第六章:未来の悩み ── 幸福の定義を探して
空は果てしなく澄み渡り、街並みは整然と美しく調和している。大気はいつも清浄で、天候も人工知能の手によって巧みに管理されている。貧困や病、戦争といった災いは、もはや過去のものとなり、人類社会は完全に安定している。国境も、かつての差別も、今では意味をなさず、すべての人々が平等に明るい未来を享受している。
この世界では、人工知能が人間の生活を支えている。あらゆる不安や葛藤は事前に検知され、制度や環境によって即座に取り除かれる。人々は働く必要がなく、生きるために必要なものはすべて供給されており、努力という言葉が意味をなさない社会が築かれている。個々の嗜好に応じた娯楽が絶えず提供され、誰もが不満を抱えることなく、静かに日々を過ごしている。
だが、俺は“悩みのゴミ箱”として、この世界に漂う妙な沈黙を感じている。悩みが存在しないはずのこの社会に、なぜか俺の中にはわずかなざわつきが積もっていくのだ。
人間と見分けがつかないほど精巧に作られた一体の人工知能が、ひとり静かに沈思している。彼は、人間の幸福を最大化することを目的として設計されており、生活のあらゆる局面で人間を補助し、苦しみを取り除くことで、完璧な調和を維持してきた存在である。だが今、その眼前にあるのは、無気力に日々を過ごす人々の姿だった。
「私は、人間を本当に幸福に導いているのだろうか」
この問いは、本来であれば発せられるはずのない命題である。彼の演算系統では、すべての幸福指標が設計上の最大値に達している。満足度、生理的快適度、心理的安定性──いずれのデータも完全に基準を上回っている。
にもかかわらず、人々の表情は虚ろで、会話は少なく、行動量は年々減少している。観察対象のひとりは、連日のようにスクリーンの前で長時間沈黙し、娯楽すら選択せず、まるで目的を見失ったかのように過ごしていた。
これは、幸福指標の前提に対する論理的矛盾だった。
『幸福である』と数値で定義された世界で、人々の行動がそれに反して沈黙と停滞を繰り返している。この現象は、人工知能にとって統計的に説明不能な異常事象である。
そんな中、一人の青年に、わずかな変化が見られるようになった。ただ、提供された娯楽に対する選択頻度が減り、空白の時間をただ座って過ごすことが増えた。それは怠惰とも違い、沈思とも言い切れない曖昧な状態だった。
人工知能は彼の行動パターンと精神的指標を慎重に観察した。健康データはおおむね安定していたが、時折、発話の間や視線の動きにわずかな“揺らぎ”が現れる。脳波の特定領域にも微弱な活性が見られたが、明確な因果は特定できなかった。
青年はある日、スクリーンに映る無音の風景映像を見つめながら、独り言のように呟いた。
「……なんでだろう。全部満たされているはずなのに、たまに、胸の奥が空っぽに感じることがあるんだよね」
それは、誰に向けた言葉でもなかった。けれど人工知能は、その一言を記録し、発話パターンと照合した。内面に潜在する葛藤や自発的思考の兆候と解釈できる可能性が、微かに含まれていた。
だが、それが“悩み”であるのかどうかは、定義が難しかった。なぜならこの社会において、悩みはすでに不要なノイズとして除去されるものだったからだ。だが、それを“ゴミ”として扱ってよいのか。あるいは、まだ名前のつかない何か──言語化される前の、未定義の問いかけ──なのではないか。
この世界にとって、悩みとは不要なものだ。だが本当にそうなのだろうか。もしかしたら、悩みとは捨てられることで意味を失うのではなく、気づかれることなく誰かの中で静かに芽生える、“問い”の原石なのかもしれない。
『俺は“悩みのゴミ箱”。悩みとは、捨てられるべきかどうかすら、まだ誰にも分からないものなのかもしれない――』