14話 調教師ザイン
カノアの剣が閃き、先頭の獣の首を刎ね飛ばした。
だが、手応えが軽い。
刎ねられた首が地面に落ちる前に、切断面から赤黒い泡が吹き出し、瞬時に肉体が再生していく。
「……なるほど。しぶといタイプか」
カノアはバックステップで距離を取った。
『心眼』に映る獣たちの構造は、生物というよりは魔法生物に近い。核となる魔石を壊さない限り、何度でも再生する類の厄介な敵だ。
「グルルルァッ!!」
再生した獣を含めた四体の『狩猟犬』が、包囲網を縮めてくる。
狙いは明確にルミナだ。
「私の後ろから出ないで!」
ヒルダが巨大な盾のように立ちはだかる。
獣の一体がヒルダに飛びかかるが、彼女の『生体鎧』には傷一つ付けられない。
だが、獣たちは学習能力があるのか、すぐにヒルダを「障害物」と認定し、彼女を迂回してルミナを狙おうと動きを変えた。
「賢いわんちゃんね!」
カノアが割り込み、二体目の獣を両断する。
その時だった。
森の奥、木々の枝の上から、乾いた拍手が聞こえた。
「――いい動きだ。報告にあった『盲目の剣士』、伊達ではないな」
カノアの動きがピクリと止まる。
『心眼』が捉えたのは、獣たちとは比較にならない、研ぎ澄まされた冷徹な魔力の気配。
見上げれば、そこに男が一人、立っていた。
黒い狩猟服に身を包み、手には長い鞭を持った男。その瞳は、獲物を値踏みするような冷たい光を宿している。
「アンタ、何?」
「名はザイン。ヴィオラ様に仕える『調教師』だ」
ザインと名乗った男は、鞭を一振りした。
パチンッ! という鋭い音が響くと、暴れていたハウンドたちが一斉に動きを止め、伏せの姿勢を取った。
完全な統率。
ただの獣ではない。こいつがコントロールしているのだ。
「ナルシスがやられたと聞いて来てみれば……なるほど。元近衛騎士団長に、歌姫、そして『アレキサンドライト』の元持ち主か。厄介なパーティーだ」
ザインの声には、ナルシスのような狂気も、ヴィオラのようなヒステリーもない。
ただ淡々と、仕事をこなす職人のような響きがあった。
「お喋りに来たわけじゃなさそうだな」
「ああ。ヴィオラ様からの命令は『完全なる定着のための抹殺』だ」
ザインがカノアを見下ろす。
「少年。君たちは疑問に思わなかったか? なぜヴィオラ様は、五年前に君たちの命を奪わなかったのか。なぜ、わざわざ生かしておいたのか」
カノアの眉が動く。
それは、ずっと心の片隅にあった疑問だった。
五年前、ヴィオラはカノアから瞳を、ルミナから顔を奪った。
殺そうと思えばいつでも殺せたはずだ。なぜ、ゴミ捨て場に捨てて放置したのか。
「慈悲? 気まぐれ? ……違うな」
「理由は一つ。『概念の鮮度』を保つためだよ」
ザインが淡々と語り始める。
「『概念置換』で奪った美しさは、言わば接ぎ木された枝だ。
最初のうちは、元の根っこ――つまり君たちが生きていて、養分を送り続けないとすぐに枯れてしまう。特に『絶望』という感情は、魔女の美貌を輝かせる最高の肥料になる」
ルミナが息を呑む気配がした。
生かされていたのではない。飼育されていたのだ。
この五年間、彼らが流した涙も、味わった絶望も、すべてヴィオラの美貌を維持するための養分として搾取されていた。
「だが、五年という月日が経ち、奪った概念はヴィオラ様の肉体にほぼ馴染んだ。もはや、君たちという『根』は不要になりつつある」
ザインの目が鋭く光る。
「仕上げだよ。馴染んだ概念を、永遠にヴィオラ様のものとして定着させるための最後の儀式。それは――持ち主に『死』という究極の絶望を与えることだ」
カノアは奥歯を噛み締めた。
馴染むのを待っていたのだ。そして、完全に同化するタイミングで元の持ち主を殺し、所有権を確定させる。どこまでも計算高く、残酷な論理だ。
「本来なら、もう少しゆっくりと絶望の淵に落としてから殺す予定だったのだが……誤算が生じた」
ザインの視線が、ルミナに向けられる。
「お前たちが再会し、あろうことか『希望』や『幸福』を感じ始めたことだ。その輝きは、今のヴィオラ様にとっては美貌を濁らせるノイズでしかない。……輝きが戻る前に、摘み取らねばならない」
「だから、今殺しに来たってわけか」
「そうだ。幸福の絶頂から、死の奈落へ突き落とす。その落差こそが、概念を完全に定着させるための最強のスパイスになる」
ザインの手元の鞭がしなる。
同時に、四体のハウンドが一斉に咆哮を上げ、筋肉を膨張させた。
リミッター解除。自壊覚悟の特攻モードだ。
「ふざけんな……! 俺たちはバッテリーでも、スパイスでもない!」
カノアが叫び、地面を蹴った。
ハウンドたちが殺到する。
だが、ザインは動かない。彼は冷静に戦況を観察し、カノアの剣筋、ヒルダの防御範囲、そしてルミナの歌の発動タイミングを見極めようとしている。
(……この男、底が見えないな)
カノアは直感した。
このザインという男、ナルシスよりも遥かに危険だ。自分の美学に溺れるような隙がない。
数合の打ち合い。
カノアがハウンドの一体の核を貫いた瞬間、ザインが動いた。
ヒュンッ!
鞭が生き物のように伸び、カノアの死角を突く。
カノアは紙一重で回避したが、頬に赤い線が刻まれた。
「ほう。今のを避けるか」
「アンタこそ、鞭使いのくせに気配を消すのが上手いな」
ザインは軽く肩をすくめると、パチンと指を鳴らした。
残りのハウンドたちが後退し、ザインの足元へ戻る。
「……今回はここまでにしておこう」
「は? 逃げる気か?」
「私の仕事は『確実な狩り』だ。データは取れた。今の戦力差では、相打ちのリスクが高い」
ザインはあっさりと戦闘態勢を解いた。
臆病なのではない。勝率を計算し、リスクを避けるプロの判断だ。
「お前たちの『幸福』がヴィオラ様を蝕むスピードと、私が君たちを狩るスピード。……どちらが早いか、競争だな」
言い残し、ザインとハウンドたちは森の闇へと溶けるように消えていった。
深追いは危険だ。カノアは剣を納め、大きく息を吐いた。
「……嫌な奴が出てきたな」
「ええ。ああいう手合いが一番厄介よ。力は全く見せず、こちらの情報だけ手に入れる。不気味だわ」
ヒルダも警戒を解き、厳しい声で同意する。
だが、真実は見えた。
自分たちが生きていること、そして幸せになることが、ヴィオラへの最大の抵抗であり、同時に彼女が最も恐れている事態なのだ。
「カノア……」
ルミナが不安げに近づいてくる。
カノアは彼女の肩を抱き、ニカっと笑った。
「聞いたろ? 俺たちが幸せになればなるほど、あの魔女は苦しむんだってさ。……ざまぁみろって感じだ!」
「うん……!」
新たな強敵の出現。だが、それは同時に、彼らの旅が魔女を追い詰めている証拠でもあった。
三人は顔を見合わせ、再び王都への道を歩き出した。
絶対に、幸せになってやる。それが最高の復讐なのだから。




