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12話 砕かれた硝子の仮面


「黙れ! 黙れ黙れ黙れ! 薄汚い盲人が、美の何を知る!」


 ナルシスが絶叫し、両手を広げた。


 彼の十本の指輪から、ドス黒い粘液のようなものが一斉に噴出する。それは鏡のように光を反射する水銀の刃となり、嵐のようにカノアに襲いかかった。


「美とは永遠! 老いも傷もない、完全なる静止だ! 私はこの街を、腐敗することのない宝石箱にするのだ!」


 ナルシスの狂気が、物理的な殺意となって具現化する。

 水銀の刃は、カノアの剣を弾き、頬をかすめて血を滲ませた。


「カノア!」


 ルミナの悲鳴。

 カノアは頬の血を親指で拭い、ニヤリと笑った。


「永遠の静止? ……ハッ、それって『死』のことだろ?」


 カノアは水銀の刃を紙一重で躱しながら、さらに踏み込む。


 彼の『心眼』には、ナルシスの攻撃の軌道がすべて赤いラインとして視えている。どんなに複雑な乱反射を繰り返そうと、その始点がナルシスである限り、魔力の糸を辿れば未来は予測できる。


「ルミナはな、傷ついても、泥にまみれても、それでも歌おうとしてるんだよ。変化して、足掻いて、必死に輝こうとしてるんだ!」


 カノアの脳裏に、ゴミ捨て場で見たルミナの魂の色が蘇る。


 あの虹色の輝き。それは決して静止した美しさではない。常に揺らめき、色を変え、生きようとする「命」の色だ。


「俺にとっちゃ、そっちの方が百億倍『綺麗』だね!」


 カノアの剣に、青白い魔力が収束する。

 空間ごと断ち切る、必殺の一撃。


「見せてやるよ。お前の空っぽな鏡には映らない、本物の色を!」


 剣閃が走った。

 ナルシスが展開した水銀の盾ごと、その美貌を捉える。


 パリンッ……!!


 肉が斬れる音ではなかった。

 硬質な何かが砕け散る音。

 カノアの一撃を受けたナルシスの顔面に、蜘蛛の巣状の亀裂が走ったのだ。


「あ……が……?」


 ナルシスが呆然と自分の顔に触れる。

 ポロリ、と。

 彼の「美しい顔」の一部が、陶器のように剥がれ落ちた。


 その下から現れたのは――どす黒く変色し、老人以上に皺だらけになった、醜悪な素顔だった。


「ひ……ひぃぃぃぃッ!?」


 ナルシスが悲鳴を上げる。

 彼は鏡に映った自分の姿を見て、腰を抜かしたように後ずさった。


「違う! これは私じゃない! 私は美しい! 永遠の美を手に入れたはずだ!」


「それがお前の正体だよ、ナルシス」


 カノアは冷ややかに見下ろした。


「『ヴィオラの雫』だっけ? 他人から精気を奪って若作りしてたんだろうけど、中身はとっくに腐ってたんだよ。俺の目には、最初からそのドブ色が見えてたぜ」


 ナルシスの魂の色。それはもう、ヘドロのような黒色ですらなかった。形を保てずに崩れ落ちていく、灰色の塵。


 魔法が解けたのだ。

 ルミナの「真実の美」に触れ、カノアの一撃で「虚飾の仮面」を割られたことで、彼の精神を支えていた柱が折れた。


「いやだ……見ないでくれ……! 私は……私は……!」


 ナルシスは顔を覆い、ガラクタの山のように崩れ落ちた。

 もはや戦う意思も、支配者の威厳もない。ただ老いに怯える哀れな老人だけがそこにいた。


「……終わりだね」


 カノアは剣を納めた。

 同時に、館を満たしていた毒々しい光が消え、静寂が訪れる。


「カノア……」


 ルミナが駆け寄ってくる。

 彼女は心配そうにカノアの頬の傷に触れようとして、引っ込めた。そして、自分の仮面をぎゅっと押さえた。


「終わった、の?」


「ああ。もう大丈夫だ」


 カノアは、ルミナの顔――仮面に視線を向けた。

 ナルシスの魔法は解けたが、ルミナの呪いが解けたわけではない。


 『心眼』で視る彼女の顔には、依然としてヴィオラの呪いである黒いノイズがへばりついている。だが、その奥にある魂の輝きは、以前よりも強く、鮮やかになっているように見えた。


「仮面、外すか?」


 カノアが尋ねる。

 ルミナは一瞬迷ったように視線を彷徨わせたが、やがて小さく首を横に振った。


「……ううん。まだ、つけておく」


 彼女の声は震えていない。それは恐怖からではなく、決意からの選択だった。


「私の顔は、まだこのままだから。……それに、この顔はヴィオラを倒して、自分の手で取り戻したいの」


「そっか。……いい心がけじゃん」


 カノアは満足げに笑い、仮面の上から彼女の頭をポンと撫でた。

 隠すためではなく、戦うための仮面。

 今の彼女にとって、それは立派な武装だった。


          ◇


 夜が明け、ベル・ルージュに朝が訪れた。

 領主ナルシスの失脚と、薬物「ヴィオラの雫」の効果が切れたことで、街は大混乱に陥っていた。


 カノアたちは、混乱する街を背に、次の目的地へと歩き出していた。


「あーあ、結局一銭にもならなかったな」


「人助けはプライスレスよ、カノア」


 ヒルダがくすりと笑う。

 ルミナは仮面の奥から、朝日に照らされる街道を見つめた。


 顔の傷はまだ治っていない。呪いも解けていない。

 けれど、彼女の魂の色は、確かに以前とは違う輝きを放ち始めていた。


 それは、奪われる前の色に戻ったのではない。

 傷つき、悩み、それでも前を向こうとする強さを得て、より深く進化した「新しい虹色」だった。


第1章『美醜の都 ベル・ルージュ編』、これにて完結です。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。

美醜に狂った街で、カノアとルミナが自分たちの「色」を肯定するまでの物語を描かせていただきました。

少しでも二人の旅路に心動かされるものがあれば幸いです。

明日からは、第2章が始まります。

舞台は鉄と蒸気の街『ギア・ガルド』。

そこで明かされる、鋼鉄の騎士ヒルダの過去と覚悟、魔女ヴィオラが放つ新たな刺客――。

物語はここからさらに加速していきます。

引き続き、カノアたちの旅を見守っていただければ嬉しいです。

もし面白いと感じていただけましたら、ブックマークや下部の「評価(☆☆☆☆☆)」で応援していただけると、執筆の大きな励みになります!

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