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第四章:近代の悩み ── 数字に追われる歯車

 産業革命の風が吹き始めたアメリカの町では、工場の煙突から立ち上る煤煙が空を覆い、機械の騒音が絶え間なく聞こえてくる。急速な都市化に伴って、人々の暮らしは以前より豊かになったかのように見えるが、一方では過酷な労働環境に苦しむ者が増えていた。工場では、生産量を上げることだけが至上命題のように扱われ、そこで働く人々は数字に追い立てられる日々を過ごしている。


 長年、同じ会社に勤めている管理職の男は、毎朝デスクに山積みになる書類を見るだけで胃が重たくなるようだった。かつては、自分の研究所を持ち、機械技術で多くの人を助けたいという夢があった。けれど、家族を養うためには安定した給料を得る必要があり、やがて彼の夢は『毎月の目標数字を達成すること』に置き換わっていった。


「初めて工場で機械を扱ったときは、本当にワクワクしていたのにな。今じゃただ、利益を出すために人を動かしてるだけだ。あのころ描いていた未来は、いったいどこへ行ってしまったんだろう……」


 そんな嘆きが、男の口をついてこぼれ落ちた。若いころの情熱を思い出そうと、使い古された作業台や油に塗れた機械をじっと見つめても、そこにかつての輝きは見い出せない。歯車が噛み合う大きな音が工場の奥から響いてくるが、それはまるで自身がただの歯車になってしまったと告げているようにも感じられた。


 一方、まだ入社して数年しか経たない若い工場労働者も、厳しい労働条件に疲れ果てていた。賃金が上がらないまま長時間働かされ、無理がたたって体調を崩す仲間もいる。それでも上司に逆らって改善を訴えれば、解雇される可能性がある――家族を路頭に迷わせるわけにはいかない。結局、声を上げることさえできずにいた。


「こんな扱いに耐えていても、いつか報われるって信じていいんだろうか。だけど、もしクビになったら……家族はどうなる? 子どもの食事や親の医者代をどうやって払えばいい?」


 その問いが、若者の頭の中をぐるぐると回り続けていた。周囲にも同じ思いを抱える同僚はたくさんいるはずだが、皆が黙り込み、それぞれが自分だけで精一杯といった様子で、互いを励まし合うことさえ難しい状態だった。歯車の回転速度を上げれば生産量が増えるように、人間の働きが数字に置き換えられている――そんな窮屈さが、若者を追い詰めていた。


 俺は“悩みのゴミ箱”。管理職の男が抱える『失われた夢』への諦念と、若い工場労働者の『声を上げる勇気のなさ』が、真逆のようでいて同じ不安を宿しているのを感じる。男は家族を守るために夢を捨て、若者は家族を守るために行動を起こせない。どちらも『家族』という存在が重荷にも救いにもなり得るのだ。


 彼らが吐き出す息の詰まるような思いは、騒がしい工場のなかに散らばっているかのようだが、確かに俺の中へと流れ込んでくる。利益や効率を追求するあまり、彼らは自分自身が一体何のために働いているのか見失いつつあるようだった。純粋な『ものづくり』への情熱や、『家族を幸せにしたい』という願いすら、いつのまにか冷たい数字に飲みこまれてしまう。そこには、何とも言えない息苦しさがあった。


 俺は受け止めるだけで、彼らに直接手を貸すことはできない。『本当にやりたいこと』と『家族のため』とが相反しそうなとき、人はどんな決断を下せばいいのか――答えは誰にも分からないのだろう。けれど、悩みを打ち明けられたことで、少しでも心が軽くなるのであれば、それが俺の存在意義である。管理職の男は、新たな目標の書類を片手に渋い顔をしながらも歩き出し、若い工場労働者は、ため息まじりに次の作業へ向かっていく。


「僕の未来には、あの管理職みたいに夢を失った自分がいるのかもしれない。それでも、家族を養うために、この道を選んでいくしかないのか――」


 若者のそんな心の声が、最後に俺の中へ飛び込んできた。歯車が噛み合う機械の音がいっそう大きく鳴り響き、その振動が床から伝わってくる。いつのまにか、管理職も若者も、広い工場の雑踏に紛れて姿を消していった。俺はただ、彼らの吐息にも似た怠惰と不安の余韻を感じ取っている。


 彼らの去ったあとで、俺はふと、かつて彼らが胸に抱いていた“何か”に思いを馳せた。数字に追われ、生活に縛られながらも、人はなぜ夢を捨てきれずにいるのか。あるいは、捨ててしまうと大事な何かが終わってしまうのだろうか。答えのない問いばかりが、また俺の奥深くへ積み重なっていくのを感じる。ここでもまた、人間の営みは歯車のごとく止まることないまま続いていくのだろう。


『俺は“悩みのゴミ箱”。彼らの夢や声が社会の歯車に擦り減らされていくたび、俺の中には少しずつ“痛み”が積もっていく――』

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