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リリミゾハギの話によると、種々の薬草の煎じ薬でドラゴンの爪の垢を練って作った軟膏を、例の疫病で鱗化した皮膚に塗るとかなり改善されるらしい。
事実、彼女が持参した薬を患者に処方したところ、すぐさま症状は改善され進行が食い止められることが判った。もともとドラゴンの爪の垢の練り薬は皮膚病の万能薬と言われている。だが今回の疫病に効力はないと思われていた。
それを試行錯誤の上、リリミゾハギは鱗化の進行を遅らせるのに成功した。しかし、完治させるには至っていない。リリミゾハギはドラゴンの爪垢の濃度を上げるべく、火に掛けて練る時間を長くしたが、効果はなく、むしろ塗りにくくなるだけだったと言っていた。
完全に水分を飛ばしたものを内服したらどうだ?……ビルセゼルトの質問に、練るのに使った煎じ薬の中に、胃から吸収されると死に至るものがあると聞いて、ビルセゼルトも黙った。
ビルセゼルトは、『もっとドラゴンの成分を濃くさせられたなら』と言うリリミゾハギに一縷の望みを持つ。そして肉の提供を願い出、敢え無くドラゴンに却下された。
ドラゴンの鱗や髭は固すぎて薬に加工する技術はまだ開発されていない。
リリミゾハギはなんとかしてみると、さらなる研究を約束したが、せめてその加工法だけでも手助けしたいと考えたビルセゼルトは、魔道具屋や薬術魔導士に加工法の開発を奨励した。
南ギルド本拠に帰る前日、ビルセゼルトはアウトレネルを伴ってリリミゾハギの住処を訪れている。高価なドラゴン由来の材料を、リリミゾハギに届けるためだ。
「むさ苦しい所ですが……」
リリミゾハギは、ローズヒップと乾燥させたリンゴの皮で淹れたお茶で二人を持て成した。
アウトレネルが美味いと喜び、ぽつりと『妻が喜びそうな味だ』と言ったのを聞き逃さなかったリリミゾハギは茶葉を土産に用意し、アウトレネルを喜ばせた。
「気を使わせて申し訳ないね」
と言うビルセゼルトに、
「せっかくの厚意だ、素直に喜べばいい」
と、アウトレネルは笑顔で言う。
「どうぞ、ご遠慮なく。これがわたしの取り柄ですから」
答えようのないリリミゾハギの言葉に、ビルセゼルトも笑顔を返すしかなかった。
そのあと、ビルセゼルトとアウトレネルは南ギルドの本拠に戻り、不在の間の報告を受け、今後の方針の確認と通達を終えている。
アウトレネルは受け持ちの街に戻り、ビルセゼルトは兼任する王家の森魔導士学校の校長として学舎に戻り、やはり不在時の報告と、軽い打ち合わせ、そして校長の執務室で、教授として溜まっていた職務を熟した。
夕食を魔導士学校の食堂で、他の教職員や学生たちと済ませた頃にはさすがに疲労を感じ、残務は明日にすることにし、すぐに寝ようと思っていた。が、教職員棟の自室に戻ると、机に置いてあったひとひらの紙片を見て溜息をつく。
書いてあるのは『会いたい』とただ一言……差出人は判っている。妻のジョゼシラに間違いない。少し迷って紙片を暖炉に放り込む。暖炉は火のルートとなっていて、その時、ビルセゼルトの自室の暖炉は南の魔女の城の火のルートとのみ開通されていた。紙片が燃やされたことをジョゼシラは感知するはずだ。
そのまま暫く待っていると、暖炉に人影が浮かび出る。
受け止めるためにビルセゼルトが腕を広げるより早く、人影がビルセゼルトに抱き付いてくる。
「会いたかった……」
貪るような接吻の合間に、声が聞こえる。それにビルセゼルトが答える。
「……俺だって」
紙片を見た瞬間、『疲れているのに面倒な』と思ったことなど忘れている。
「ジョゼ……ジョゼ。愛してる」
ビルセゼルトのレンガ色の瞳が仄緑の光を放ち始める。ジョゼシラの深緑色の瞳はとうにレンガ色の光を放っている。
「どれほど愛しているか、教えて」
ジョゼシラの震える声に、唇を離したビルセゼルトが無言で彼女を抱き上げ、寝室へと運んだ――
ビルセゼルトの話に、ふぅん、とジョゼシラが鼻を鳴らす。
「リリミゾハギ……そんな人いたっけ?」
「薬草学の成績はトップだったが、他はそこそこだった。おまえより二学年上の白金寮――友人の少ないおまえが判らなくても無理もない」
「それは、わたしを非難した?」
友人が少ない……ビルセゼルトの言葉がジョゼシラの気に障ったようだ。
「なぜ俺がおまえを非難? 事実を言っただけだ」
「事実、ね。あなたと比べられたら誰だって友人が少ないかも。もっとも、あなたでもサリーには負けるかもしれないけれど」
そう言ってから、ジョゼシラがハッとする。ビルセゼルトにサリオネルトの名を出したのはまずかったか?
慌ててビルセゼルトの様子を窺うが、気にする様子はない。だが、
「そうかもね……」
そう言って、ビルセゼルトがため息を吐く。
「俺が死んでもサリオネルトの時ほど、嘆いてくれる人はいないだろうな」
「何を言うか」
そう言いながらジョゼシラは思う。
何を言って慰めても無駄だ。あの時からこの人はサリオネルトに憑りつかれている。いや、この人がサリオネルトに憑りついているのか……
助けられなかったと自分を責め、助けられたはずだと、更に責める。そして自分が変わってやれば良かったのだと、悔やみ続ける。自分にもっと力があれば、と常に高みを目指し、もっと強く、今よりも強くと、決して自分を甘やかさない。お陰で、魔導士としての力はどんどん強くなり、最高位魔導士と言われる日も近いだろう。
知識が足りなかったのだと、学術に向ける精進も怠りなく、特に魔導史について研鑚を重ね、示顕王についての研究を進めている。いまだ解明されていない古文書を読解し、だがそこには答えを見つけられなかったと、次に取り組んだ未読解の古文書も、もうすぐ終わりそうだ。だが、やはり答えは見つからないだろう……そして、次こそは、と休むことがない。
そもそも古文書を探って、答えが見つかる保証もないのに『もしかしたら』と限のない仕事を自分に課しているように、ジョゼシラには思える。
サリオネルトの亡骸を目の当たりにした号泣以来、心さえも武装し、ジョゼシラさえもビルセゼルトの涙を見たことがない。母親が亡くなった時も、取り乱すことなく、涙もなく、父親に付き添うだけだった。
せめてわたしに甘えればいいものを、とジョゼシラは思う。そう言葉にしてもビルセゼルトは、おまえに弱みが見せられるか、と冗談めかして言うばかりだ。
「ビリー……わたしを見て。わたしはいつでもあなたを愛している」
再びジョゼシラの瞳にレンガ色の光が灯る。ビルセゼルトがそれに応えた――




