108話 虚像の英雄たち
王城前広場は、鏡写しの戦争に飲み込まれていた。
『暁の連隊』の兵士たちが剣を振るうたび、対峙する「銀色の兵士」たちも同じ動きで剣を振るう。
だが、その威力は桁違いだ。
疲労を知らず、恐怖を感じず、理想的な筋肉と技量を持った偽物たち。
本物が一人、また一人と倒されていく。
「くっ……! なんてデタラメな強さだ!」
ガルフが機械義手で防御するが、銀色のガルフの一撃に吹き飛ばされる。
生身の腕を持つ、完全無欠の自分。
それが、あざ笑うかのように立ちはだかる。
「下がって、ガルフ!」
ヒルダが割って入る。
大剣『プロメテウス』を一閃させ、銀色のガルフを両断する。
霧となって消える偽物。
だが、息つく暇はない。
ズシン、ズシン……。
重厚な足音が、戦場の喧騒を圧して響いてきた。
ヒルダが振り返る。
そこには、見覚えのある巨体が立っていた。
全身を覆う、輝く銀色のフルプレートアーマー。
巨躯。
それは、3年間ヒルダの魂を閉じ込めていた「生体鎧」そのものだった。
いや、中身が空洞ではない。
兜の奥から、全盛期のヒルダの眼光が鋭く光っている。
「……なるほどね。私の『理想』はこれってわけ?」
ヒルダは剣を構え直した。
目の前にいるのは、「肉体を奪われず、最強の鎧を纏ったまま騎士団長を続けていた自分」だ。
物理無効の加護と、人間の技量を併せ持った、完全なる騎士。
『退きなさい、弱き者よ』
銀色の鎧が、ヒルダと同じ声で告げる。
『貴女の身体は脆い。剣は重い。息は乱れている。……そんな無様な姿で、ミリア様を守れると思っているの?』
「……ええ、守れるわよ」
ヒルダは不敵に笑った。
汗が目に入る。筋肉が悲鳴を上げている。
だが、それがどうした。
「痛みを知らない貴女に、守るものの重さは分からないわ!」
ヒルダが踏み込む。
大剣による渾身の唐竹割り。
だが、銀色の鎧は避けようともしなかった。
ガギィィィンッ!!
硬質な音が響き、ヒルダの剣が弾かれる。
傷一つついていない。
『物理無効』。
かつて自分が頼みにしていた鉄壁の守りが、今は最悪の壁となって立ちはだかる。
『無駄よ。私に物理攻撃は通じない』
鎧が拳を振り上げる。
回避行動を取るが、爆風だけでヒルダの身体が宙に舞う。
追撃。
鋼鉄の足が、倒れたヒルダを踏み潰そうと迫る。
「くっ……!」
ヒルダは転がって避けるが、地面が粉砕され、破片が頬を切る。
強い。
分かっていたことだが、自分自身が積み上げてきた「最強」のイメージは、あまりにも高すぎる壁だ。
◇
一方、戦場を駆け回るフィーネの前にも、厄介な敵が現れていた。
「そこっ! ……あれ? 当たらない?」
フィーネが高速の蹴りを放つが、相手は煙のように揺らめいて回避する。
目の前にいるのは、フィーネと同じピンク色の髪をした少女。
だが、その装備は豪華な騎士のようで、手には双剣を持っている。
『逃げてばかりの臆病ウサギさん』
理想のフィーネが冷笑する。
『ボクは逃げない。戦う。……家族を見捨てて逃げ出したキミとは違うんだよ』
その言葉が、フィーネの心に棘のように刺さる。
ミラムでの出来事。
自分だけが生き残ってしまった罪悪感。
「もしあの時、戦えていたら」という後悔が、この偽物を生み出したのだ。
「……うるさいな!」
フィーネが再び加速する。
だが、偽物はそれ以上の速さで回り込み、双剣を振るう。
『遅い! キミの逃げ足なんて、本当の強さの前じゃ無意味だよ!』
ザシュッ!
フィーネの服が切り裂かれる。
速い。
そして、攻撃に迷いがない。
「戦うこと」に特化した理想の自分に、逃げることしかしてこなかった自分が勝てるのか?
(……ダメだ、弱気になるな!)
フィーネは頭を振った。
カノアは言った。この足は「武器」だと。
ザインは言った。「斥候」として道を示せと。
「ボクは……戦士じゃなくていい!」
フィーネは構えを解き、背を向けた。
逃げる。全力で。
『ハハッ! また逃げるの? 一生そうやって背中を見せて生きるんだね!』
偽物が嘲笑いながら追ってくる。
だが、フィーネはニヤリと笑った。
「捕まえられるもんなら、捕まえてみなよ!」
彼女が向かった先は、ヒルダが苦戦している場所だった。
巨大な鎧が、ヒルダにトドメを刺そうと剣を振り上げている。
「ヒルダ! しゃがんで!」
フィーネの声《内緒話》が、ヒルダの脳内に響く。
ヒルダは反射的に身を低くした。
その頭上を、フィーネが弾丸のように通過する。
そして、その後ろから追ってきた「理想のフィーネ」が、勢い余って突っ込んでくる。
『え?』
偽物のフィーネが気づいた時には遅かった。
彼女の目の前には、「理想のヒルダ《鎧》」が振り下ろした大剣があった。
ズドンッ!!!
激突。
鎧の一撃が、偽物のフィーネを直撃し、吹き飛ばす。
同時に、偽フィーネが放っていた双剣の斬撃が、鎧の関節部分――物理無効の隙間を切り裂いた。
『グオォォォッ!?』
『きゃあああッ!?』
同士討ち。
二体の偽物が、互いの攻撃で体勢を崩す。
「ナイスよ、フィーネ!」
ヒルダが叫ぶ。
この一瞬の隙があれば十分だ。
物理無効の鎧にも、弱点はある。
関節の継ぎ目。そして、内部からの衝撃。
それを誰よりも知っているのは、3年間その中に閉じ込められていたヒルダ自身だ。
「教えてあげるわ。……完璧な鎧なんて、重いだけで邪魔だってことを!」
ヒルダが踏み込む。
剣を使わない。
彼女は、体勢を崩した鎧の懐に潜り込み、その胸板に掌を当てた。
『ゼロ距離・発勁』。
カノアの動きを見て覚えた、零距離での技術。
魔力を衝撃波に変え、鎧の「中身」に叩き込む。
ガンッ!!
鎧の内部で爆発音が響く。
物理的な装甲を貫通し、その核となっている「虚構の魔力」を直接揺さぶる。
『ガ……ァ……』
鎧が膝をつく。
その動きが止まったところに、フィーネが舞い戻ってきた。
彼女は瓦礫を蹴り、空中で回転しながら踵落としを放つ。
「ボクの足は、逃げるためだけじゃない! ……未来へ進むための足だ!」
ドォォォォンッ!
フィーネの一撃が、鎧の兜を粉砕した。
同時に、ヒルダの大剣が、動けなくなった偽フィーネを薙ぎ払う。
パリンッ、パリンッ!
二体の偽物が、鏡の破片となって砕け散った。
最強の理想を、泥臭い連携と現実が打ち破った瞬間。
「……ふぅ。危なかったわね」
ヒルダが剣を杖にして息をつく。
フィーネが、長い耳を揺らして着地する。
「へへっ、ボクらの勝ちだね!」
二人は拳を合わせた。
広場の戦況が好転し始める。
理想に打ち勝った英雄たちの姿が、他の兵士たちにも勇気を与えていた。
だが、戦いはまだ終わらない。
広場の隅で、静かに戦況を見つめる男――ザインの前にも、最悪の「理想」が現れようとしていた。
「……やはり、私の前にも現れるか」
ザインの前方。
銀色の光の中から、一人の少女と、それに寄り添う青年の姿が浮かび上がる。
生きて、笑っている妹リゼ。
そして、彼女を守りきった、穢れなき英雄としての自分。
「甘い夢だ。……だからこそ、反吐が出る」
ザインは冷徹に鞭を構えた。
彼にとっての試練は、他の誰よりも残酷で、そして優しい形をしていた。




