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はたして会って貰えるだろうか? 今やあのかたは魔導士ギルドの長。一介の街の魔導士に過ぎないわたしが気安く会えるかたではない。
そんな不安を抱えながら、リリミゾハギは待たされた一室で落ち着かぬまま、ビルセゼルトを待っていた。
学生の頃から、ビルセゼルトは華やかで、地味で目立たないリリミゾハギは同じ白金寮でなければ、名前どころか顔だって覚えてくれるはずもなかった。
取り巻く友人たちも華やかな人たちばかり。ビルセゼルトを中心とした一団は、多くの女学生の憧れであり、密かに思いを寄せる者も数知れずいただろう……リリミゾハギも、そんな女学生の一人だった。
だからビルセゼルトが一年下の自分の顔と名前を知っていると気が付いた時、どれほど嬉しかったか。そしてその直後、ビルセゼルトは同じ寮の全員の顔と名前を知っていると気がついた。ときめきと諦めを同時に味わったが自分を省みれば、名と顔を覚えて貰えただけでも幸せと感じた。
ビルセゼルトは卒業後、すぐに教職に就き、さらに一年、リリミゾハギは卒業までの間、ひっそり彼を思い続けた。が、その頃にはビルセゼルトは南の魔女の娘ジョゼシラと婚約しており、リリミゾハギは僅かな望みを持つ事さえなかった。
九日間戦争の折りには、少しでも役に立ちたいと、リリミゾハギは南の魔女の城に馳せ参じている。
もちろんそれは、ビルセゼルトへの思いではなく、九日間戦争の経緯を知り、北の魔女を許せないと思ったからだ。
そしてそこで、ビルセゼルトと妻ジョゼシラの派手な夫婦喧嘩を目の当たりにした。なぜジョゼシラはビルセゼルトをもっと労わらないのかと、疑問を持った。
落城が決定的となった西の城、指揮官サリオネルトは城にいた魔導師たちに撤退を命じた。そして自らは城と運命を共にすると決意した。その決意を翻せないまま南の城に戻ったビルセゼルトを、ジョゼシラは痛烈に非難し、責めた。
ジョゼシラの言い分も判る。けれど、サリオネルトの気持ちを変えられず、その覚悟を認めざるを得なかったビルセゼルトが、あの場にいた者たちの中で一番そのことに苦しんでいたはずだ。弟サリオネルトの死を、なにがなんでも回避したかったはずだ。
それなのに、なぜ、妻であるジョゼシラがビルセゼルトを思いやることもなく、激しく責めるのか? リリミゾハギには理解できなかった。そんな時こそ、癒しを齎すのが愛を分かち合う者の勤めなのだと感じていた。
周囲を巻き込むほどの夫婦喧嘩の後、疲れ切った顔で考え込むビルセゼルトに、リリミゾハギは飲み物を提供している。
顔も名も、忘れず覚えてくれていたビルセゼルト、リリミゾハギが街の魔導士になり、薬草学の研究をしていることも知っていた。それがどれほどリリミゾハギを喜ばせたか。
「疲れた時には甘く温かい飲み物に限ります」
そう言ったリリミゾハギを不思議そうな顔で見たビルセゼルト、あの時を最後にリリミゾハギは、ビルセゼルトの顔を見ることすらできていない。
それから一年近くが経ち、半年ほど前に発生した流行病が街人を苦しめる中、ビルセゼルトがリリミゾハギの住むセンスアルティムに来ていると知る。会って貰えないかもしれないと思いつつ、リリミゾハギはビルセゼルトを訪ねた。
顔が見たい、そんな思いもあったが、リリミゾハギはビルセゼルトに伝えたいことがあった。この病に有効な薬がもう少しで開発できる、そう伝えたかった。街人を救い、そしてビルセゼルトの役に少しでも立ちたかった。
薬草学会では少しは名も知られるようにはなったが、たかが街の魔導士、有効な薬が開発できそうだなんて、果たして信じて貰えるのか? いや、その前に、会って貰える? 相手は南ギルドの長だ。少なくとも南ギルドでは絶大な支持を得、近ごろでは『偉大な魔導士』とさえ言われるほどの人物だ。気安く会える相手ではなくなっている。学生の時のようにすれ違う時、『やぁ』と声をかけ、笑顔を見せてくれるようなことはないだろう。
不安と期待に包まれて待つリリミゾハギ……やがてドアがノックされた。すぐにドアが開けられて、入ってきたのはアウトレネルだった。
同じ『街の魔導士』と言っても、アウトレネルとリリミゾハギでは明らかに立場が違う。
アウトレネルは『街』と契約した、要はその街の正式な守護者だ。もちろんギルドもそれを承認している。ギルドが街に派遣した役人と変わらない。報酬も身分もギルドと街が保証している。リリミゾハギは街に住むものの、街と契約しているわけではなく、ポーションなどを売る事を生業とする、いわば魔導士としては最下層だ。
それでもいいとリリミゾハギは思っていた。そんな暮らしでも、森の近くに居を構え、好きな薬草の研究に没頭することができた。
しかし、部屋に入ってきたアウトレネルを見て、わが身を省みず、なんと恥知らずなことをしたか、とリリミゾハギは後悔している。自分如きにビルセゼルトが会ってくれるはずもない。
「ビルセゼルトが会うそうだ」
「え?」
アウトレネルの言葉に思わず耳を疑う。
「会っていただけるのですか?」
アウトレネルが、フン、と鼻を鳴らす。
「自分で会いに来て、会うと言われてその態度か? なんなら会わずに帰るか?」
「いいえ、ぜひお会いください。あの病は、マンドレイクの根塊と……」
「そんな話はビルセゼルトにしろ。俺にはさっぱりだ」
ついて来い、とアウトレネルは部屋を出る。それに忽々とリリミゾハギが従う。
やがてアウトレネルがドアの一つを開け、中に入るようリリミゾハギを促す。
窓辺に立つ人がゆっくりと振り返る。燃えるような赤い髪、時には鋭く光るレンガ色の瞳が、今は穏やかにリリミゾハギを見る。
「久しいな、リリミゾハギ」
「ビルセゼルトさま……」
声が震えていないだろうか? いや、震えていても、このかたは決して笑ったりしない。
九日間戦争の時も、街の魔導士と聞いて馬鹿にすることなく、わたしの書いた薬草学の論文を、お世辞だろうが褒めてくれた。ご自分は魔導史学者として、世に認められているのに、研究者に過ぎないわたしを褒めてくれた。
リリミゾハギの心は揺れて、涙が滲みそうになる。それを必死に堪えて、本題を切り出した。




