107話 銀色の悪夢
王城前広場は、銀色の地獄と化していた。
上空の『鏡の間』でカノアたちがヴァニタスと対峙していた頃、地上に残された『暁の連隊』は、理解不能な脅威に晒されていた。
「ひるむな! 陣形を崩すな!」
ガルフの怒号が響く。
彼の機械義手唸りを上げ、迫りくる敵を殴り飛ばす。
だが、その敵の姿を見た兵士たちは、恐怖に足をすくませていた。
地面から湧き出した無数の鏡。
そこから這い出してきたのは、魔物ではない。
兵士たち自身の姿をした、銀色の「分身」だった。
「な、なんだこいつら……! 俺と、同じ顔をしてやがる!」
「いや、違う……! 俺なんかより、ずっと強そうだ!」
銀色の兵士たちは、本物よりも背が高く、筋肉は隆起し、装備は豪華だった。
傷一つない肌。迷いのない瞳。
それは、彼らが心の奥底で憧れていた「理想の自分」の具現化だった。
「弱き者よ。……消えろ」
銀色のガルフが、本物のガルフの前に立ちはだかる。
その右腕は機械ではなく、生身の剛腕だった。
失ったはずの腕を持つ、完全な肉体のガルフ。
「……ハッ! 俺の理想がそんなツルッとした優男だとは、見くびられたもんだな!」
ガルフは毒づき、鉄拳を叩き込む。
だが、銀色のガルフはそれを片手で受け止めた。
微動だにしない。
「力も、速さも、貴様より上だ。……なぜなら、私は貴様の『完成形』なのだから」
銀の拳が、ガルフの腹部にめり込む。
ドゴォォッ!
ガルフが 血を吐いて吹き飛ぶ。
強い。
現実の肉体が持つ限界がない虚構の存在は、純粋なスペックにおいてオリジナルを凌駕している。
「ガルフ隊長!」
ミリア王女が駆け寄ろうとするが、彼女の前にも「敵」が現れた。
銀色のドレスを纏い、王冠を戴いた、成長したミリアの姿。
女王としての威厳と、圧倒的な魔力を纏った「理想の女王」。
「……下がっていなさい、惨めな少女よ」
理想のミリアが、冷ややかに見下ろす。
「貴女には何も守れない。3年前も、今も、ただ守られるだけの無力な存在。……私が代わりに、この国を統治してあげるわ」
その言葉は、ミリアが抱えるコンプレックスを的確に抉った。
自分は無力だ。
ヒルダに守られ、カノアたちに助けられ、ここに立っているだけ。
王女としての責務を果たせていないという自責の念。
「う……ッ」
ミリアの剣先が震える。
心の隙間に入り込む精神攻撃。
周囲を見渡せば、戦況は絶望的だった。
「理想の自分」に打ちのめされ、心を折られた兵士たちが次々と倒れていく。
物理的な敗北ではない。
「お前は偽物だ」と突きつけられる、アイデンティティの敗北。
『虚構侵食』。
ヴァニタスの能力は、現実を侵食し、嘘を真実に変える。
このままでは、暁の連隊は全滅し、銀色の軍勢に成り代わられてしまう。
「……諦めないで!」
ミリアは叫んだ。
震える足で踏ん張り、剣を構える。
「私たちは弱くても、不格好でも、今ここにある『現実』よ! 夢になんか負けない!」
「……愚かね。現実など、苦しいだけでしょう?」
理想のミリアが手をかざす。
極大の光魔法が展開される。
防げない。
ミリアは死を覚悟し、それでも瞳を閉じなかった。
その時。
ズドォォォォォンッ!!!
上空から、隕石のような衝撃が降り注いだ。
王城のテラスから飛び降りた「何か」が、ミリアと偽物の間に着地し、地面を粉砕したのだ。
舞い上がる土煙。
その中から、凛とした声が響いた。
「……苦しいからこそ、尊いのよ」
煙が晴れる。
その中心に立っていたのは、大剣を担いだ銀髪の女性。
彼女は、放たれようとしていた光魔法を、剣の一振りだけで霧散させていた。
「ヒルダ……!」
ミリアが安堵に崩れ落ちそうになる。
ヒルダは振り返り、優しく微笑んだ。
「お待たせしました、ミリア様。……少し、高いところから失礼します」
そして、彼女だけではない。
ヒルダの左右に、二つの影が降り立つ。
「ったく、派手にやってくれるね」
フィーネが、着地と同時に飛び出し、周囲の銀兵士を蹴散らす。
その速さは、目にも止まらない。
理想の肉体を持つはずの偽物たちが、反応さえできずに吹き飛ばされていく。
「……雑魚が増えたな」
ザインが、気だるげに鞭を鳴らした。
彼の背後には、召喚された『影狼』と『双頭蛇』が控えている。
倒れていたガルフを影狼が背に乗せ、安全圏へと運んでいく。
「お前たち……! カノアと嬢ちゃんはどうした!?」
ガルフが叫ぶ。
ヒルダは、城の最上階を見上げた。
そこには、不気味に渦巻く黒い雲と、微かに漏れ出る虹色の光が見える。
「彼らは残ったわ。……元凶を叩くために」
ヒルダは剣を構え直した。
目の前には、無傷の「理想のミリア」と、無数に湧き出る銀色の軍勢。
絶望的な数。
だが、彼女の背中には、一切の迷いがなかった。
「私たちは、ここを死守する。……カノアとルミナが帰ってくる場所を、奪わせたりはしない!」
「了解っ! ……さあ、運動の時間だよ!」
フィーネが笑う。
ザインが無言で魔獣をけしかける。
別働隊の到着。
最強の剣、最強の速さ《フィーネ》、そして最強の遊撃手。
三人の英雄が、崩れかけた戦線を押し返す。
ミリア王女は、涙を拭って立ち上がった。
偽物の自分を睨み据える。
「……私の騎士たちが帰ってきたわ。偽物の貴女になんて、負けない!」
王城前広場で、第二ラウンドのゴングが鳴った。
それは、虚構の完璧さに、傷だらけの現実が牙を剥く、魂の戦争の始まりだった。




