終章:“悩みのゴミ箱”の悩み ── 器に積もる疑問
俺は“悩みのゴミ箱”。
古代の狩人が抱えた衰えへの恐れと、技術の未熟さ。
中世の恋に揺れた少女と、信仰に迷った聖職者。
戦乱の中で割り切れぬ立場に苦しむ者たち。
産業に飲まれ、夢を手放した者と、それでも立ち続けようとした若者。
繋がりを求めて怯える現代の孤独。
そして、悩みがなくなったはずの未来に現れた、新しい問いのかたち。
長い時間の中で、俺は無数の悩みを受け止めてきた。
最初はただ、声を抱え込むだけの器だった。語ることも、考えることもなかった。
けれど、積もり続ける嘆きや戸惑いが、いつのまにか俺の内側に波紋のようなものを広げ始めていた。
悩みとは、何なのだろうか。
苦しいもの、手放したいもの……そのはずなのに、どこか人間の輪郭を浮かび上がらせているようにも見える。
悩みは変化する。時代が違えば、形も内容もまるで違う。
けれど、誰もが何かを思い、迷い、立ち止まり、また歩き出そうとしている。
それをずっと見てきたからこそ、俺の中にも確かに“揺れ”がある。
──俺が本当にただの“器”だとしたら、どうしてこんなにも気になってしまうのだろう。
一つ、恐れていることがある。
もし、いつかこの世界から悩みがすべて消えたとしたら。誰ひとりとして迷わず、苦しまなくなったとしたら。
そのとき、俺の存在はどうなるのだろう。
誰にも頼られず、声も投げかけられず、ただ空っぽのまま放置される日が来るのだとしたら──俺は、そのときをどう受け止めればいい?
そんな未来が、怖くないと言えば嘘になる。
しかし、不思議なことに、俺の中にはもうひとつの思いもある。
もしも、本当に人々が悩みから解放され、誰もが自分のままに笑って生きられる日が来るのなら。それが嘘偽りのない幸せなのだとしたら。
だったら俺は、その光景をこの目で見届けてみたい。
“悩みのゴミ箱”としての役目を終えるとしても、それはきっと価値のある最後だと思える。
だから俺は、まだここにいる。
誰かがふと立ち止まり、何かをこぼしてくれる限り、俺はそれを受け止める。言葉にできない痛みも、ちいさなつぶやきも、確かに引き受けている。
そうして積もっていく声のひとつひとつが、俺に問いを投げかけてくる。
答えは出ない。だけど、問い続けることこそが、俺にとっての“悩み”なのかもしれない。
『俺は“悩みのゴミ箱”。いつか、俺が何者なのか、その答えに辿り着く日が来るのかもしれない――』
◇ ◇ ◇
――悩みの奥に、言葉にならない温もりの気配があった。
それは、誰かがふと『幸せとは何か』と呟いたとき、静かに揺れた心の片隅に似ていた。