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13話 遠き雷鳴、魔女の悲鳴


 ベル・ルージュを抜けた先には、広大な森林地帯が広がっていた。

 木漏れ日が差し込む街道を、三つの影が進んでいく。


 先頭を歩くカノアと、その隣を歩くルミナ。そして最後尾から、ズシン、ズシンと重厚な足音を響かせてついてくる巨大な鎧のヒルダ。

 徒歩での旅路だが、足取りは軽い。


「……ふふっ」


 ルミナが小さな笑い声を漏らした。

 カノアは歩調を緩め、布越しの視線を彼女に向けた。


「何笑ってんの、ルミナ」


「ううん、なんでもない。ただ……風が気持ちいいなって」


 ルミナは白い陶器の仮面をつけたまま、顔を上げて風を感じていた。


 仮面は外していない。けれど、以前のように萎縮して下を向くことはもうなかった。


 カノアの『心眼』には、彼女の魂が以前よりも強く、鮮やかな虹色を放っているのが視えている。


「ねえ、カノア」


「ん?」


「私ね、まだ顔は治ってないけど……心の中は、すごく軽い気がするの。ドロドロした黒いものが、少しずつ剥がれ落ちていくみたい」


 ルミナが自身の胸に手を当てる。

 ナルシスとの戦いで、彼女は自分の中にある美しさを肯定された。

 その自信が、魂を浄化し始めているのだ。


「そっか。……君の魂、前よりずっと眩しくなってるよ」


「本当?」


「ああ。直視してたら目が潰れそうなくらいだ。……まあ、もともと見えないけど」


 カノアが軽口を叩くと、ルミナは仮面の奥で嬉しそうに笑い、そっとカノアの手を握った。

 温かい。


 その体温と魔力が伝わってくるたびに、二人の魂の輝きが増していく。

 それは、単なる美しさではない。

 かつて彼女を縛り付けていた「呪い」の概念を、内側から押し出し、拒絶するほどの強いエネルギーを帯びていた。


          ◇


 同時刻。王都、魔女の城。


 最上階にある『鏡の間』。そこには、割れて粉々になった鏡の残骸が散乱していた。


 それは遠く離れたナルシスの館と魔力的にリンクしていた「監視用の鏡」の成れの果てだった。


「ナルシスが……私の可愛い人形が、壊された?」


 魔女ヴィオラは、鏡の破片を拾い上げ、震える手でそれを覗き込んだ。


 微かに残る魔力の残滓が、最期の映像を再生する。

 そこに映っていたのは、ナルシスの無様な敗北と――その場に立つ、三人の姿だった。


「……あれは、まさか」


 ヴィオラの目が大きく見開かれる。


 巨大なフルプレートアーマー。あれは先日、ルミナを殺すために差し向けた「廃棄物一三号」だ。なぜ動いている? なぜ敵側にいる?


 そして、その隣にいる黒髪の男。

 目元を布で覆った、ひょろ長い剣士。


「カノア……? 五年前に私の『アレキサンドライト』になった、あの小僧か?」


 記憶の彼方にあった顔と一致した瞬間、ヴィオラの脳裏に不快なノイズが走った。

 そして、男の隣で手を繋いでいる少女。


 白い仮面をつけているが、そこから溢れ出る虹色の輝き(オーラ)には見覚えがありすぎた。


「あの歌い手……! 私が顔を奪って、絶望の泥の中に沈めたはずの娘が、なぜあんなに輝いているの!?」


 ありえない。

 全てを奪われた者たちが、徒党を組み、あろうことか「幸福」そうに笑い合っている。

 その光景を見た瞬間。


「――ッ!?」


 ヴィオラの左頬に、焼けるような激痛が走った。


「イヤアアアアアアアッ!!!」


 絶叫。

 彼女は鏡の破片を取り落とし、自身の顔を掻きむしった。


 鏡に映った彼女の左頬。そこには、まるで内側から何かが湧き出てくるように、赤黒い汚泥のような染みが広がり始めていた。


 物理的な攻撃を受けたわけではない。

 この痛みは、もっと根源的な――「概念」の逆流によるものだ。


「なんで……!? あの娘の『美』は、私が奪ったはず……! 私が管理しているはずなのに……ッ!」


 ヴィオラは、ルミナから奪った「美貌」の概念を自らの肉体に継ぎ接ぎしていた。

 そして代わりに、ルミナには「醜さ」という呪いを押し付けていた。


 だが今、ルミナが魂の輝きを取り戻したことで、彼女は「醜さ」という概念を受け入れなくなった。


 結果、行き場を失った呪いは、その発生源であるヴィオラへと回帰し、彼女が保っていた「美の均衡」を破壊し始めたのだ。


「おのれ……おのれカノア! ルミナ! ヒルダ! 私のものを使って、勝手に幸せになるなど許さない……ッ!」


 ヴィオラは血走った目で、三人の姿が消えた鏡の破片を踏み砕いた。

 美しい顔が、憎悪と激痛で醜く歪む。


 これ以上、あの三人の絆が深まれば、ヴィオラの肉体は呪いの逆流によって崩壊してしまうかもしれない。


「殺してやる……! ただ殺すだけでは生温い。お前たちのその汚らわしい『絆』ごと、ズタズタに引き裂いてやるわ!」


 ヴィオラはよろめきながら立ち上がり、玉座の裏にある隠し扉を開いた。


 そこには、冷気漂う地下空間が広がっている。

 ナルシスのような「崇拝者」ではない。もっと直接的で、凶悪な「狩人」たちが眠る場所。


「起きなさい、『狩猟犬ハウンド』……。餌の時間よ」


 暗闇の中で、複数の獣の唸り声と共に、血生臭い風が吹き抜ける。


          ◇


 再び、森の街道。

 和やかな空気の中を進んでいたカノアが、不意に足を止めた。


「……カノア?」


 繋いでいた手が止まり、ルミナが不思議そうに見上げる。

 カノアの表情から、先ほどまでの穏やかさが消え失せていた。


 彼の『心眼』が捉えたのは、森の奥から急速に接近してくる、異質な殺気。

 それは魔力ではない。もっと動物的で、飢えた獣のような「食欲」の気配。


「ヒルダさん、戦闘準備だ。……来るよ」


「了解よ。……数は?」


「四つ。速いぞ」


 ヒルダがガシャリと構え、ルミナを守るように位置取る。

 カノアが愛剣を抜いた瞬間。

 周囲の茂みが激しく揺れ、風を切り裂くような速度で「それ」が飛び出した。


「グルルルルッ……!」


 現れたのは、巨大な四足獣だった。

 だが、ただの狼ではない。全身が漆黒の毛皮に覆われているが、その所々から鋭利な刃物のような骨が突き出している。


 そして何より異様なのは、その瞳がないことだ。

 眼球があるべき場所には、ただ空洞があるのみ。


(……俺と同じ、盲目の獣か)


 カノアは瞬時に理解した。

 こいつらは視覚に頼らない。嗅覚と、魔力感知に特化した、対魔術師用の生物兵器だ。


「綺麗な、色……喰わせろ……ッ!」


 獣が、しわがれた人の言葉を喋った。

 その空洞の眼窩が、正確にルミナの方を向いている。


 ヴィオラの焦りが伝わってくるようだ。ルミナの魂の輝きを消そうと、なりふり構わず放ってきたのだ。


「おいおい、挨拶なしかよ。……しつけのなってない犬っころだな」


 カノアは一歩前に出た。

 この獣たちは、ヴィオラの苦痛の裏返しだ。

 つまり、自分たちが正しい道を歩んでいるという証明でもある。


「悪いが、この先は通行止めだ。……俺たちの旅路を邪魔するなら、飼い主ごと地獄に送ってやる」


 カノアの剣に魔力が走る。

 

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