23話 光の牢獄と盲目の絶望
カノアの脳内で、世界が悲鳴を上げていた。
視界が白い。
いや、ただの白ではない。
赤、青、緑、紫――ありとあらゆる色彩の波長が、数億倍に増幅され、乱反射を繰り返しながらカノアの脳髄に直接叩き込まれているのだ。
『心眼』は、微細な魔力や熱源を「色」として知覚し、脳内で空間を再構築する能力だ。
だが今、庭園を満たす光の奔流は、その処理能力の限界を遥かに超えていた。
「が、あぁ……ッ!」
カノアは地面に膝をつき、激しく嘔吐いた。
平衡感覚が消失する。自分が立っているのか、倒れているのかすら分からない。
上下左右が反転し、極彩色のノイズが嵐のように吹き荒れる。
それは、盲目である彼にとって、唯一の「世界との繋がり」を暴力的に切断されるに等しい行為だった。
「おやおや。もっと踊って頂けるかと思いましたが、案外脆い」
光の渦の中心で、ルクスが嘲笑う。
彼は白銀の甲冑を纏ったまま、地面から数センチ浮遊していた。
その兜のバイザーの奥にある瞳は、異様なほど大きく見開かれ、白目の部分がない真っ黒な強膜に、金色の虹彩だけが焼き付いたように輝いている。
「貴方は知らないでしょうね。この『視えすぎる目』の苦痛を」
ルクスが優雅に、しかし憎悪を込めて語り始めた。
「私は元々、王都の貧民街で生まれたただの孤児でした。……ヴィオラ様に拾われ、眼球に『千里眼』の魔術回路を埋め込まれるまでは」
人体実験。
彼もまた、ヴィオラの犠牲者の一人だったのだ。
だが、カノアたちとは違い、彼はその運命を「祝福」として受け入れていた。
「この目は、全てを暴く。人の肌の毛穴、空気中の塵、そして魂の澱……。世界はあまりにも汚らわしい! どこを見ても不純物だらけだ!」
ルクスが叫ぶと同時に、庭園の光がいっそう激しく明滅する。
彼の狂気。それは潔癖すぎるがゆえの破壊衝動だ。
汚いものを見たくない。だから光で塗りつぶす。焼き尽くす。
彼にとっての救済とは、すべてを純白の光に還す「浄化」のみ。
「だから私はヴィオラ様に忠誠を誓った。彼女だけが、私にこの汚れきった世界を焼き払う力を与えてくれたのですから!」
ルクスが右手を掲げる。
光が収束し、巨大な槍の形を成す。
「さあ、消えなさい。貴方たちのような異物は、私の庭には不要です」
光の槍が放たれた。
カノアは動けない。音が聞こえないわけではないが、脳内を埋め尽くす光のノイズが、回避行動への指令を阻害している。
死ぬ――。
そう直感した瞬間。
ズドォォォォンッ!!
重い衝撃音が響き、カノアの目の前に巨大な影が立ちはだかった。
ヒルダは大剣を盾にして、光の槍を受け止めていた。
「……私の仲間に、手出しはさせないわ!」
ヒルダの鎧から、魔力の蒸気が激しく噴き出す。
だが、ルクスの攻撃は物理的な質量を持たない純粋なエネルギーだ。
『物理無効』の加護を持つヒルダの鎧でさえ、その熱量までは防ぎきれない。
ジュウウゥゥ……と装甲が焼け焦げる音がして、白銀の表面が赤熱し始める。
「くぅッ……!」
「元騎士団長殿。……図体ばかりでかいガラクタが、私の光にいつまで耐えられますか?」
ルクスが指を弾く。
四方八方の鏡面から、無数の光弾が乱れ飛ぶ。
それらはヒルダを包囲し、雨あられと降り注いだ。
ガガガガガガッ!!
ヒルダは動かない。
カノアとルミナを背後に庇い、仁王立ちのまま全ての攻撃をその身で受ける。
だが、限界は近い。
装甲の隙間から漏れ出る彼女の魂の光が、苦痛で揺らいでいるのが見えた。
「ヒルダさん! 避けて! このままじゃ……!」
ルミナが悲鳴を上げる。
彼女は自分の無力さに唇を噛んだ。
歌わなきゃ。
私の『聖詠』で、この光をかき消して、カノアの目を……。
ルミナは震える声で歌い始めた。
だが、その声はルクスの圧倒的な魔力の奔流にかき消されてしまう。
敵の出力が高すぎるのだ。庭園全体を覆う結界とリンクしたルクスの光は、ルミナ一人の魔力では相殺できない。
「無駄ですよ、歌姫殿。貴女の歌など、私の光の前では蚊の鳴くような雑音に過ぎない」
ルクスが冷たく言い放つ。
カノアは歯ぎしりをした。
何も見えない。何もできない。
ただ、仲間が傷つく音と、敵の嘲笑だけが響く暗闇の中で、彼は自分の無力さを呪った。
俺の『心眼』は、こんなもんだったのか。
ただ見えるだけで、肝心な時には何も守れないのか。
「……違う」
その時、ヒルダの声が響いた。
苦痛に耐えながら、けれど確かな意志を宿した声。
「カノア、諦めないで。……ルミナ、歌うのを止めないで」
ヒルダが大剣を握り直す。
その赤熱した鎧の奥で、彼女の魂が燃え上がろうとしていた。
「ルミナ! 光を消そうとしなくていい!」
ヒルダが叫ぶ。
「私のために歌って! カノアは大丈夫、信じなさい! 私には今……あなたの歌が必要なの!」
敵を弱体化させるのではない。
味方を、限界を超えて強化する。
かつて最強と呼ばれた騎士が、その誇りと引き換えに封印していた「本当の力」を呼び覚ますために。
ルミナが顔を上げる。
そうだ。ヒルダさんは信じてくれている。私が歌えば、きっと届くと。
ルミナは仮面を押さえ、大きく息を吸い込んだ。
迷いは消えた。
彼女の魂の中心にある虹色の核が、爆発的な輝きを放ち始める。
「……うん!ヒルダさん!聴いて!私の歌を!」
ルミナの歌声が、戦場に響き渡ろうとしていた。
反撃の狼煙は、可憐な少女の祈りから始まる。




