112話 五つの色は、闇を穿つ
崩壊する『鏡の間』に、五つの影が並び立った。
頭上には、城の天井を突き破り、空を覆い尽くすほどの巨大な『黒い太陽』が脈打っている。
ヴァニタスの本体。
そこから溢れ出す虚無の泥が、滝のように降り注ぎ、足場を次々と侵食していく。
絶体絶命の光景。
だが、カノアたちの間に漂っているのは、悲壮感ではなく、頼もしい熱気だった。
「……待ちくたびれて干からびるところだったけど?」
カノアが軽口を叩きながら、剣についた泥を払う。
その隣に降り立ったヒルダが、大剣『プロメテウス』を肩に担ぎ直し、ふふっと笑った。
「ごめんなさいね。地上の掃除に手間取ってしまって。……相変わらず、無茶な戦い方をしてるわね」
「まったくだ。私の苦労も知らずにな」
ザインが呆れたようにため息をつき、鞭についた氷の結晶を指で弾く。
その横で、フィーネがぴょんぴょんと飛び跳ねて準備運動を始めた。
「無駄話はあとあと! 来るよ、デッカいのが!」
フィーネの警告と同時だった。
黒い太陽の表面に開いた無数の瞳が、一斉にギョロリとカノアたちを捉えた。
『……人間風情が。群れたところで、ゴミはゴミだ』
空間が震えるほどの重低音。
黒い泥が意思を持ち、数千の槍となって降り注ぐ。
回避不能の豪雨。
「……ヒルダ、正面の壁をこじ開けてくれ!」
カノアの指示が飛ぶ。
ヒルダは「了解!」と短く応え、真正面から泥の雨に向かって突進した。
「レディが通るわよッ!」
ヒヒイロカネの大剣が一閃。
生み出された暴風が、迫りくる泥の槍を物理的に吹き飛ばす。
だが、泥は液体のように形を変え、ヒルダの側面へ回り込もうとする。
「させん」
ザインが鞭を振るう。
彼の鞭は、ただ打つだけではない。先端に込められた氷結の魔石が、触れた泥を瞬時に凍らせ、粉砕していく。
黒い飛沫がダイヤモンドダストのように舞い散る。
「ありがと、ザイン!」
「……お前は前だけ見ていろ、鉄女」
ザインが皮肉っぽく返す。
その隙に、フィーネが戦場を駆け巡っていた。
彼女は攻撃しない。
ただひたすらに、敵の攻撃が薄い場所、魔力の流れが淀んでいる場所を探して走り回る。
『3時の方向! あそこの目が閉じてる! 死角だよ!』
『内緒話』が全員の脳内に響く。
最強のナビゲーション。
「聞こえたか、カノア!」
「バッチリ!」
カノアが走る。
ルミナがその後ろで、祈るように両手を組んだ。
――『聖詠・光響』。
ルミナの歌声が、カノアの背中に虹色の翼を与える。
加速。
カノアの姿が掻き消える。
転移ではない。純粋な身体能力と、風の加護による超高速移動。
ザシュッ!
カノアの『黒鉄』が、フィーネの指定した「閉じた目」を切り裂く。
『グオォォォォッ!!』
ヴァニタスが苦悶の声を上げる。
物理的なダメージではない。
「見えていない場所」を攻撃されたという概念的な一撃が、全知を気取る虚飾の王のプライドを傷つけたのだ。
『チョコマカと……! 目障りだ!』
ヴァニタスの身体が膨張する。
黒い太陽から、無数の「手」が生えてきた。
それは、過去にカノアたちが倒してきた敵――雪の女王、炎の番人、腐食の王の腕を模倣したものだ。
氷の礫、業火、そして毒ガスが同時に放たれる。
「うわっ、なんでもありか!」
フィーネが悲鳴を上げて回避する。
複合攻撃。
個別の対処では間に合わない。
「ルミナ! 広域防御を! 私たちが支える!」
ヒルダが叫び、ルミナの前に立って剣を構える。
ザインも駆け寄り、氷壁を展開する。
「うん! ……お願い、みんなを守って!」
ルミナが共鳴石を掲げる。
『聖詠・蒼』。
青い光のドームが展開され、四人を包み込む。
炎が、氷が、毒が、ドームに衝突して激しい火花を散らす。
ガガガガガッ!
「くぅ……ッ! 重い……!」
ルミナの膝が折れそうになる。
ヴァニタスの魔力は無尽蔵だ。押し切られる。
「踏ん張れルミナ! 俺も支える!」
カノアがルミナの背中に手を当てる。
自分の魔力を、ルミナへと流し込む。
ヒルダも、ザインも、フィーネも。
全員の手が、ルミナの背中や肩に触れる。
「私の魔力、全部持っていっていいわ!」
「ボクのも使って!」
「……フン、安い燃料だが役に立てろ」
四人の魔力が、ルミナの歌声を媒介にして一つになる。
青かった障壁が、白く、そして虹色に輝き出す。
『蒼』から『光響』への昇華。
パァァァァンッ!!
光が爆発した。
ヴァニタスの攻撃が、全て弾き返される。
それどころか、反射した光がヴァニタスの本体を焼き、黒い泥を蒸発させていく。
『バカな……! 個の集合体が、なぜこれほどの出力を……!』
ヴァニタスが狼狽える。
彼は知らない。
傷を舐め合い、補い合うことで生まれるプラスの力が、単なる足し算ではなく、掛け算になることを。
「今だ! あいつが怯んでる!」
カノアが剣を突きつける。
『心眼』には見えていた。
黒い太陽の深奥。
分厚い虚構の殻に守られた、小さな、しかし確かに存在する「本体」の位置が。
そこへ至る道が、一瞬だけ開いている。
「ヒルダ、ザイン! あいつの動きを止めてくれ! 俺が中に入る!」
「無茶を言うわね! ……でも、乗った!」
ヒルダが再加速する。
彼女は瓦礫を蹴り、空中の足場を伝ってヴァニタスの懐へ。
「墜ちろォォォッ!」
大剣をハンマーのように振り下ろし、ヴァニタスの触手を叩き落とす。
「右翼は私が抑える。……行け、カノア!」
ザインが鞭を最大射程まで伸ばし、反対側の触手を絡め取って拘束する。
左右の守りが崩れた。
中央がガラ空きになる。
「フィーネ、頼めるか?」
「任せてよ! カノア専用の特急便、発車するよ!」
フィーネがカノアの前に背中を向けて屈む。
カノアは躊躇なくその背中を踏み台にした。
「いっけぇぇぇぇッ!」
フィーネが跳ね上げる。
兎人族の脚力と、カノアの跳躍力が合わさり、弾丸のような速度で射出される。
目指すは黒い太陽の中心。
『小賢しいわッ!』
ヴァニタスが口を開ける。
漆黒のビームが、一直線にカノアを狙う。
空中では避けられない。
だが。
――『空間転移』。
カノアは、自分が投げたナイフではなく、ヴァニタスが放ったビームの「魔力の粒子」をマーカーにして転移した。
無茶苦茶な荒業。
だが、『心眼』が覚醒した今の彼なら、視えるもの全てが足場になる。
ザンッ!
ビームをすり抜け、カノアの刃がヴァニタスの表面に突き刺さる。
だが、まだ浅い。
核までは距離がある。
黒い泥がカノアを飲み込もうと殺到する。
「まだだ……! まだ届かない……!」
カノアが歯を食いしばる。
その時。
遥か下、地上から歌声が届いた。
――アァァァァ……!
ルミナだ。
彼女は、カノアの剣に最後の魔法を乗せていた。
『聖詠・深愛』。
距離を無視して、想いを届ける愛の歌。
カノアの剣が、赤く、熱く燃え上がる。
「……届いたぜ、ルミナ!」
カノアは剣を両手で握りしめた。
仲間の想い、師匠の教え、そして自分の意志。
全てを一点に込める。
「これで……終われッ!!」
カノアが泥の海を切り裂き、さらに奥へと突き進む。
その切っ先が、ついに「虚飾の核」に触れた。




