27話 砂塵の予感
鉄機都市ギア・ガルドを背にしてから、数日が過ぎていた。
カノアたち三人は、東へと続く荒野の街道をひたすらに歩いていた。
背後には、遠ざかる都市の煙突群が蜃気楼のように揺らいで見える。
別れは、あまりにあっさりとしたものだった。
ミリア王女をガルフたちに託し、そのまま振り返ることなく出発したのだ。
名残惜しむ時間はなかったし、何より立ち止まれば決意が鈍る気がしたからだ。
「……ふぅ。砂埃が酷くなってきたわね」
最後尾を歩くヒルダが、立ち止まって一息ついた。
その背中には、もうあの大剣はない。
あるのは旅の道具を詰めたリュックサックだけだ。
彼女の鎧は、ルクスとの戦いで負った傷や焦げ跡が残ったままだ。関節部分からは時折、油切れのような軋んだ音が鳴る。
万全の状態とは程遠い。
「大丈夫? ヒルダさん。やっぱり、ガルフに無理言ってでも直してもらうべきだったんじゃない?」
カノアが気遣わしげに声をかける。
だが、ヒルダは首を横に振った。
「いいえ。これ以上、彼らに甘えるわけにはいかないわ。ミリア様を守ってもらうだけで、十分すぎるほどの借りだもの」
ヒルダは自身の右腕の傷だらけの鋼鉄のガントレットを握りしめ、確かめるように動かした。
「それに、この傷も悪くないわ。私が騎士として戦い抜いた証であり、これからは『ただのヒルダ』として生きていくための勲章みたいなものよ」
「……へえ。言うようになったじゃん」
カノアはニヤリと笑った。
剣を失い、鎧も傷ついている。だが、彼女の魂の色は、以前よりもずっと力強く、輝きを増していた。
「武器がないなら、この身一つが武器よ」
ヒルダは拳を空に突き出した。
「これからは仲間を守る『盾』であり、敵を粉砕する『鎚』になる。……物理無効の鉄塊が突っ込んでくれば、大抵のものは壊れるでしょ?」
「違いない。『人型攻城兵器』の誕生だな」
カノアは肩をすくめた。
頼もしい仲間だ。装備の性能など関係ない。その覚悟さえあれば、彼女は最強だ。
「……カノア」
隣を歩いていたルミナが、小さな声で呼んだ。
彼女は風で飛ばされないように、顔につけた仮面を片手で押さえている。
ヴィオラの呪いによって爛れた皮膚。
仮面の上からでも砂塵が舞うこの荒野では、風に晒されるだけで痛みが生じるのだろう。彼女の魂の色が、微かな苦痛で波打っているのをカノアは見逃さなかった。
「大丈夫か? 少し休む?」
「ううん、平気。……それより、これ」
ルミナが差し出した手には、淡く光る青色の石が握られていた。
「これ、鏡華宮の実験室にあったやつだよね? カノアが持ってきてくれた」
「ああ。『共鳴石』だ。ヴィオラが音響実験に使ってたっぽい」
カノアは頷いた。
ミリア王女を救出した際、部屋の隅に転がっていたのをくすねてきたのだ。
「今回の戦いでわかったの。私の歌は、もっと強くなれるって」
ルミナは共鳴石を大切そうに胸元で握りしめた。
ルクスとの戦いでは、ヒルダへの強化で勝利に貢献した。だが、ルミナ自身はまだ「守られる存在」の域を出ていないと感じていたのだ。
白い仮面の奥にある瞳には、かつてのような怯えの色はない。あるのは、もっと強くなりたいという切実な願いだ。
「もっと、カノアたちの力になりたい。……この石を使って、私の声を遠くまで、もっと強く響かせる練習をするの」
「へえ。……自分の声を武器に?」
ルミナの『聖詠』は、精神や環境に干渉する強力な魔法だ。それを自在にコントロールし、指向性を持たせることができれば、単なる支援役を超えた、戦場の支配者になり得る。
「焦らなくていいさ。次の目的地までは長い旅になる。歩きながら、たっぷり特訓しようぜ。俺が『心眼』でコーチする」
「うん! お願い!」
ルミナが嬉しそうに微笑む気配がした。
特別な装備も、万全のメンテナンスもない。
傷ついた鎧と、呪われた顔を隠す仮面。
けれど、彼らには確かな絆と、それぞれの胸に秘めた決意があった。
奪われたものを取り返す。その目的のためなら、どんな過酷な道のりも乗り越えられる。
彼らが目指すのは、この荒野の先にある広大な乾燥地帯『黄昏の砂漠』だ。
王都へ至る最短ルートだが、一年中激しい砂嵐が吹き荒れ、凶暴な魔獣が跋扈する危険地帯として知られている。
◇
その砂漠の入り口付近。
赤茶けた岩肌が切り立つ崖の上に、二つの影があった。
一人は、黒い狩猟服を纏った男――調教師ザイン。
先日、森でカノアたちと接触し、撤退した男だ。彼は眼下の街道を進む三つの豆粒のような影を、冷徹な目で見下ろしていた。
「……来たか。あれが、ヴィオラ様を悩ませる『毒』か?ザイン」
もう一人の男が、下卑た笑い声を上げた。
砂漠の民のようなゆったりとしたローブを纏い、全身にジャラジャラと悪趣味な金細工をつけた肥満体の男。
彼が指を動かすたびに、周囲の砂がざわざわと蠢き、まるで主人の命令を待つ忠犬のように形を変える。
「ああ。油断するなよ、ガロ。……ナルシスもルクスも、奴らに敗れた。特にあの盲目の剣士は、私の鞭すら見切った」
ザインが淡々と警告する。
だが、『砂棺のガロ』と呼ばれた男は、鼻で笑い飛ばして唾を吐いた。
「ケッ、あの美学かぶれの馬鹿どもと一緒にすんな。俺はリアリストだ。……それに、ここは俺の庭だぜ?」
ガロが指を鳴らすと、崖の下の砂漠から、ズズズ……と巨大な何かが隆起した。
現れたのは、巨大な顎を持つ『砂鮫』たちだ。
その数、数十匹。
砂の中を水中のように泳ぎ、獲物を足元から食らいつくす凶悪な魔獣。
「数で押し潰すだけじゃねぇぞ」
ガロは背後の岩陰を親指で指し示した。
そこには、ボロボロの服を着せられた人々が鎖で繋がれ、炎天下に晒されていた。
老人、女、子供。近くのオアシス都市から拉致されてきた住民たちだ。
彼らは恐怖に震え、助けを求める声も出せないほど衰弱している。
「俺の可愛い『人質(盾)』たちも、歓迎の準備万端だ。……あいつら、正義の味方ごっこがお好きらしいじゃねぇか。たっぷりと絶望させてやるよ」
ガロは、住民たちを支配し、水と命を握ることで王のように振る舞っている暴君だった。
戦いに卑怯も何もない。勝てば官軍、負ければ死。それがこの砂漠の掟だ。
「……趣味が悪いな」
ザインが眉をひそめる。
彼にとって殺しは仕事であり、無駄なサディズムや非効率な遊びは好まない。
だが、今回のターゲットを確実に仕留めるには、この外道の力が不可欠だということも理解していた。カノアの『心眼』やヒルダの防御を崩すには、物理的な攻撃だけでなく、精神的な揺さぶりが有効だ。
「勝てばいいんだよ、勝てば。……さあ、狩りの時間だ」
ガロが腕を振り下ろす。
砂塵が巻き上がり、カノアたちの行く手を阻むように巨大な砂嵐が発生した。
その風音の中には、悪意と殺意、そして無辜の人々の悲鳴が混じっていた。




