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王家の森魔導士学校・校長の執務室にアウトレネルの笑い声が響いた。
「それじゃ何か、ドラゴンはおまえの、なんだ、おまえとジョゼが、いつ、何回、愛し合ったか知っていると?」
「わたしの結界など、ドラゴンには無意味だって話だ。わたしだけじゃなく、魔女の落雷は誰だろうがドラゴンに知られるってことだ――大声を出すな。馬鹿笑いも止めろ」
不機嫌を露わにビルセゼルトが言う。
「いや、いや、いや、いや……」
笑いを止めもしないで、アウトレネルが部屋に防聴術を掛けようとして、表情を変える。
「魔導術無効?」
「まさか……既に防聴術はわたしが掛けている。わたしが掛けた術にまったく同じ術を掛けるなら、わたしよりも強力でなければ無効と同じ。ちょっとアレンジすれば有効になるはずだよ。さらに遠見、覗心、などを防いでいる。ま、この部屋の守りは万全だ」
涼しい顔でビルセゼルトが言う。
九日間戦争の前、サリオネルトやホヴァセンシルと、何度ここで秘密の話をしたことか。あのころと違って、今はそこまでの必要を感じないが、習慣として施術してしまう。
ビルセゼルトの術より劣ると、遠回しに言われた気分のアウトレネルがチッと舌打ちする。だが、ビルセゼルトが自分の執務室に施術している事のほうがもっと気にかかる。
「校内に北の間者がいる?」
俄かに緊張するアウトレネルに
「まさか」
とビルセゼルトが苦笑する。
サリオネルトやホヴァセンシルと密談していたと言えば、その理由を問われる。それを誤魔化すのは難しい。九日間戦争の真実を、たとえアウトレネルであろうが知られるわけにはいかない。
「念のため、だよ。お陰でレーネ、おまえの馬鹿笑いが外に漏れることはない」
「俺は別に構わんがな。むしろ、おまえの部屋から笑い声が聞こえれば、多くの者が安心するだろうさ」
「……」
皮肉屋め、ビルセゼルトが心内で悪態をつく。そして同時に思う。サリオネルトの皮肉は棘がなかった、温かかった……
「それで、レーネ。街の魔導士のおまえが、持ち場を離れてなぜここに? 呼んだ覚えはないがね」
そう言いながらビルセゼルトはソファーに腰かけると魔法を使い、湯気をたてるティーカップを二客、テーブルに出現させた。アウトレネルもソファーに座る。そしてすぐに、カップを手にして口元に持っていった。
アウトレネルに気が付かれないよう、すかさずビルセゼルトが術を投げれば、アウトレネルが口にするお茶は適温に変わっている。せっかちなアウトレネルはしょっちゅう口を火傷する。それを知ってからビルセゼルトが忘れずに使う術だ。
「ビリー、おまえが出してくれるお茶はいつも美味いなぁ」
ちゃんと味わえているだけだと思うが、ビルセゼルトがわざわざ言うこともない。
「こないだ、一人でリリミムを訪ねたって言ってたよな」
とアウトレネルが本題を切り出す。
「うん、行ったよ。家にはいなかったが、すぐ近くの森で、薬草を探していた。何か進展があったのか?」
「いや、それが……」
アウトレネルが口籠る。
そして
「その時、何かあったのか?」
探るような目を向ける。
「うーーん……思いつくことはないな。わたしが出た場所が湿地で、足元がぐちゃぐちゃになって。で、それをリリムが気にしたから、あなたのせいじゃないと言った」
「それで?」
「必要な薬草ならリストにしてくれれば手配する、と言ったら、研究者が研究内容を他に漏らすことはないと言われ、それもそうだ、と思った」
「それから?」
「手助けできることがあれば言って欲しいと言ったら、今はない、と言われて……で、帰った」
「それだけ?」
「なんだよ、レーネ。随分、根掘り葉掘り訊くね。何かあったか?」
うーーん、とアウトレネルが腕を組む。
「それがね、俺も気になって訪ねてみたんだよ。そしたら、リリム、何を訊いてもビルセゼルトにしか言わないって」
「わたしに?」
「そう、ビルセゼルトが自分の家に来て、聞くのなら話す、だと」
ポカン、とビルセゼルトがアウトレネルを見る。
「なぜ、そんなことになった?」
「だから!」
アウトレネルが笑いだす。
「それを聞きに俺が来たんだ」
そうだったな、とビルセゼルトが苦笑し、考え込むような顔をする。瞳が微かに光を放ったところを見ると、記憶の巻き戻しをしているのだろう。
「ふむ……ジョゼの事を訊かれている。だが、それが今回の事に繋がるとは考えずらいな」
「ジョゼの事?」
「うん、『ジョゼはあなたを愛しているのか?』なんてことを、ふと訊いてきた。なんであんなことを――」
訊いてきたのだろう、と言おうとするビルセゼルトをアウトレネルが遮った。
「それだ、ビリー、相変わらず鈍感なヤツだ」
「それ? 鈍感?」
「リリムはおまえに惚れてるんだ」
ブッと吹き出しそうになり、ビルセゼルトが慌てて口元からティーカップを離す。
「なにを言い出すかと思えば……」
笑いだすビルセゼルトに、
「だから、ジョゼに間抜けと言われるんだ、昔からおまえはそうだ」
アウトレネルは容赦ない。
「リリムはおまえに会いたいんだよ。まぁ、そのままだが」
「街人を救いたいと言っていたと思ったが?」
「そうさ、最初はそうだったかもしれない。でもな、ビリー、人間は欲が深い。おまえに会えるチャンスを逃すまいとしている」
「会えたところでどうにかなる話じゃない」
「それでも! おまえの顔を見て、おまえに声をかけて貰う。それだけで、リリムは幸せを感じられる」
「そんなこと、ないだろ?」
ピンと来ない様子のビルセゼルトにアウトレネルが続ける。
「おまえは全く気が付いていないようだったが、魔導士学校入学当時から、おまえは女どもの注目の的だった。そのクソ綺麗な顔や魔導士としての資質、優雅だが隙のない身のこなし、どれをとっても目立っていた」
けれどおまえは全く興味がない様子で、女の子たちが近づこうとしても、図書館で本と睨めっこしているか、教授と難しい話をしているか、俺たちと武術の鍛錬をしているかだ。
「おまえ、ジョゼと付き合う前に、女の子に興味持ったことないだろう? ジョゼとの結婚だってギルドに強要されたわけだし」
それは違う、とビルセゼルトは思ったが、黙っていた。入学当初から密かに憧れを抱き続けた相手はいた。そして一度だけ、二人で会ったこともある。
卒業年度の事だった。今を逃せば二度とチャンスはない。ビルセゼルトは勇気を振り絞って心を告げた。その一度きりの逢瀬には、思いが通じる予感があった。
次には交際を申し込もうと決意していた。それなのに、ジョゼシラとの婚姻をギルドに強要され、それに逆らえなかった。
この事を知っているのは、ビルセゼルトが思いを寄せた相手と、サリオネルトとその妻だけだ。
ジョゼシラは、そんな相手がビルセゼルトにいた事に薄々気が付いているようだったが、相手が誰かを追及しない賢さを持っていた。そして……思いを寄せた相手は、他の男の妻になった。
「サリオネルトが女の子にモテたのは知っているけどね。わたしが、っていうのはレーネ、おまえの思い違いじゃないか?」
「おまえからは近寄りがたさが滲み出ていたが、サリーは親しみやすかったからな。確かにあの人誑しは散々モテまくってた。アイツと一緒にいると、一日に何度も女に呼び止められた。だけどアイツはおまえと違って、マリをきちんと守った」
「うん? どういう事?」
「女に言い寄られるとサリーは、必ず言うんだ。僕のマリを好きになってね、ってな。僕を好きならマリの事も好きになって欲しいなって。なにを無茶な、と思うだろう? けれどサリーは、自分がどれほどマリを愛しているかを説くんだ。ぶっちゃけ惚気だけどさ。でも、それを聞いた相手は、その愛情に感動する。サリーとマリを応援したくなる。計算尽くと判っている俺でさえ、聞いてて涙ぐむことがあった」
「あいつの言葉は全てが呪文じゃないかと疑いたくなるほど巧みだ……それはともかく、少しマリにのめり込み過ぎだと心配したことがある」
「ビリー、おまえが冷淡すぎるんじゃないかと俺は思うぞ」
アウトレネルの言葉に非難めいた響きはない。むしろ心配そうだ。
「ジョゼに友達が少ない理由をおまえ、知っているのか?」
「いや、理由なんかあったのか?」
「あいつは俺たちが卒業する年度に入学してきて、すぐにおまえと婚約した。やっかみって怖いものだ。おまえとのことでジョゼはかなり虐められていたんだぞ。母親、当時の南の魔女ソラテシアの力でおまえを手に入れたってね。勿論、友人が少ない理由はそれだけじゃないのだろうけどな」
「……そんな話、初めて聞いた」
「あの、馬鹿力を持つ魔女は、嫌がらせに気が付かないふりをして、報復することもしなかった。騒ぎを起こしておまえに迷惑かけたくなかったんだろう」
「ジョゼにそんな細かな心遣いができると思えない」
「本当にお前、情けないヤツだ。ジョゼは繊細だぞ」
ビルセゼルトがアウトレネルの顔を見る。
「同じことをサリオネルトも言っていた。ジョゼは繊細だって」
「ビリー、もっとジョゼを気に掛けてやれ――とにかく、リリミゾハギとは一人で会うな。どんなに忙しくても俺が一緒に行く。判ったな?」




