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106話 託された背中


 カノアたちが『理想の悪夢』を打ち破った直後。


 『虚飾の王(ヴァニタス)』は、玉座の上で楽しげに拍手を送っていた。


『見事だ。……個人の心は折れないか』


 影が揺らめく。

 その余裕は、敗北者のそれではない。

 むしろ、想定内の余興を楽しんでいるかのような不気味さがあった。


『だが、世界そのものが壊れてしまえば、お前たちはどこに立つ?』


 ヴァニタスが指を弾く。

 瞬間、部屋の壁という壁が透明になり、外の景色が映し出された。


「な……ッ!?」


 ルミナが息を呑む。

 眼下に広がる王都。そこは、地獄に変貌していた。

 建物が飴細工のようにねじ曲がり、空にはガラスの亀裂のような文様が走っている。


 そして、地面からは無数の「鏡」が湧き出し、そこから銀色の異形たちが這い出してきていた。


 それらは、ただの魔物ではない。

 逃げ惑う市民や、戦っているレジスタンス兵士たちの「理想の姿」を模倣した、完璧な偽物たちだ。


虚構侵食ワールド・オーバーライド


 ヴァニタスが告げる。


『城の中だけではない。この王都全域を、私の世界で塗り替えた。……見ろ。お前たちの愛しい仲間たちが、理想の自分に殺されていく様を』


 映像がズームされる。

 王城前広場。


 そこでは、ミリア王女とガルフ率いる『暁の連隊』が、銀色の軍勢に包囲されていた。


 敵の先頭に立っているのは、ミリア王女の偽物。


 そして、五体満足の体を持つガルフの偽物。


「ミリア様……!ガルフ!」


 ヒルダとが叫ぶ。

 戦況は絶望的だ。

 本物のミリアたちは傷つき、疲弊しているが、偽物たちは無傷で、無限に湧いてくる。

 このままでは全滅する。


「……行くんだ!ミリア王女を……あんたが助けなくて誰が助ける!ヒルダ!」


 カノアの声が響いた。

 彼はヴァニタスから目を離さず、剣を構えたまま言った。


「フィーネ、ザイン。……二人も下へ行け」


「カノア!? 何言ってんの!?」


 フィーネが詰め寄る。

 5人で戦うと決めたばかりだ。

 最強のチームで、この元凶を叩くんじゃなかったのか。


「こいつは……ヴァニタスは、俺たちをここに釘付けにするつもりだ。俺たちがここで戦っている間に、下の仲間を皆殺しにして、俺たちの心を折る気だ」


 カノアの『心眼エイドス』は、ヴァニタスの底知れない悪意を見抜いていた。


 こいつは、ただ倒されるのを待っているボスじゃない。

 盤面全体を支配し、ジワジワと絶望を広げる支配者だ。


「誰かが行かなきゃ、ミリア王女たちは助からない。……そして、あの『虚構』の軍勢を止められるのは、同じ痛みを知る者たちだけだ」


 カノアは振り返った。

 その顔に、悲壮感はない。

 あるのは、仲間への絶対的な信頼。


「ここは俺とルミナで食い止める。……だから、街を頼む」


「……無茶よ」


 ヒルダが剣を握りしめる。


「貴方たち二人だけで、この化け物を相手にするなんて……!」


「三人なら勝てるのか? 五人なら?」


 カノアが問う。


「こいつは、物理的な数でどうこうなる相手じゃない。……こいつを倒す鍵は、きっと『心』だ。俺とルミナで、なんとか隙を作る」


 ヒルダは言葉を詰まらせた。

 カノアの言う通りだ。

 今、ここで全員が足止めを食らえば、守るべき国民も、ミリア王女も失ってしまう。

 それでは、勝っても意味がない。


「……分かったわ」


 ヒルダは覚悟を決めた。

 彼女はカノアに近づき、その肩を強く叩いた。


「死んだら許さないからね。……必ず、戻ってくるのよ」


「ああ。約束する」


 ヒルダは踵を返し、出口へと走った。


「カノア! ルミナ!」


 フィーネが叫ぶ。

 彼女は目に涙を溜めながら、それでも笑顔を作った。


「ボクが一番速く片付けて、すぐに戻ってくるから! それまで負けちゃダメだよ!」


「ああ! 期待してるぜ、最速のウサギ!」


 フィーネが飛び出す。

 最後に残ったのは、ザインだった。

 彼は無言でカノアを見つめ、懐から何かを取り出して投げ渡した。

 それは、小さな魔石だった。


「……連絡用だ。何かあれば砕け」


「ザイン……」


「勘違いするな。お前たちに死なれては、私の復讐も果たせんからな」


 ザインはフンと鼻を鳴らし、コートを翻した。


「……死ぬなよ、共犯者」


 三人の背中が遠ざかっていく。

 扉が閉まり、部屋にはカノアとルミナ、そして虚飾の王だけが残された。


『……愚かな』


 ヴァニタスが嘲笑う。


『戦力を分散させるとは。……自ら死期を早めたな』


「いいや。これでいいんだ」


 カノアは『黒鉄(クロガネ)』を構え直した。

 隣には、ルミナがいる。

 彼女はカノアの手を握り、静かに頷いた。


「私たちが、ここで終わらせる。……みんなが帰ってくる場所を守るために」


 ルミナの瞳が虹色に輝く。

 カノアの『心眼』が、ヴァニタスの虚無を見据える。


「さあ、始めようか。……王様との最後のお遊戯を」


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