102話 五つの色、一つの光
カノアの号令と共に、五つの影が同時に弾けた。
『虚飾の王』。
影から生まれた、実体を持たない概念の怪物。
その力は未知数であり、物理攻撃も魔法も通じない「無敵」の存在に見えた。
だが、今のカノアたちに恐れはない。
「散開! 包囲陣形だ!」
カノアが叫ぶ。
即座に四人が左右に展開する。
正面に残ったのは、ヒルダだ。
「真正面から受け止めてあげるわ! 来なさい!」
ヒルダが大剣『プロメテウス』を構え、ヴァニタスに向かって突進する。
ヴァニタスは嘲笑うように指を弾いた。
空間が歪み、見えない衝撃波がヒルダを襲う。
だが、ヒルダは止まらない。
「そんなものッ!」
剣を一閃。
重厚な風圧が衝撃波を物理的にかき消す。
生身に戻った彼女に、かつてのような「物理無効」の加護はない。
だが、その代わりに手に入れたのは、痛みを知り、それでも踏み込む「人間の強さ」だ。
ドォォォォンッ!
ヒルダの大剣がヴァニタスの影の身体を叩き割る。
手応えはない。霧を斬ったような感覚。
だが、影の形を崩すことはできる。
「ザイン! 今よ!」
「分かっている!」
ヒルダが作った隙に、ザインが滑り込む。
彼の手には、対魔術用の術式が編み込まれた漆黒の鞭。
ヒュンッ!
鞭が生き物のようにうねり、拡散しようとしたヴァニタスの影を絡め取る。
『……ほう。物理干渉を可能にする術式か』
ヴァニタスが興味深そうに呟く。
「分析している暇があるのか?」
ザインが鞭を引く。
影が強制的に実体化させられ、その場に縫い止められる。
「フィーネ! カノア! やれッ!」
「了解だよ!」
フィーネが跳んだ。
彼女は壁を蹴り、天井を走り、目にも止まらぬ速さでヴァニタスの周囲を旋回する。
ピンク色の残像が光の檻を作り出し、敵の退路を塞ぐ。
『そこ! 頭の上、がら空き!』
『内緒話』がカノアの脳内に響く。
カノアはすでに跳んでいた。
ナイフを投擲。
――『空間転移』。
ヴァニタスの頭上、死角のゼロ距離へ。
「見えたぜ……アンタの『核』!」
カノアの『心眼』は捉えていた。
不定形の影の奥深く。
そこに、針の穴ほどの極小の「歪み」があることを。
それこそが、この虚構の存在を現世に繋ぎ止めている楔。
「貫け……『黒鉄』!」
カノアが剣を突き出す。
だが、ヴァニタスの影が槍のように変形し、カノアを迎撃しようと突き上がる。
ルミナの歌が響く。
――『聖詠・光響』!
七色の光がカノアを包み込む。
全属性の加護。
影の槍がカノアの身体に触れた瞬間、光の粒子となって霧散した。
防御など必要ない。
今の彼らには、最強の守護がついている。
「いっけぇぇぇぇッ!!」
ズドォォンッ!!!
カノアの剣が、ヴァニタスの核を貫いた。
黒い影が爆散し、衝撃波が『鏡の間』を揺るがす。
ヴァニタスの身体が四散し、黒い霧となって部屋中に飛び散った。
着地するカノア。
剣を払い、残心をとる。
「……やったか?」
ヒルダが剣を下ろす。
フィーネがカノアの肩に着地し、耳を澄ます。
ザインは油断なく周囲を警戒しているが、その表情には微かな安堵があった。
圧倒的だった。
個々では勝てなかったかもしれない相手。
だが、五人の力が完全に噛み合った今、彼らは無敵のチームとなっていた。
「……終わったね」
ルミナがへたり込む。
魔力を使い果たし、肩で息をしている。
カノアが駆け寄り、彼女を支えた。
「ああ。……みんなのおかげだ」
カノアは仲間たちを見回した。
傷だらけで、泥だらけ。
けれど、その顔は晴れやかだった。
長い長い旅の果てに、ようやく掴み取った勝利。
奪われたものを取り戻し、元凶を断ち切った。
「帰ろう。……みんなが待ってる」
カノアが出口を指差す。
城の外では、『暁の連隊』が勝利の歓声を上げているはずだ。
ミリア王女も、ガルフも、待っている。
そう思って、一歩を踏み出した時だった。
パチ、パチ、パチ……。
乾いた拍手の音が、背後から聞こえた。
全員が凍りつく。
振り返ると、四散したはずの黒い霧が、再び玉座の上で集束していた。
『……素晴らしい。実に素晴らしい』
核を貫かれたはずなのに、傷一つない姿でそこに座っていた。
いや、その姿は先ほどよりも濃く、より深く、世界に根付いているように見えた。
『物理、魔術、速度、連携、そして「絆」。……人間が持ちうる全ての可能性を見せてもらったよ』
ヴァニタスは、仮面のような顔で笑った。
その笑いは、勝利者の余裕ではなく、もっと底知れない――実験動物を見る観察者の目だった。
「……なんでだ。核は斬ったはずだぞ」
カノアが剣を構え直す。
『心眼』で確認した。確かに手応えはあった。
『核? ああ、あれか』
ヴァニタスは指先で、カノアが貫いた場所を示した。
『あれは、私がこの世界に「在る」と定義するための、ただのアンカー(錨)に過ぎない。……壊されれば、また作ればいい』
「な……ッ!?」
不死身。
いや、そもそも「殺す」という概念が通用しない相手なのか。
『お前たちは強い。この「現実」というルールの中では、最強だろう』
ヴァニタスが立ち上がる。
その影が膨張し、部屋全体を飲み込むように広がり始めた。
『だが、ルールが変わればどうかな?』
「……何を、する気だ」
ザインが後ずさる。
本能が警鐘を鳴らしている。
これは、戦いではない。もっと根源的な、世界の改変が始まろうとしている。
『見せてやろう。……真実が嘘になり、嘘が真実になる世界を』
ヴァニタスが両手を広げた。
壁を覆っていた黒い布が、一斉に弾け飛ぶ。
露わになったのは、壁一面の巨大な鏡たち。
それらが一斉に発光し、カノアたちを照らし出した。
『世界置換』
世界が、反転する。
上下が、左右が、そして「自分」という存在の定義が、鏡の中に吸い込まれていく。
「みんな! 離れるなッ!」
カノアが叫び、ルミナの手を掴もうとする。
だが、その手は空を切った。
隣にいたはずのヒルダも、フィーネも、ザインも。
光の中に溶けるように消えていく。
「カノア――ッ!!」
ルミナの叫び声が遠ざかる。
視界が白く染まり、意識が途切れる。
最後に見たのは、鏡の中で嗤うヴァニタスの顔と、自分の手からすり抜けていく「仲間との絆」だった。
あと一歩。
勝利を確信したその瞬間に、彼らは最も残酷な迷宮へと堕とされた。
そこは、誰もが幸福になれる、永遠の悪夢の世界。




