20話 鏡の宮殿と王女の面影
地下のアジトにある作戦室は、重苦しい熱気に包まれていた。
天井のパイプから漏れる蒸気が白く視界を曇らせる中、ガルフが古びた作業テーブルの上に一枚の大きな地図を広げた。
羊皮紙にインクで描かれたそれは、ギア・ガルド周辺の詳細な地形図だ。等高線や森の深さまで緻密に書き込まれているあたり、レジスタンスがこの地でいかに慎重に活動してきたかが窺える。
「ここだ」
ガルフの機械義指が、都市の北側に広がる深い渓谷の一点を叩いた。
金属音が小気味よく響く。
「ギア・ガルドから北へ半日ほどの距離にある『霧の谷』。……地元じゃ誰も近づかない呪われた場所だが、最近ここに奇妙な建物が建造された」
ガルフの声は低く、そして苦々しい響きを帯びていた。
「『鏡華宮』。……表向きは王族の別荘だが、実態はヴィオラがこの地方に建てた極秘の実験場だ」
その名を聞いた瞬間、部屋の隅で待機していたヒルダの鎧が、ガシャリと音を立てて反応した。
「こんな近くに……。灯台下暗しとはこのことね」
「ああ。王都の監視網から外れたこの場所で、ヴィオラは好き放題やっているらしい。鏡の実験、魔獣の飼育、そして……人体実験」
ガルフが眉をひそめる。
彼らレジスタンスのメンバーの多くも、そこで身体の一部を奪われ、あるいは改造された被害者たちなのだ。
「俺たちの掴んだ情報によれば……三年前に行方不明になったミリア王女も、ここに幽閉されている可能性が高い。最近、王都から大量の『高品質な鏡』と『生命維持用の特殊な薬草』がこの離宮に運び込まれているのを確認した」
「鏡、か……」
ヒルダが呟く。
彼女にとって、その単語は忌まわしい記憶と直結している。
「ヴィオラは鏡を通じて概念を転移させ、固定化する魔法を得意としているわ。私の魂を鎧に移した時も、無数の鏡が使われた。……ミリア様をそこに閉じ込め、何かをしている可能性は高いわね」
カノアは壁に寄りかかり、腕を組んで聞いていた。
『心眼』で探る地図の情報は、カノアの脳内に立体的な映像として構築されていく。
谷底は濃密な霧に覆われている。その霧自体が天然の結界であり、さらにその奥には、人工的で鋭利な魔力の棘が幾重にも張り巡らされているのが感じ取れる。
「要塞みたいなもんか。……で、どうやって入るんだ? 正面からノックしても開けてくれそうにないけど」
カノアの問いに、ガルフは不敵に笑った。
彼は部屋の隅にある棚から、一枚の図面を取り出して広げた。
そこには、精巧な巨大な人型の機械が描かれている。
「それについては策がある」
ガルフが得意げに鼻を鳴らす。
「実はな、鏡華宮の管理者から、俺たちギア・ガルドの職人組合に発注が来ていたんだ。『庭園を警備するための、最高級の自律型オートマタを納品せよ』とな」
「……へえ」
皮肉な話だ。ヴィオラの手下たちは、自分たちが弾圧している反逆者たちが作った機械を、金を払って守護神として求めようとしている。それだけギア・ガルドの技術力が飛び抜けているという証拠でもあるが。
「オートマタ……?」
ルミナが不思議そうに図面を覗き込む。
「ああ。こいつの中身を空洞にして、ヒルダ様に乗ってもらう。そうすりゃあ、どんなに厳重な結界も『納品業者』としてフリーパスだ」
ガルフの提案に、ヒルダが感心したように唸った。
「なるほど……『トロイの木馬』ね。敵の懐に招き入れさせ、内部から食い破る。……悪くないわ」
「だろ? カノアとルミナには、そのオートマタの調整役兼運搬係として同行してもらう。これなら怪しまれずに最奥まで行けるはずだ」
完璧な偽装工作。
王都のような遠方ではなく、目と鼻の先にある敵地。だが、そこは魔女の力が色濃く反映された、異界のような場所だ。
作戦が決まると、室内の空気が引き締まる。
レジスタンスの面々が、それぞれの役割を確認し合う中、ルミナが不安そうにカノアの袖を引いた。
「……カノア」
彼女の声は小さい。白い仮面の奥にある瞳が、揺れているのをカノアは感じ取った。
「王女様、無事かな。三年も……ヴィオラの実験場にいたら……」
最悪の想像。
もし、すでに手遅れだったら。
ルミナの魂の色が、不安で灰色にくすむ。
「大丈夫だよ」
カノアは、ルミナの頭にポンと手を置いた。
無責任な慰めではない。確信を込めた言葉だった。
「俺たちが生きてるのがその証拠。ヴィオラは、利用価値のある人間は簡単には殺さない」
カノアは、先日の森での調教師ザインとの会話を思い出していた。
ヴィオラは、奪った概念を定着させるために、持ち主を生かし、絶望を与え続ける。
「王女様は、ヴィオラがわざわざ手間をかけて『忘却の呪い』までかけて連れ去ったんだ。ただ殺すだけなら、その場でおしまいだったはずだろ? ……きっと、まだ何か利用するつもりで生かしてるはずさ」
ヒルダの話では、ヴィオラは王女の若さと魂を狙っていた。
だが、殺さずに呪いをかけて連れ去ったということは、まだ「用済み」ではないということだ。
「……まあ、性格の悪いあの魔女のことだ、とびきり趣味の悪い場所に閉じ込めてるだろうけどな」
カノアは少し悪戯っぽく笑ってみせた。
ルミナの魂から、灰色の霧が少しずつ晴れていく。
生かし、搾取し、絶望を肥料にする。
そんなふざけた理屈を、この街で終わらせる。
「ガルフ、オートマタの完成までどれくらいかかる?」
「急ピッチで仕上げれば三日だ。……ギア・ガルドの技術の粋を尽くして、あの別荘を内側から吹き飛ばす特級品を作ってやるよ」
「頼もしいね。じゃあ、俺たちも準備運動でもしとくか」




