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25話 硝子の棺と空っぽの王女


 ルクスを退けた三人は、鏡華宮の最奥へと足を踏み入れた。

 そこは、宮殿というよりは巨大な実験室のようだった。

 天井まで届く本棚には難解な魔導書がぎっしりと並び、床には複雑な魔法陣が描かれている。そして部屋の中央には、巨大な水晶の塊が鎮座していた。


 その水晶の中に、少女がいた。


 透き通るような銀の髪、陶器のように白い肌。

 閉じた瞼と、胸の前で組まれた小さな手。

 まるで童話に出てくる眠り姫のように、彼女は静かな時の中に閉じ込められていた。


「……ミリア様!」


 ヒルダが駆け寄る。

 その足音は、鉄の重さを感じさせないほど必死だった。

 彼女は水晶の前に膝をつき、震えるガントレットでその表面に触れた。


「間違いない……。あの日、私が守れなかったミリア様だわ。……姿が、あの時のままだ」


 三年という月日が流れているはずなのに、水晶の中の少女は十歳の姿のままだった。

 成長が止まっている。

 ヴィオラの魔法によって、時間が凍結されているのだ。


「カノア、これ……壊せる?」


 ルミナが不安そうに尋ねる。

 カノアは『心眼』で水晶の構造を解析した。

 複雑に絡み合った封印術式。だが、その結び目はすでに見えている。


「ルクスを倒したことで、この部屋の魔力供給も断たれてる。……少し下がっててくれ」


 カノアは愛剣を抜いた。

 深呼吸を一つ。

 切っ先に魔力を集中させ、水晶の表面にある「一点」を突く。


 パキィン……。


 硬質な音が響き、水晶に亀裂が走った。

 その亀裂は瞬く間に全体へと広がり、光の粒子となって崩れ落ちていく。

 支えを失った少女の身体が、ふわりと傾く。


「ミリア様ッ!」


 ヒルダが両腕を広げ、その小さな身体を受け止めた。

 冷たい。

 けれど、確かに心臓は動いている。微かな呼吸が、ヒルダの鉄の胸当てに触れた。


「……よかった。生きていらっしゃる……」


 ヒルダの声が震える。

 三年越しの再会。騎士としての誓いを、ようやく果たすことができたのだ。

 その時、少女の瞼が微かに震えた。


「……あ」


 ゆっくりと、瞳が開かれる。

 それは、春の空のように澄んだ青色の瞳だった。


「ミリア様……? わかりますか、私です。近衛騎士のヒルダです」


 ヒルダが優しく呼びかける。

 だが。


「…………」


 返事はなかった。

 少女は瞬きもせず、ただ虚空を見つめている。

 ヒルダと目が合っているはずなのに、焦点が結ばれていない。

 恐怖も、安堵も、喜びも。

 感情の色が一切浮かんでこない。


「……ミリア、様?」


 ヒルダの背筋に、冷たいものが走った。

 様子がおかしい。

 ただ寝起きで呆けているのではない。

 そこに「中身」がないのだ。


「……ヴィオラにやられてる」


 カノアが呻くように言った。

 彼の『心眼』には、残酷な真実が映し出されていた。

 少女の魂の色。

 それは、あまりにも希薄で、透明だった。

 色が濁っているのではない。色が「ない」のだ。

 記憶も、感情も、自我さえも。人間を人間たらしめる根源的な輝きが、根こそぎ奪い取られている。


「そんな……嘘でしょう……?」


 ヒルダが少女の肩を揺する。


「ミリア様! 答えてください! 私のことがわからないのですか!? あの日、私たちが交わした約束を……!」


 少女は無反応のまま、されるがままに揺られている。

 まるで、精巧に作られたビスクドールのようだ。

 呼吸をし、心臓は動いている。

 だが、そこには「ミリア」という人格が存在していなかった。


「……これが、ヴィオラの目的か」


 カノアは部屋の隅にある研究日誌らしき羊皮紙を拾い上げた。

 そこには、おぞましい実験の記録が残されていた。

 『無垢なる魂の抽出』。

 『純粋感情の結晶化による、若返りの秘薬の精製』。


 ヴィオラは、ミリア王女を殺さなかったのではない。

 彼女の心が持つ、子供特有の純粋な輝きを、少しずつ、時間をかけて搾り取っていたのだ。自分の美貌を保つための美容液として。

 そして残ったのは、からっぽの器だけ。


「あぁ……ぁ……ッ!」


 ヒルダが慟哭する。

 鉄の身体が、軋むような音を立てて震える。


「私は……間に合わなかった。守れなかった……! 身体を取り戻しても、心がなければ……それは死んでいるのと同じじゃないッ!」


 騎士としての誇りも、再会の喜びも、すべてが崩れ去っていく。

 救い出した腕の中にあるのは、かつて愛した主君の抜け殻でしかなかった。


「ミリア様……ごめんなさい……ごめんなさい……ッ!」


 謝罪の言葉が、虚しく部屋に響き渡る。

 ルミナが涙を流し、カノアが拳を握りしめる中、ただ一人、ミリア王女だけが、何の意味も持たない美しい瞳で、何も映らない天井を見つめ続けていた。


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