、ルミナの声が青い矢となって空間を貫くのが視えていた。
これならいける。
シレーヌの静寂を、物理的に「割る」ことができる。
「はぁ……はぁ……。できた……?」
「完璧!」
カノアが笑うと、ルミナは嬉しそうに顔を綻ばせた。
自分の声が、誰かを守るための「剣」になる。
その実感が、彼女の自信を形作っていく。
その様子を、部屋の隅で膝を抱えて見ていたフィーネが、小さくため息をついた。
「……すごいねぇ。みんな、特別で」
彼女の声には、羨望と、それ以上の自嘲が混じっていた。
「カノアは見えないものが見えるし、ヒルダは無敵の鎧だし、ルミナは魔法の歌が歌える。……ボクなんて、ただ耳が良いだけの臆病なウサギだよ」
フィーネは自身の長い耳を、ぺたんと伏せさせた。
彼女はずっと気にしていたのだ。
自分には戦う力がない。
家族が石にされた時も、ただ逃げ出すことしかできなかった。
今も、こうしてカノアたちの役に立っているようで、実際は安全な場所で震えているだけではないか、と。
「……ねえ、カノア」
フィーネが顔を埋めたまま、ポツリと漏らす。
「ボク、やっぱり残るよ。……足手まといになりたくないし」
また逃げるのか。
そう自分を責める声が聞こえる。
だが、カノアは壁から背を離し、フィーネの前にしゃがみ込んだ。
「足手まとい? 誰が?」
「ボクだよ! 戦えないし、魔法も使えない! 逃げ足だけが取り柄の……」
「その『逃げ足』が必要なんだよ」
カノアの言葉に、フィーネが顔を上げる。
カノアの目隠し越しの視線が、真っ直ぐに彼女を射抜いていた。
「俺たちの作戦には、最高の『囮』が必要だ。……シレーヌの注意を引きつけ、攻撃を躱し続け、俺たちが結界を破るまでの時間を稼ぐ役目が」
カノアはフィーネの脚を見た。
しなやかで、バネのように鍛えられた獣人の脚。
それは、臆病だから発達したのではない。
過酷な砂漠で、今日まで生き延びてきた「強さ」の証だ。
「フィーネは逃げたんじゃない。……生き残ったんだ」
カノアの手が、フィーネの頭に置かれる。
「生き残ることは、戦うことよりずっと難しい。……その脚と耳は、誰よりも『生』に執着した結果だろ? なら、それは立派な武器だ」
「……武器……?」
「俺の『心眼』でも追いきれない速さで、走れる。……そうだろ?」
フィーネの瞳が揺れる。
逃げることしか能がないと思っていた自分の才能を、この少年は「武器」だと言った。
生き残ったことを、「恥」ではなく「勲章」だと肯定してくれた。
「……バカじゃないの。ボクを買いかぶりすぎだよ」
フィーネは鼻をすすり、涙を拭った。
だが、その耳はもう伏せられてはいなかった。
ピーンと立ち上がり、カノアの言葉を、仲間の期待を、一言も漏らさず聞き取ろうとしていた。
「……追加料金、高いよ?」
「貧乏なんでな……出世払いで頼むよ!」
カノアがニッと笑うと、フィーネも泣き笑いのような表情で頷いた。
「いいよ。……見せてあげる。砂漠最速のウサギの走りってやつを」
◇
作戦は決まった。
開戦の時刻は、夜明け前。
最も静寂が深まるその刻に、彼らはシレーヌの支配する広場へと舞い戻る。
「ルミナ、準備は?」
「うん。……喉の調子もバッチリ」
ルミナが共鳴石を握りしめる。
今の彼女は、もう守られるだけの歌姫ではない。
カノアの目となり、ヒルダの力となり、そしてフィーネが稼いでくれる時間を勝利に変える、切り札だ。
「ヒルダさん、頼んだよ」
「ええ。貴方たちが歌う間、どんな攻撃からも守り抜いてみせるわ」
ヒルダがガントレットを打ち鳴らす。
そして、フィーネ。
彼女は準備運動をしながら、ニヤリと笑った。
「へへっ、あの魔女、泡吹かせてやる!」
彼女は地面を蹴る感触を確かめる。
恐怖はある。
でも、それ以上に今は、仲間と走れる高揚感が勝っていた。
「んじゃ……沈黙の聖女様に、最高の目覚まし時計を届けてやるとしますか!」
カノアが先頭に立つ。
地下室の扉が開かれる。
外はまだ暗い。だが、彼らの魂の輝きは、夜明けの太陽よりも眩しく、熱く燃え上がっていた。
反撃の時が来た。
音のない世界に、革命の歌声が響き渡る。




